は長い黒髪を三つ編みにして後ろに長く垂らしていた。薄い紫のドレスの裾が、陽炎のように風に流れて溶ける。緑の芝生の上に膝を抱えて座り、背中に三つ編みを垂らし服の裾をひらひらさせて、木々からこぼれる光を見ている。
 鳥が鳴いていた。遠くで蹄の音がする。エルフである彼女の耳には、とても遠くの音が拾えた。
 誰かくる、と彼女は考え、膝を抱え直し肺の底から息を吐いた。ゆったりと落ち着いていた。
「誰かくる。」
 悪いものではない。同類――と形容していいのかいまだに彼女は迷った、エルフの足音だ。軽く、水の上を踊るような。が小さく呟くと同時、目の前の茂みがガサリと揺れた。
 目をあげると美しい娘が経っていた。すべてが美しく整った娘だった。その尖った耳の先を見るまでもなくエルフの、その中でも最上級の美しいものであることは見てとれた。
 まるで御伽噺のように彼女の周りに広がる美しい世界に、は一瞬他のことを忘れた。彼女をとりまく星明かりに、惚けたように見入っていた。それほどにこのエルフは、美しい。神代の夢が舞い降りたかのようだ。
 驚いたようにほうけたままのに、とても優しい笑みを浮かべてそのエルフが微笑んだ。
「あなたがですか?」
 その声まで、透き通るように美しい。それをなんと形容すればよいのだろう。たとえかの不幸な伶人ですら、それを表す詩など浮かばないのではないだろうか。それともその妙なる指先が奏でる音こそ、その美しさを語るだろうか?
 いつまでも口をポカンと開けているに、その麗しい人は声をたてて笑い出した。笑うとその透き通った眼差しは影を潜めて、随分あどけなく愛らしく映る。その陽気な、しかし控えめな笑い方にはまた見惚れた。
「お父様の言う通り…、あなたは人の子のよう。」
 くすくすという声と、目の前に現れた美しい顔に、はぎょっとしてやっと我を取り戻した。夢ではないのだ。
「あ、え、あの、」
 おたおたと視線を泳がせ頬を染めたに、その人はまたうっとりとするような微笑を浮かべた。酷く優しい笑い方で、なぜだか母を、思い出す。
「私はアルウェン。アルウェン・ウンドーミエル。エルロンドとケレブリーアンの娘です。」
 あなたと同じね、と少し悪戯っぽく目の前で細められた目玉には驚きに息を呑んだ。アルウェン、名前は知っていた。ここに来る以前から。ここにきた後も。
 その間にも彼女はの前に優雅に腰を下ろすと再び微笑った。
「初めまして私の妹。」
 あなたに会えてとても嬉しい、だって私はずっと妹が欲しかったのですもの。
 そう言ってアルウェン、その人はの髪を撫でた。黒い髪、銀の目、私たち良く似ているわ、そう思わない?は驚きと身に余るような言葉に口をぱくぱくさせるばかりだ。
「兄様たちったら、が私の小さな頃にそっくりだと言って。」
 おまけに私より素直でかわいい、だなんて。ふふふとちっとも気にしていないようにアルウェンが微笑む。本当にそっくり。そう言って嬉しそうに目を細める。
「私たちきっと良い姉妹になれるわ。…そう思いませんか?」
 きゅっと握られた手のひらに、がいっそう慌てる。けれどそれを治めるように、アルウェンが優しく微笑むものだから、一度空気を飲み込んでから、ゆっくり彼女は口を開いた。その目を大きく開いておどおどした様子は、アルウェンに小さな鹿の仔を連想させて自然頬が綻ぶ。
「本当に…そう思われますか?」
 もちろん、と返された言葉に、が眉尻をほっと下げてとろけるように笑う。それにアルウェンがますます優しい笑みを深めることを彼女は知りもしないで。



07.Venus
20080822/