寒空に、高く声が響き渡った。ついでにスパアアンという、なにかをひっぱたくとても気持ちの良い音も。
「あかアアアアアアアアん!!!全然あかアアん!」
 声高く叫ぶのはである。その手には真っ白に輝く大きな…ハリセンがひとつ。いつになくいい笑顔のの前には、四天宝寺中の素敵なおほもだtダブルス二人組み、ユウジと小春のふたりである。テニスコートに正座させられていながらも、彼らは輝いている。なぜならこの状況、おいしいからである。おいしい。その一言こそが笑いを制する。分からない人は身近な関西の人に聞くように。おいしさ、イズ 笑い。さてこの状況が彼らにとってどうおいしいかと言えば、ハリセン片手に持った女子の前で正座させられている自分たち、プライスレス、そういうことである。
 しかしなぜこういう状況になっている原因はというと、そもそもこの夏大会で披露するネタ合わせにふたりの笑いの師匠こと、が呼ばれたことにある。呼ばれたときは面倒くさそうなポーズをとりながら、その実ハリセン持参で登場したの、駄目出しの嵐が、現在吹き荒れている真っ最中であった。
「あかん!なにがあかんってすべてのツメが甘い!甘いで!甘すぎる!まずなんなんそのアフロは!見た目から笑いをとったろうっちゅう魂胆がまず気に入らんわ!」
「えええでもちゃん!?」
「小春ちゃんはそのまんまがええの!そのまんまで十分イケる!」
「ちょ…お前、それどういう意味や。」
「小春ちゃん素が見えとる見えとる!」
「…はっ!もうっ!どういう意味ですのんちゃんったら!」
 まったくここはテニスコートか。もはやギャラリーを構成しつつある三人にも、部員たちはまるで気にせずいつも通り練習を続けるばかりである。(一部ギャラリー最前列に食い込んでいるが。)
「アフロかぶるならその下にチョンマゲとさらにその下に加藤茶仕様ハゲカツラを三重に装備するくらいの根性見せんかい!」
「肝に銘じます!」
「ユウジもなんやねんその中途半端にかっこいいマスクは!オペラ座の怪人か!時代はマスクドゼロやっちゅーねん!」
「すんません師匠!」
 次から次へ繰り出されるネタを千切っては投げ千切っては投げ、ハリセンがうなりをあげて空を切る。ー!それ俺にも貸してー!最前列で叫ぶのはもちろん金太郎さんその人である。
「あかん!ええか…?金ちゃん…。このハリセンはな、時を遡ること平安時代、立派なハリセン職人を目指しながらも、政治の汚い大人の都合っちゅうやつに巻き込まれた或る悲しい律儀なハリセン職人の怨念が宿ってんねや…。つこたもんはことごとく、笑いに憑かれて、」
「つっ、つかれて…?」
「死ぬ。」
 そのハリセンで肩をぽんぽんと叩きながらそれは真剣な顔をしてが続ける。この学校の敗因は笑い的な意味でツッコミの少ないところである。ボケ流すにはいろいろと規格外の人間の集まりすぎた。逆にいうならば、このボケ満載の大船をツッコミと言う名の舵でひっぱたけるやつがいれば、この学校、向かうところ敵なしのはずであるのに、惜しい。しかしながらそのような超人、いても困るというのが限りない本音ではあるのだが。
「あかアアアアん!!死なんとってええええええ!!!!」
 よーしよしよしよし、が泣きついてきた金太郎を受け止める。お前はムツゴロウか。誰かつっこんでやれ、いや、すでにもうツッコミどころがずれている。恐るべしボケ力である。
「大丈夫や!金ちゃん。なんで私が今までこれつこて平気やった思とんの。」
「ううっ、ぐすっ!なんでやぁ!」
「それはな…私こそが、その伝説のハリセン職人の、子孫やからやアアアア!!!」
 それにしてもこの、ノリノリである。
…!!」
「かんにんな、金ちゃん。貸したりたいのは山々や。でもこのハリセンは、家の血筋のもんにしか使われへんねや。」
、俺っ、俺ぇ…!!」
「かまへん。もう何も言いなや。ほら、練習、しといで?」
「うんっ!わかったでぇ!銀!練習!練習しよおおおおおお!!!」
 金太郎が涙をこぼしながらも駆けてゆく。悟りきったような、清らかな微笑で見送るがひとこと。
「…チョロいわぁ。」
 毒手を編み出したその直後の誰かさんも、同じ微笑で駆け去る金太郎を眺めながら同じように呟いたに違いない。
 誰か。ツッコミ。ツッコミ。しかしどちらかと言うならツッコミタイプ、忍足謙也については、もうすでにツッコみ疲れて本日の営業終了ガラガラであるし、財前光については関わるのもしんどいっすわ、との回答をいただいている。体力不足にやる気なし、日本のツッコミの、将来が心配である。
「よっしゃ!もういっちょ行くでえ!!」
「望むところやで師匠!」
「やったんでええええ!!」
 それ比べて、見よ、このボケたちの底抜けの元気のよさを。
 彼らの愉快な修行(と言う名のオンステージ)は、それからさらに小一時間続き――そしてそろそろ部活も切り上げか、という頃になってやっと、の満足げな頷きが見られたのだった。

 赤い夕陽が沈む。テニスコートで手を取り合いきゃっきゃとアフロと仮面がはしゃぎあい、ハリセンを担いだ少女が頷く。やはり異様な光景だ。
「これでこの夏の大会はいただきやねっゆーくん!ああっ!自分らの才能が怖いっ!怖いわっ!」
「ほんまやな小春!俺、今ならM1余裕で平らげられるわ!」
 ふたりの目がきらきらと輝き、も満足げに腕を組んでうんうんと頷いた。あたりは一帯拍手の渦である。テニ部ほんまおもろいわー、ちゃんええぞーもっとやれー、センキューセンキュー。これももはや日常風景なのが四天宝寺の恐ろしさである。
「「おおきに師匠!!」」
「なんの…礼なら…せやな。今度店ごとハーゲンダッツ買うたってや…。ほな、さいなら。」
「「高っ!!」」
 謙虚と見せかけてすごいことのたまったに、二人のツッコミも練習の成果も現れてか見事なシンクロ率である。
「ほなさいならちゃうほなちゃう!師匠!中学生相手にそのチョイスはないっすわ〜!」
「店ごとって僕ら石油王かっつーの!」
「せやせや冗談きついで!」
「ばっか本気にしなやー!冗談や冗談!」
「「そうやんねー!」」
 その気になればツコミもこなせる二人のようであるが、やはりなんとなく、つっこむ所が違う気もする。
 そんな些細な問題はどこ吹く風、笑顔でテニスコートへ駆け去ってゆく小春たちを手をふって見送りながら、はごく自然にいつの間にか隣に立っていたテニス部部長へと視線は向けないまま声のみをかける。
「ところで蔵ノ助さん、蔵ノ助さん。」
「なんでしょうさん。」
「ところでこれ、なんに向けての練習ですのん?」
「夏の中学校全国テニス大会。」
 その言葉に、初めては、少年のほうを見た。彼のほうは飄々と、いつもの調子である。彼の髪が、夕陽を反射してきれい。しかしそれどころではない。の耳が正しく機能していたのなら、いまとても、なにかとても大変なことを聞いてしまった気がする。たっぷり20秒は沈黙したのち、彼女はようやく言葉を発した。
「……アホな。…冗談、きついで…?」
 一縷の望みをかけて見上げた先で、彼が少し呆れたようにを見下ろしにかかる。
「冗談でこないなこと言うかい。…お前が言うたんやで。笑かしたもん勝ちや、て。」
 は頭上に金盥が落っこちてきたかのような衝撃を受けた。いや、ちょっと待て。
「いや、待て。ちょ、待とか。落ち着こう、うん、そうしよう、ヒッヒッフーヒッヒッフー、」
「別にここでまで律儀にネタ挟んでこんでええんやで。」
「いや、おかしいやろ。え?いつからテニスって異種混合お笑い格闘技戦になりました、っけ…?え?私が古いだけ?テニスってあれですよね?ラケットを使って球をこのひろーいコートいっぱい、打ち合うアレですやんね?」
「そのアレやね。」
 最後の希望も、あっけなく彼は叩き落し。
「…いや。なんや間違うてない?ほらほらァ!白石が知らんだけでテニスって他にもあるんかもよ?」
「…知っとる限りでは、ないわなあ。」
 もういっちょおまけのおまけの悪あがきですら笑顔で否定された。の顔が、表情をなくす。
「…。」
「…。」
 ひゅるりらと風が吹き抜けた。パコンパコンとコートからはテニスボールを打ち合う心地良い音が夕焼け空に響き。はそっと呟いた。心の底から。
「いや…。ないわ…。」
「そうか?…おもろくてええんと違うか?」
 白石が、ニカ、と笑ってそれからコートのほうを向いた。いや、ちょっと待て。一瞬、あ、ありか。とか思ってしまった自分が、は恨めしい。
「いや!ちょっと待てエエエエエい!」
「ありや!あり!はい!決定!!」
「いや!待て!あかん!なんや正常な判断くだせんくなってきたあかん!あっ!オサm違ったオサムちゃん!ちょ!こっち来なさい!いいからこっち来なさい今すぐ来なさいイイイイイ!!!」
「えっ!僕?いややぁだってちゃんハリセン持っとるやんそれで何するつもりなんえっち!」
「ごちゃごちゃぬかしとらんとはよ来てくださりやがりませ?」
「こわっ!こわ!顔怖いよちゃん!」
「いいからはよこんかい顧問んんんんん!!!!」


(或る顧問の受難/20090225)