挨拶が思ったよりも長引いた。小さな宴はもう終わったようで、次はあなたの歓迎の宴をしますよ、と双星の王子たちが愉快そうに笑って準備に駆けて行った。夕餉はきっと素晴らしい宴が催されるのだろうな。彼は少し笑って、そのままのんびりと歩みを進めた。
 レゴラスが来たことはもうこの舘には知れ渡っているのだろう、慌ただしく準備をするものたちの、おしゃべりと足音が遠く聞こえている。
 それに対して黄昏色した森は静かで、彼は無意識のうちにあの歌声を探していた。
 ――透き通った沢の水のような。
 赤いチョッキを着込んだ小鳥が、灰色の目をくりくりさせてこんにちはと歌う。少し手を差し出してやった彼に、その小さな紳士は軽い羽をはばたかせてその白い指先に止まった。喉をふるわせるような囀りに、彼はエルフの言葉で話しかけてやる。
 ――素晴らしい歌声だ。
 光栄なお褒めの言葉に、ピルルル、と得意げに、小鳥は首を傾げ、
『あなたはあの歌声の主を知っている?』
 その言葉にクルルと笑ったようだった。揺れないように静かに歩く彼の金の髪に、緑の光が落ちる。地面に落ちた斑模様は光と影のダンス。彼の名と同じ、緑葉を透かして、黄昏の森も今日ばかりは明るい春の色。あちらこちらで花も咲いて、鳥の囀りが響く。小鳥は彼の、少し前の枝から枝へ、進んでゆく。ときおり彼のほうを振り返る仕草は、ついていらっしゃいとでも言うようだ。木の根は彼が躓かないようにそっと地中に隠れ、茂みは道を明ける。そして若い枝は、そっと違う森のエルフの髪を絡めないように優しく、けれどもその好奇心を抑えることはなくその緑の指先で触れた。彼のために森が道を開く。彼がエルフだから。神々に愛された種族だから。彼にはそれが当然で当たり前だから、不思議に思ったことはなかった。恩寵が降り注ぐのも、花が自らの重みに潰されないのも。
 ふいに森が開けて、明るい広場に出た。自然にできたそのぽっかり開けた空間は、光がたっぷりと差込み、白い花が幾つも咲いている。着きましたよ、と小鳥が歌う。花畑には誰もいない。白い花が控えめにようこそ緑葉の君と揺れるだけ。美しい広場だ。しかし得意げに胸を張る小さな鳥に、どう返せばいいのかしら。
 どうせ宴の席で会えるだろうから、(なにせ双りの王子は「宴のときに!」「妹を紹介します!」と言っていたし)かまわないか、と彼は広場の真ん中へ足を進める。風がやわらかくうずまき、彼の髪を揺らした。開けた空には雲はひとつもない。やさしい百群。あたたかな春の風。
「待って!」
 声がした。西方語だ。エルフの里で珍しいこと。
 目を見張ってとがった耳をぴんと動かした彼に、ガサリと反対側の茂みが揺れる音がした。振り返った先に飛び出したのはまだ若い牡鹿。やわらかそうな丸い角の形。賢そうな目が、人懐こそうにレゴラスをみとめて笑う。こんにちは、と牡鹿のなんだか楽しそうな笑いに首を傾げた彼の肩で、小鳥が答えるように鳴く。
『知り合いかい?』
 小鳥がなにか答える前に、カサ、と軽い音がした。エルフだ。
 音に続いて飛び出してきたエルフに、森がぐんとやさしく雰囲気を変えてほほえむのを、レゴラスは少し驚いて見つめた。幼い子供に対するような、その空気。白い花が微笑む。なにも恐れなくてよいのですよと。
 レゴラスの存在に驚いたように胸の前に両手をやって立ちすくむ娘エルフをみて、彼はああと納得する。びっくりしたような、少しばかり不安げなその表情。初めて見る顔だ。美しい黒髪。たしかにこれは。彼女の様子に、そっと笑って彼は首を傾げて見せた。足元の花を同じに。
 肩で小鳥が、ほら言ったでしょう、と笑った。




11.spring band
20090328/