ふたりはベンチに座り、愕然としていた。まだ早い春、練習試合をしているから見に来ないかと尋ねられた春休み。東京見物もかねて仲の良い従兄妹ふたりは東京まで従兄弟を訪ねてやってきた。慣れない東京で苦労しているであろう彼に、たこ焼き器をお土産にとお年玉の残りをはたいた二人は、行きの新幹線の中でやはり、自分らめっちゃ優しいやん、と話し合っていた。
 しかし今、二人の心に吹き荒れるのはそんな小春日和の春風ではなく、極寒のブリザード、そうでないなら熱湯の台風である。肌に刺さって相当痛い。
「勝つんは?」
『氷帝!!』
「まーけーるーの?」
『せいがk「ってお前ら小学生かアアアアア!!!」
 は叫んだ。思いっきり叫んだ。力いっぱい叫んだ。大勢のギャラリーに向かってたったひとりで叫び、黙らせるその声量はすばらしいものがある。車みっつで轟きです、という字が、とてもその背中に似合う。雷のごとく、彼女の声は轟き渡り――そしてむなしくしんとした。ツっこむ手の平は中指の先までぴっしりと、腕の角度は90度。これぞ正しいツっこみスタイルである。
 をそうさせる原因はたったひとつ。
「ゆーしいいいいいい!!あんた!どういうこと!?どういうことなんそれええええ!!!」
「あっ、。久しぶりやなー!」
 コートの中からたちを見つけて笑顔で手を振る従兄弟の忍足侑士その人であった。練習試合にしてコートを取り囲む応援のギャラリー。そしてそれらの人員をフルに活用しての、いつか電話で笑いのタネとなった勝つのは氷帝コール。生で見る日が来るとは思わなかった。しかしそれ以上に、彼女をこうも猛らせるのはそのコールを引っ張っている従兄弟そのものに他ならない。しかも手を振りながら、うれしそうに花を飛ばしているあたり腹立たしい。
「ええい背景に花を飛ばすな鬱陶しい!!」
「ひどい!」
 それにしてもテニスコートの中の面々に関してはまるで無視である。誰あれおっかねー、というおかっぱ頭の呟きを彼女は黙殺する。
「見てみい!あんたがそんなんなるから…!謙ちゃんがさっきから心閉ざしてもぉたやんかアアア!!」
 びっしと彼女が指差す先には、彼女との隣の観客スタンドで膝を抱え、何かブツブツと呟いている浪速のスピードスターその人である。隣同士に座った二人の違いと言えば、一方は怒りも露に声高に立ち上がり、一方は悲愴そのもので頭抱えているくらいである。
「いや、ないわ…俺の従兄弟がアレ…。勝ぁつ〜んは?(鼻濁音)ってお前…おま…ないわ…。」
 耳を澄ませばかすかに彼の呟きを聞くことができる。
 彼のこの状態が、まさか後の無心へのヒントになるとは神様だって驚きである。今まさに彼は従兄弟の変貌振りへのショックで心をぴったりと閉ざそうしていた。
 そのいたたまれない様子に、テニスコートから眼鏡の少年が涙ながらに叫んだ。
「謙ちゃん!あかん!帰ってきて!」
「誰のせいや誰のオオオオオオオ!!!?」
 それもすかさずのツッコミが叩き落とす。しかしこの少女、巻き舌である。かなりの巻き舌である。おかっぱ頭はいまや一歩引いて涙目になっているし、相手コート側も展開が読めずポカンとしている。
「ええか!?これが他人なら抱腹絶倒して見とったるわ!なにあいつら小学生かぶっふ!なんやねんコールてとか言うて爆笑しといたるわ!でもな!でもな!ええかゆーちゃん身内の恥は自分の恥!頼むからそれやめろやめてくれやめたってください!転校当初ついてけへんてピーピー泣いとったんはどこのどいつやアアアアア!」
「…そんな、時代も、あ〜ったねと〜、」
「いつか、話せる…時代は来ない!永遠にこない!!」
「…ナイスノリツッコミやでさすがちゃん!黄金の右手!」
「そないなほめ言葉いらんわアアア!!」
 おもしろい子だねー。不二、その感想、おかしい。
 コートの中をまだ寒い風が吹き抜けてゆく。しかしの熱い突っ込みは止まらず、逆に謙也の心は冷え切ってゆく。久しぶりの従姉妹との交流がうれしいのか、罵られているにも関わらず侑士は口元がだらしなく緩んでおり、とても、気持ちが悪い。
「大人気ない!あんたら大人気ない!っていうかあんたたちもツっこめ!」
「ええええー。」
 ついにはツッコミが、相手コート側にも飛び火した。
「こっちがえええええーじゃボケ!カスウウウウウウ!!!」
ちゃんお口が悪い!」
「誰のせいや思とんねんこの駄目な眼鏡略してダメガネが!」
 誰かあいつをつまみ出せ!彼女とコートの間のベンチから、えらそうな声が上がり、「上等じゃかかってこんかいゴラアアアアア!」という最早少女と形容していいのかわからない、の雄たけびが響き渡る。スーパースターの精神が、この世へ帰還するまでには、もう少し時間がかかりそうな2年も終わりの初春の出来事であった。


(Oの一族・2/200812??)