「こんにちは。」
「…こんにちは。」
 思わずびっくりして、返事が遅れた。
 ちなみに今の時間は、どちらかと言うならおはようが相応しい。
 高校にいってから、家がお隣にも関わらず、その家の少年と会わなくなってもう随分立つ。が進学したのは今までとは違って電車で少しの遠いところだから、今までのように連れ立って自転車漕いだりだとか、そういうことがなくなった。電車に合わせて朝も早いが、彼の朝練の開始時間のほうがもっと早い。そんなもんか、と思わず味気なく思うほど、会わなくなってもなにも日常は変わらず、そうして随分時間が立った。
 何年ぶり?思わずぽつんと訊ねたら「2年くらいちゃうか?」というなんともアバウトなお答え。
 もう二人は高校も今年で卒業だ。最後の夏だね、大会見に行くね、久しぶりにメールしたのは昨日の晩。
 今朝になったら玄関の前に自転車押して彼が立っていた。よう、だなんてまるで昨日も一昨日も出会った人間にするみたいな挨拶。もうちょっと気のきいたこと言えへんのかいな、と思いながら、だって言葉が見つからない。
「白石?」
 とりあえず確認してみる。
「うん?」
 やっぱりとなりの白石だ。小さい頃は、蔵ちゃんて呼んでたのだけど、なんとなく恥ずかしくなっていつの間にか白石。とにかくその彼が、朝からチャイムを鳴らして窓の外。慌てて出たがこっそり安堵しているのは今日は早起きして身だしなみもきっちり、おまけに普段着の中ではちゃんとかわいい服着ていること。けれどなんで彼がここにいるのかわからない。わからないなら訊ねればいいじゃない。けれどなかなか、言葉選びは難しくって。
「いや、なに?」
 主語がすっぽり抜けた。けれども通じたんだろう。その言葉に彼は目を丸くして、それから笑った。白い髪が初夏の日差し受けて風に透ける。それだけで普段着の白いワンピース、魔法のように、光を受けて光りだすので不思議。もう少年と呼ぶのが気の引けるような、彼のスラリと伸びた腕に、まだ包帯が巻いてあるのでほっとしてしまうな。彼を追っかけておんなじ学校に進学した後輩は、まだやんちゃばっかりやらかしてるのだろう。がじっと見てるのに気がついて、「ああ、これな。」笑った彼が少し照れくさそうにする。「金ちゃんまだ信じとるから迂闊に外せへんねや。」「あっ。…そう。」思わずなんだかぶっきらぼうな返事になった。
 なのに目を丸くして、それからふわりと笑った彼。
「せやねん。」
 びっくりした。今度こそポカンとしたを余所に、彼は背筋を伸ばすと自転車のスタンドを外した。白いTシャツの上に黒いベスト。モスグリーンのゆったりしたズボン。シルバーのピアスがちょっと光って、あ、ピアス開けたんや、となんとなくおいてけぼりな気分。似合うから困った。
「さて、ちゃん。」
 そう呼ばれて顔を上げたら、片方だけ眉を下げて彼が肩を竦めてる。困ったような笑い方は照れ隠し。小さいときから変わらない。中学に入ったとたん苗字で呼んでたくせに。なんで今さら下の名前なんだろう。小学生に戻ったような、けれどもやっぱりそれとは違うな。まじまじと見つめるに彼がやっと歯を見せて笑った。
「これなんやと思う?」
 ポケットから出された紙切れ。なんだかよく見るキャラクタが行進している。うん、よく通学の電車の中で見る遊園地のポスターとおんなじ。ますます目をまんまるくするの目の前で、重なっていたらしいチケットは2枚に分かれた。
「…チケット。」
「せやね。チケットやね。」
 が黙って彼も黙った。
「2枚あるねん。」
 見ればわかることを、改めて彼のほうが言った。
「…そうやね。」
「この自転車見てみ。」
 さらに畳み掛けるように彼が言う。つられて自転車を見る。何の変哲もない自転車だ。空は飛ばないし、花火も出ない。
「見たで?」
「後部座席が空いとる。」
 座席と言うか、荷台である。
 しかしもう一度、チケットをぐいとの前に差し出して、
「さて、誰と誰の分でしょう?」
 すまして笑う彼の顔をしばらくはじいっと見て、彼のほうがそれにニ、と笑う。
ちゃん帽子被っといで。」
 三分待ったげる。
 言葉と同時に家に駆け込んだが「おかーさん!麦藁帽子とこの前買った靴と日焼け止めとそれからなんか出かけんのに必要なもんぜんぶー!!」と叫んで、表の彼が大きな声で笑い出す。夏です。



(サマー・フライト/20090516)