白い花が水天井をあわといっしょにたくさんながれていった。
頭上を流れる雲のような波をふたりはぽかんと見上げてじっと黙っていた。
足下の白い透明な砂粒には、青い網もようが伸びたり縮んだりしながら北へすぎていく。
時折花の影が、大きく伸び縮みしながら同じようにすぎていった。
青い水の底に、仄かにきらきらと輝きながら、塵が堆積していく。雪のように、花のように。

気がつくと少女の肩にも髪にも、まつげの先にも、積もっていた。それはひどく優しい重さで、彼女は砂に膝をつきそうになった。
あたたかい。
そのまま倒れこもうとした時だ。
すぐ隣りにいた少年が、彼女の腕を今にも泣き出しそうなひどく必死な表情で掴んでいた。きれいな顔に、縋るような色が浮かんでいる。
「どうしたの?」
少女は尋ねた。首を傾げた時に、積もった光がさらさらと零れ落ちた。
少年は一生懸命首を振る。
彼には言葉がないのだ。
それでも彼は、必死に立てと言っていた。
なんだか放っておけなくて、彼女は眠気を振りほどいて立ち上がった。
立ってみると、少年は少女と同じくらいの背をしていた。白い肌に青い光がちらちらと揺れていて、とてもきれいだ。

少女が立ち上がったので、彼は安心したようにわらった。
わらうとこんなにおさないんだ。
なんだか悲しそうな顔をしている彼がわらうと、彼女はうれしくなる。
「君の名前は?」
少年は、首を傾げて、喉を右手で覆った。
「え?」
少女が尋ねると少年はもう一度、困ったように首を傾げた。その笑みにあっと少女は気がついた。
「聞こえないの?」
ゆっくり大きな口で発音すると、少年は頷いた。彼は聞こえず話すこともできないのだ。
「き み の な ま え は ?」
ゆっくり尋ねながら、少女は首を降って積もり積もった光をすべて払い落とした。そうしてみるとすっかり目が覚めて、少年がゆっくり口を動かすのを読み取ろうとその口元をじっと見つめた。
「え み り お。エミリオ?」
少年が頷く。
そういえば、エミリオには光は積もっていない。彼はただ、天井から落ちる青い光の影を白過ぎる肌に映しているだけだ。

次々鬱陶しく積もってくる光を手で払い退けながら、少女は尋ねた。
「君、どこから来たの?」
少年は首を振る。
「わからないの?」
また首を振った。
そこで彼女は、はたと自分はどこから来たのだろうと思い至ったが、それより、この子の方が心配だ、と考えてその疑問をしばらく忘れることにする。

「帰り道がわからないの?」
泣きそうな笑顔で、エミリオはやっぱり首を振る。わけがわからない。
「帰りたくないの?」
どこから来たのか、わからないけど、私は帰りたいと思うよ。
少女は呟きながら、エミリオを見た。彼は口だけぱくぱくと動かした。
「か え れ な い?」
彼は初めて頷いた。
帰れないんだ。だからこんなに悲しそうで泣き出しそうに途方に暮れているんだ。
なんだか彼女は腹がたってきた。すっかり諦めきった彼にも、ここがどこだかすらわからない自分にも、そもそも自分が誰だかすら知らないのだ。
「そんなことってあるか!そんなの、嫌だよ。帰ろう!君はどこから来たの?私が送っていく!」
有耶無耶な感情を吹き飛ばすように、少女が声を張り上げた。

その台詞に今度こそエミリオは泣きそうになった。自分という記憶をなくしても、彼女は変わらない。自分は馬鹿なことばかりしてきた。だから、声も音も失った。眠ることは、許されず、忘れることすら、許されない。

「帰れないなら私が帰してあげる。だから、ね、そんなに悲しそうにしないで」

今度こそ、少年は、リオンは、エミリオは泣き出した。つうっと涙が頬を伝ったのを見て、だった少女は酷く慌てている。
「泣かないで」
少女の指がエミリオの髪を撫でた。それが酷く優しい動作だものだから、エミリオはますます泣いてしまう。

すまない。
そう言いたいのに声がない。
エミリオは使えない喉をふり絞った。千切れるほどに痛かった。エミリオは痛みに悶え吐きそうになる。少女の手のひらが静かにエミリオの背中をさすりながら、大丈夫大丈夫と歌っている。

「大丈夫、きっと帰してあげるから」

それは自分こそが言う台詞なんだ。
を帰してやりたい。真っ青な静寂と白い安穏の光に満ちた世界。こんな世界じゃなく、お前を、鮮やかな光がとぐろを巻く、あの、混沌とした美しく汚らしい世界に帰してやりたいのに。
僕にはここすら、似つかわしくない。僕がここにいられるのはや、ルーティーや、マリアンや、そう言った人々がリオンの罪を祈ったからだ。だから、ここにいる。赤く燃え続ける大地とその炎に黒く焦げた空。呻きと嘆きと慟哭と。失われ続ける記憶に苛まれ、眠ることもできない。そんな世界に行くべきだったんだ。だのに。

エミリオはただ涙を流し続けた。青い水の中に、それは透明な宝石になって浮かび、下流へ流れていく。少女がそれに手を伸ばして光に透した。
「わあ」
感嘆が漏れる。
「見て、」
少女がわらった。
「ほら、きれいだねぇ」
ふにゃりと笑うその表情にエミリオは涙を引っ込めてしまった。そして大きく頷く。
噫。とてもきれいだ。

水底のトゥッティ