今日が何の日か、君たちは知っているかね…?知っているだろうね?もちろん知っているでしょうともそうでしょうとも!健全な中学生男子がこの日を楽しみにしないはずがないそうでしょうそうでしょうそうでなきゃおかしい!バレンタイン?なにそれ別に興味ないけどみたいな顔しときながらも楽しみなんだろ?そうなんだろ?たくさんもらいすぎて困っちまうぜとか言い出すんだろ?素直になれよ、アアン?


「と、いうわけで!はい!」
 ものっそい笑顔で両手を差し出したのは、その人である。もちろん彼女の両手は空であり、その空の両手を差し出された手塚国光その人はとりあえず、手に手を重ねてみる。手に手を重ねる、などというとキャッ青春!という響きだがいかんせんこの二人の間にその動作を当てはめるとまさしくお手させる飼い主とその飼い主につきあってやる老犬そのものでしかない。まあ、例のごとく色気もくそもねえというやつであった。
「…、」
「…。」
 手を重ねあったまま、二人の間に沈黙が落ちる、ちなみにここがどこかというと、校門のドまん前であり、下校途中の生徒たちのヒソヒソというささやきと視線が常人であるならばなかなかしんどいはずの立ち位置である。
 手塚と?またあの二人だよ。こんどは何だよ。あれって愛なの?愛なのか?囁きは小さく波紋のように広がり、二人を取り囲むが、如何せん、この二人にあって常識とは海の彼方の藻屑にも等しく、それらの遠巻きな視線と会話にも負けるどころかおそらく気づくこともなく、しばらく沈黙は続いた。
「って違う!」
 ビクリと肩を震わせて手塚の手をソイヤ!と叩き落したのはだ。叩き落とされた手をちょっと残念そうに見つめる手塚。なぜ怒られたのかわからない老犬の姿が再びダブって見える。
「違う!お手違う!今日は何の日!フッフー!?」
「今日?…今日はボーカロイドのKAITOのたんjぐふっ!」
「そんなボケはいらアアアアアん!!!」
 スパアンといい音をたてて、手塚が張り飛ばされる。
 ドメスティックバイオレンス…?ドメスティックバイオレンス…!
 通り過ぎる生徒たちの瞳に怯えが混じる。しかし、彼らは気にしない。たとえここが、校門のど真ん中であっても。
「今日は!バレンタイン!バレンタインデーだろうがこのイケメンがアアアアアアアアア!!!」
 DVだ、DVだわ…。もはや取り囲むギャラリーを構成しつつある二人であったがいつものことなので毛ほども気にならないようだ。むしろ今まで、自分たちがそのような目線に晒されていようなど、この二人に関しては思いも寄らないことなのかもしれない。図太い通り越して神経が麻痺している可能性が否めないほどの図太さである。ぎゃあぎゃあと喚くに、手塚がちょこっと片手をあげて、どうどうと制した。
「…わかっている。落ち着け。ちょっとしたお茶目だ。」
 お茶目。その言葉が手塚の口から出たとなるとどうにもぞっとしない。これほどにお茶目という単語の似合わない中学生男子がいようか、いや、いまい(反語用法)。実際彼らの周りのギャラリーが、なんとなくいっせいに半歩後ずさる。
「こんなときにお茶目なんていらないっ!さあ!お出しなさい!よこしなさい!むしろくれ!ください!」
「…何をだ?」
「チョコをだアアアアアアアアア!!!」
 そっちか!!今まさにギャラリー全員の心はひとつになった。てっきり他の女からもらったチョコを出しなさいよ私以外からチョコを受け取るだなんて許せない許されないわ!腸引きずり出してやる!っていう展開になるかと思ったのに…おもしろくないな。途中からあからさまに不穏な単語を交えつつ呟いたのは下校中の某天才少年だ。いったい今日一日で何ヶ月分のチョコを稼いだのか、知りたいところである。違う意味で彼の周りの人間も半歩後ずさっているのだが、もちろん彼がそんなことを気に留めるはずもなかった。楽しそうな視線の先で、二人のやりとりは続く。
「さあ!よこせ!ギブミーチョコレイト!なんのためにあんたの友達やってると思ってんの!さあそのイケメンの恩賞を私にも寄越しなさいよオオオオオ!!」
 とっさに手塚にチョコレートを上げた女子は涙目である。しかしやっぱり動じないのが二人であり、手塚はゆっさゆっさと両肩揺さぶられながら、なんだチョコがほしかったのか、とひとり納得していた。その落ち着きようはやはり相当なつわものであるし、それ以前に本当にチョコのためだけに手塚と友達をやっているのなら、やはりも相当な猛者であった。
「ハッハッハあいかわらずみじめだな!!!」
 ざわざわと二人を取り囲む生徒たち、を割って飛び込んだ声は毎度おなじみとなりつつある彼のものと考えてまず間違いはないだろう。まだ入学してやっと1年が経とうとしている1年生たちの驚きと比べて、ああまたやってるな、という具合で二人の様子を眺めていた3年生の反応は、もはや孫とその友達を見守る祖父母のものとなりつつあった。1年生の驚きが『なんだこのえらそうな声は!?』であるならば、3年生の心境は『おや、また来たのかい?フォッフォッフォ。』のようなものである。青春学園で三年も学べば、キャパシティが随分寛大になるようだ。
「こンの癪に障る声は!」
 一部例外を除いて。
「ああ、跡部。」
 親の仇といわんばかりの形相で振り返ったに対して、手塚はごくごく普通に、やあと片手を挙げた。それに若干涙目になりそうだった、ゴージャスな…お前ほんとに中学生か以下省略跡部景吾その人は、ほっとしながら片手を上げ返す。心なし背景に花が飛んで見えることには目を瞑るべきだ。他校の校門前にリムジンを乗り付けておきながら、すでに出来上がっていたギャラリーに動じることもなく悠々と騒ぎの中心に向かう彼もまた、普通ではないのである。手塚とのギャラリーに対する動揺のなさはただ単に気づいていないからであるが、跡部の場合は単に慣れているのである。むしろ彼の場合、ギャラリーがいないほうがむしろ調子が狂うのかもしれない。群集(と書いて一般庶民と読む)の中にあって彼はますますいきいきと輝き、その前に手塚とという数少ない友人(と書いて話し相手と読む)を置いてますますその輝きを増した。輝き当社費3割り増し、決して頭部的な意味ではない。
「お前ら毎年飽きねえもんだなア?手塚、言ってやれ。お前にくれてやるチョコはないと!」
 大げさな身振り手振りで、なぜそんなに嬉しそうなのか。フハハハハと笑う彼をの位置から見るとちょうどアオリの構図であり、大変に腹立たしく映る。
「いいじゃんかくれたってー!跡部じゃないんだから手塚はそんなケチじゃないやい!ねっ!」
「ねっ!っておま…!!」
 ちょっとかわいらしく小首を傾げたに対して、跡部が涙目になる。お前、俺にはそんな態度一度も…!ねっ!と言われた張本人――跡部と二人の視線を同時に受けて、手塚が首を傾げる。
「だが人からもらったものを勝手にあげるというのもな。」
 その口から出た言葉は、それはそれはまともかつ真面目であった。手塚にチョコを上げた女子は先ほどとは違う意味涙目である。
 それを他所に、手塚がまともなことを言っている…!と衝撃を受けている二人になんでやねんとその他大勢の生徒が思わずいっせいに突っ込みかけたのも詮無きことであろう。しかし今更何を言っても仕方がない。だってこのトリオ、揃うともうどうしようもないんだもの。
 固いこと言わないでよおおおと手塚に絡みにかかったの背後で、跡部様専属SPの皆様が動き始める。今年は逆チョコが流行ということだそうで、彼もまたチョコなど用意してみたりしてしまったわけである。すでに彼の車の後部座先およびトランクはチョコの洪水となっているが、その用のチョコはしっかりジェラルミンケースで保護されていたので圧死することはなかった。用意がいい俺様!と悦に入る彼はやはりずれている。
 まあちょっと奮発してフランスのパティシエにチョコを作らせたりしてみたりしちゃったわけだが、もちろんが好きだとかそういうことじゃねえそういうことじゃねえよただこう貧乏でいいチョコも食えないかわいそうな庶民のにまあバレンタインデーという本来ならば男性から女性に感謝の気持ちをこめて贈り物をする今日にまあ別にに感謝することなどひとつもないというかむしろ感謝しろというのが本音だがまあ恩を売っておくのも悪くないというかに恩を売ったところで一銭の得にもならないがまあ優しくしてやるかってことでチョコ用意した俺って優しい!という跡部的言い訳が現在彼の頭の中では渦巻いている。
 それをそのままノンブレスで言い切ってチョコをケースごとの頭ソイヤ!とブチこみ渡してちょっと乙女チックに恥ずかしがりながら去る、というのが彼の中学三年間でもはや年に一度見られる恒例行事となりつつあった。おかげで的にはバレンタインの跡部=鈍器である。そいつは親の仇みたいな目でにらまれても文句は言えないがそのへんの空気は読めないのが跡部景吾が跡部景吾たる所以である。
「まあ手塚もそう言ってんだ、諦めるんだな――と言うにはかわいそうだ!というわけで俺様がじきじきにまあ別にテメエのためじゃねえがちょっと用があったついでにフランスのパティシエに作らせたチョコが偶然にもこんなところに――ってお前ら聞いてる?」
「あ、ごめん聞いてなかった。」
 きょとりと振り返るの手にはチョコである。隣で同じく聞いていなかった、と頷く手塚の顔が跡部には一瞬見えなかった。なんだこれ視界が滲んできやがったぜ!
「毎年くれくれと言われてあげないのもなんだからな。母がそれを聞いて、なら今年はこれをあげるようにと。」
「ありがとう手塚ママン!」
 愛してるー!手塚の家の方向に向かって愛を叫ぶ。手塚母を知る人間は、確実にその空に『今年は逆チョコがはやりなのよー。』とおっとり微笑む彼女を見た、気がした。
 やれやれと解散しだしたギャラリーの哀れみの視線(一部嘲笑)を背に負いつつ、ジェラルミンケース片手の跡部の乾いた笑いばかり響く。たとえ今から再び長い言い訳を駆使してそのお高級なチョコレートを渡してみたところで、さっそく手塚(母)からのチョコを開けて、おいしいねえ、なんてのんきに笑っているが、跡部にホワイトデーのお返しをすることは、まず、天地がひっくり返っても、ない。


(完璧な防寒対策・番外編/20090214)