「エルフの業物だって?」

 ニヤニヤと笑いながら、酒場の男たちは小柄な旅人と席を囲んでいた。
 少し古風なその旅人は、きれいな西方共通語を話したので、白き都の人かと思われた。まだ青年期にも達しきっていない体つきは華奢で軽そうだ。しかしスラリとしなやかでいずれも無駄がない。突然の雨に降られたのだとチラリとだけフードの下から見せた笑顔はまだあどけなく清らかで、少年とも少女ともつかない涼やかな顔立ちのわりに、人懐こくよく笑う。一瞬しか見えなかったがその顔はひどく美しかった。
 にこにこと始終人好きする笑顔の旅人の周りには自然に和やかで友好的な陽気な宴会の場ができあがっていた。

「どこから来られたんだね?」
「東の方から。」
 旅人は愛想良く丁寧に返事を返す。
 それもまた、この旅人の周りに人が集まる理由だ。
 平和なこの時代となっても、旅人は貴重な情報源に変わりない。酒の肴になる話をいつだって人間は探している。闇は一掃されその影すら見ることは久しく、街道も美しく整備され、そういった時代に剣を提げ旅をする人間というのはめずらしい。騎士でもなければ、大抵剣を持たない。南方へでも言ってきたのだろうか。小さな旅人ひとりにどれだけの冒険談が詰まっているのか、人は考えただけでわくわくするし、聞くだけで満足する。

 良い剣を持っているな、そう珍しく無口な鍛冶屋が声をかけたので、旅人は酒場中の注目をさらに一身に集めることになった。
 エルフの業物です、と言った秘密めいた笑みが、いつになく彼らを若々しい気分にさせた。
 そういった古い話は、少年の折り誰もが憧れたものだから、ついもう若いとはとても言えない年になってもわくわく してしまう。
 遠い話だ。エルフにドワーフ、竜、指輪に滅びの山、暗黒の王。小さな人、魔法使い、そして希望の王と夕星の妃。
 もはや過去は遙か遠く高く霞みそれらは神話の世界であった。今となっては白き都の冠と木のみが昔を知っていた。


「本当ですよ。」
 旅人はにっことほほえんだ。
 まだ若い旅人に、寝物語に父の母の語る話を信じて待った幼い自分を思い出して、男たちは少しひげたような笑みを浮かべた。旅人はそれらを信じる年よりは成長して見えた。

「ほほう!どうだね我が町の鍛冶屋殿はこれをどう見られる?」
 仰々しい手振りで笑いを誘って見せた男に、鍛冶屋は、見たこともない良い剣だ、とだけむっつりと言った。ぐいとビールを仰ぐ咽が大きく鳴る。
「こいつを唸らせるとは大した剣だなあおい!」
「ああ、骨董にしか見えんが。」
 男たちが笑う。旅人は付き合い程度にほんのりとほほ笑んだ。
 深い緑のフードの下で、黒い髪が少し揺れる。旅人はフードを下ろしはしなかった。
 どうせ通り雨だ。すぐにも発つつもりらしかった。

「あんたこれをどこで手に入れた?」
 鍛冶屋がじっと旅人の手元に戻った剣を見つめたまま唸るように呟いた。
「我が家に古くから伝わるものなのです。」
 なるほど由緒正しい旅人と言うわけだ、相槌に笑いが飛ぶ。

。これはあんたの名前かい?」
 剣の鞘に彫られた一文字一文字たどたどしく記号を辿って訊ねた男に、旅人は素直に驚きと親しみの色を見せた。
「ええ。ルーン文字をお読みになるのですね!」
 おお、と野次とからかいじみた賛辞の声があがる。よせやい、と男は首の後ろをかいた。
「細工師やってりゃルーンくれぇ誰でも読めらあ。」
 親方に嫌っつうほどしこまれたんだ、そう言った細工師をはからかいもしなければ卑下もしないで、立派な御師匠をお持ちだ、と素直な賛辞をよせた。
「今時分ルーンの意味も知らず伝統的な装飾としか知らない細工師も多い。素晴らしいことです。」
 その丁寧な言葉は村の男たちにはこそばゆくって、へへへへ、とふざけた笑みを返すくらいが関の山だった。

「エルフの業物にルーン文字かい?」
 揚げ足取りの野次に旅人がほほえむ。
「鞘は新しいものですから。」

 それは真実かもしれなかったが嘘かもしれなかった。エルフの業物だなんて誰もが冗談ととっているこの状況で はどちらでも対して変わらない。だって彼らはもう家へお土産をひとつ手に入れたのだ。今日はエルフの業物を持ってるなんてふざけた野郎が酒場に来たんだ、きれいな顔してたし若いのに奇特なこってぇ、これで三日は話題に事欠くまい。彼らはそれだけで満足だ。
 それだけで。


「エルフねぇ!そりゃきれいだったんだろうなあ!」
「…そうでしょうね。」
「遙か東の園の神々ねぇ!」
「遠い遠い伝説さ。ガキに毎晩話してやった。我らが希望王エレストール!」
「おおうるわしのウンドミルよ!」
 しなをつくり英雄にしなだれかかる男に笑いは最高潮に達する。がははと男たちは笑うとジョッキを仰いだ。旅人は俯いてぎゅっと剣を握りしめている。

「エルフは本当にいたんです。」
 小さな声は誰にも聞こえない。

「伝説は史実なんです。」
 言葉は本当には届かない。



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20070513/