「なにを していたんだ。」
エオメルはすこしとがめるように聞こえる調子でいいました。本人にそんな気はまったくないのですが、女の人にどんなふうに話しかけたらいいかよくしらないのです。(だって妹と女の人はちがいますから。)ですからつい、兵士に話しかけるような口調になってしまうのでした。
「風を、」それでもその人は、エオメルのしかめっつらなんてまるで気にしないふうにほほえみました。
「風を見ていました。」
視線の先の草原は、海面のように揺れております。その先には、豊かに緑青の森が座しており、遠くに霧降山脈がうっすらと見えます。
「風?」
エオメルには、緑の草や木は見えても風なんてちっとも見えません。それでも彼女が見ているという風を見極めようとエオメルは草原と森の境辺りをじつと見つめました。
やっぱりなにもみえません。
難しい顔をして、目を凝らすエオメルを見て、その人は小さく笑い出しました。
「…風など見えないが。」
エオメルがほんの少しすねたように言いますと、その人はなお笑いながら、草原を指差しました。
「見えますよ。」
やさしいやさしい目をして、その人は言います。
「ほら、風がいきます。」
どどう、と風が吹いて、草原に波紋を広げます。海のようだ、エオメルは思いましたが口には出しませんでした。風は森に到達して、緑の梢を揺らします。黄金の糸でかがったような木漏れ日が、ちらちらと揺れます。
これが、風のかたち。
「ほんとうだ。」
小さく呟いたら、その人がうれしそうににっこりとしましたので、エオメルもかすかにほほえんで、それからふたりは、こっそりと手を繋ぎました。
真昼の人魚
20070401