「なあ、跡部どう思う?」
忍足がちょっとあきれたように言うので、跡部は参考書から顔を上げた。
良い天気だ。なのにどうして青空の下、自分は参考書を読んでいるのだろう。ちょっと考えると頭が痛くなりそうなのでやめておく。屋上は良い天気。良い風が吹いている。
「…何がだよ。」
昼休みが終わるなり、自分を屋上へ引っ張ってきた張本人が、手すりから身を乗り出して笑っている。そのまま眼鏡を落とせばいいんだと少し思い、けれど彼は「落ちるぞ。」と注意しただけだった。
「居眠り太郎の居眠りの原因や。」
注意された本人は、なにも気にしないようにまだ地上を覗き込む。白いシャツが風に光った。まだ秋とは言え多少昼間は暑いくらいで、空は高い。強い秋風、吹けば飛べるかもしれない。少なくともそんな気分になるくらいには良い天気。見つかったらやっかいなだけだ。なにせ彼は、生徒会長だから。まあいいや、眼鏡越しに忍足が見ている先にはビルの群れ以外見当たらなくて、跡部は少しだけ、上空に目を移す。
「…あいつぁ昔っから居眠り太郎だよ。」
ちょっと忍足が跡部を見て、跡部が黙った。空にはひとつ、飛行機雲。
「俺はそれを知っとるかもしれん。」
大きな声ではなかったけれど、よく聞こえた。忍足は手に持った紙コップを中身を空にして、そのまま玩んでいる。見上げた空は真っ青だ。噫まっさお。天国の青ってどんな青だろう。こんな青だろうか。少しどうでもいいことを考える。秋の思考は、いつでもとりとめがない。少し眠たくなってきたようだ。昨日も部活の練習メニューを作るのに少し夜更かしをした。跡部がひとつ、小さくあくびをする。
「…で?どうするってんだ?」
「それを迷っとるから生徒会長様を5時間目の屋上にご案内したわけやんかぁ。」
しょうもねえ理由なら潰すぞ。おおこわ!いつもの会話。
仕切りなおすように、くるりと振り返って、手すりに背中を預けると忍足は笑う。まぶしいのか少し泣き出しそうに見えて、いやだな、と跡部は思った。いやだな、こいつのこういう顔。なにも忍足に限ったことではない。彼の親しい人間には、あまりこういう顔、してほしいとは思わない。だってそうだろう、彼の王国だ。強く、厳しく、正しく、そしてなにより笑顔であらねばならない。勝者は笑うものだから、泣き顔なぞは、あってはならない。
だなぁんて。
噫やっぱり思考に統一感がなくていけない。いつも眠たそうなジローの思考も、あるいはこんなかんじだろうか。それは正直、いただけないと思う。いつもこんな風にふわっふわしていたら、ろくに集中できやしない。テニスにだって支障がでるし、それは、いけない。いけない。
「ただな、俺が知っとるかもしれん話がなあ、」
「アんだよ?」
「夢みたいな優しいお伽噺で、俺はそれがほんまなんか夢なんかわからんからどうしようもないねや。」
なんだそれ、言ってやったら忍足が笑った。
「ほんまなんやそれやんなあ。」
「お前にわかんなきゃ俺にもわかんねえだろうが。」
ほんまになあ。のんきな声が流れてゆく。直射日光が眠気を誘う。噫こんな風に居眠りするのは久しぶり。
「文句言ったらええやつがもうどこにもおれへん場合どないしたらええと思う?」
死んだのだろうと当たり前のように思った。
泣いてるのだろうか。光の加減でいっしゅんそう見えたけど、忍足は笑っていた。寝ぼけてみた夢かしらん。風が強い。
「馬鹿野郎、それは、お前、」
眠さに舌がもつれるのを感じた。ああ、眠たい。お前らのせいだ。練習メニューをひとりひとりに、合わせて組むのがどれだけ面倒臭いと思っているのか。
跡部の目蓋が重くなる。こくり、と身体が、一度揺れた。
「決まってるだろうが。」
半分眠りながら、跡部の指が天を指した。
きょとんと目を丸くした忍足がみたのは、ぱたりと指差していた手のひらを投げ出して、次の瞬間には眠ってしまったガラの悪いおぼっさま、ひとり。
「そうかー、」
ひとりごとに返事は無い。ぐんと身体を伸ばして、手すりを背もたれに空を見上げたらずいぶん真っ青。良い天気だ。
「せやなあ、たしかに、それしかないなあ。」
はは、と笑ったら愉快になった。
文句を言うなら。
跡部の言葉につられるように、うんと空を見上げる。飛行機雲の名残が、風にほどけていった。さて、どのあたりにその国があるのだろう。よく知らないけど、とりあえず、文句、言ってもかまわないだろう。なにせ大事なレギュラーが、おかげで寝不足、これではおちおち、試合も落ち着いて見られない。
大声で叫ぶと、教師に見つかるので、どうしようか。
少し考えてから、ふと手に持ったままの紙コップに気がついた。
「糸ついてへんけどいけるやろか。」
ひとりで言って、笑ってみる。なんてアホなこと、しているのだろう。けれどそもそも、もしかしたら原因かもしれない話自体が、アホらしくって涙が出るほど優しい話なので、これくらいメルフェンでちょうどいいのではないかと思う。紙コップ、少しいじりすぎて形が崩れてしまったので、きれいな形に直したあとで、底を空の天辺、真上に向けて、口を添えてみる。もしもーし、って昔良く遊んだっけ。もしもーし。声は変にくぐもって聞こえて、やっぱりひとりで忍足は笑う。まったく友達が寝不足で死にかけだってぇのに、できることといえば電話ごっこだなんて。おかしくてしかたない。そうだろ、違うかい?ケタケタひとりで笑っていたら、なんだかほんとに、自分が不思議な国に住んでる兎か猫かなにかのような気がしてきた。
もしもーし。もしもーし、聞こえますか?
兎だか猫だかが糸のない糸電話かけている先の空は真っ青で、王様はもうすっかり眠っている。
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