どうしてエルフはいないのだろう。どうして彼らは去ったのだろう。
平和が訪れ彼らは去った。許されたのだろうか。本当に、東の岸に着いたのだろうか?
あまりに遠く、昔のことで、そして遠く遥かの出来事で、誰も知らない。だあれも知らない。例えば希望の王ですら、彼らの旅路の行く末は、決して知るまい。知らされまい。
彼らのみ知る、旅路の果てを。
は知りたかった。
宿を出て、山道を登ってゆく。
うっそうと茂る木々も、彼女には害にはならなかった。
暗い夜も、雪深い雪原も、彼女には優しかった。彼女が歩いても花々は潰れることはなかったし、沼地はその足を引きずり込もうとはしない。雪はまるで彼女の重さを知ろうともしないし、夜闇に道を敷くように星明りは降った。
それは便利なことではあったろう。
しかし、すべては、彼女をいっそう孤独にするだけであった。まるで感じられない自分の重さに、彼女はいつだって心細くて仕方がなかった。雪原を歩いても、足跡が軽く着くだけで風にすぐ掻き消えた。花畑は、まるで彼女の存在を知らないようにすら見えた。やわらかな夜闇は、彼女を避けて通る。星明りは、彼女を他から際立たせ、その孤独の輪郭を浮き彫りにした。
両親も友人も、ついにはいなくなった。老いて干からびた父親の手、悲しみに死する種族ならば、なぜ、自らを知るものがひとり残らずいなくなったあの瞬間に消えてしまわなかったのか、には良くわからない。しかし消えてしまいたいのかと言われれば答えは否だった。
は探していた。自らが何者であるのか、なぜ取り残されるのか、その意味を。
は自らのことをおそらくエルフであると言うことしか知らない。
生まれたときから、彼女はエルフだった。
濃くエルフの血を引くと、言われる彼女の家柄は、彼らの住まう城と同じに古いものだった。
黒い髪、僅かな予見の力。大抵のものが、個人差はあれエルフの力を引いていた。しかしある雪の日、生まれた娘は特に、色濃くエルフの血を表していた。娘の耳は尖っていたのだ。ぴんと尖った耳の先。淡い星明りにくるまれて、娘は生まれてきた。その目は不思議な茶色の虹彩が、光の具合で銀にも見えた。娘はと名づけられた。。それは美しい子供だった。
書庫に眠る文献を紐解けば、何世代かにひとり、稀ではあるがエルフの形に良く似た姿で、生まれてくる子供があった。けれでもそれらの子供たちは、皆10を数える前に死んでしまう。そう書かれていた。
両親は娘をもちろん愛した。薄命の娘、遠い昔の先祖の姿をなぞらえたうつくしいこどもを。
しかしは10まで生きた。そしてその後も生き続けた。
エルフの美、エルフの耳、エルフの歌声と身の軽さをもちながら、彼女は人間の目をしていた。病気はひとつもしなかった。些細な怪我は翌日にはなかったことのようにすぐ癒えた。やがては、目を閉じて眠らなくなった。目を開き、心を空に憩わせて、眠ることができるようになった。
は人から離れてゆく。
弟の耳は丸かった。母のものも、父のものも。
そうしていつか、は恐れるようになったのだ。
いつか。
いつか自分だけが置いていかれるのだと、彼女は気づいてしまったのだ。壮年期に入った弟の朗らかな笑みを見てからというものそれが頭を離れない。
そうして彼女は唐突に気がついた。
父の髪の白くなったこと、母の手の痩せて骨ばったこと。
(この人たちは死んでしまうのだ)(私を置いて)
ここにはいられない。
は家を出た。自由ではあったが彼女はひとりだった。戻るつもりはなかった。
思えば幼い頃からがエルフや古い物語に夢中になったのは当然のことだったのかもしれない。自分の"仲間"は、文字の中にしかもはや存在しなかったから。学ぶことは楽しくて仕方がなかったが、どこかで感じていたのかもしれない。その意味を。
黄金色をした木々の合間をは進んでゆく。振り返ることはない。
家を出てもう50年が過ぎようとしていた。
(どうしているだろうか。)
時折は思い出す。
姉さま姉さまと笑って後を走った小さな弟。母の子守唄、父の大きな手。
しかしきっと二度と帰ることはない。
落葉がきらきらと西日に光った。
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