漣のようにゆれる緑の光の中に、同じようなざわめき。笑い、さざめく楽しげな声は、初夏の緑と同じ色。 「レゴラス殿はお幾つになられるのか?」 黒い髪の男が訊ねて金の髪のエルフが首を傾げる。 「ええと…つまりそれはあなた方人の時間で?」 「そう。我々人の時間で。」 と人間の男が屈託なくわらった。丈高い丈夫らしい深い声音。無精ひげを自由に生やしたままの男は遠くヌメノールの血を引く一族のものである。彼はこの裂け谷の近辺をオーク狩りのためよく通る。必然的に双りの王子とは親しかった。今日も偶然通りかかって挨拶にと王国へ立ち寄った彼は、案の定彼らに捕まり、宴に招かれている。 くたびれたままの黒い旅装束の彼は、まるでエルフたちの中にいてなんて場違いだろう――と普通は思われるのだろうが、しかしなんでかどうしてか、そうさせないだけの堂々たる威厳と言うのか、不思議と馴染む姿をしていた。滅びる定めの人の子において、長寿を約束された一族の彼は、もうすぐ齢93を数えるのだという。通常の人間でいうところの、まだ浅い壮年期にあたる―――彼らの壮年期は長い。知恵も体力も精神力も、もっとも豊かに円熟した時期である。90に近い人間の落ち着きと、3・40代の強い力を持ち。青い海の底のような、黒い目で笑う。 ベレスーリオン 彼は、エルフたちからは親しみをこめて"勇敢な風"と呼ばれ、町の人間たちには他の野伏せたちと同じように不吉な意味をこめて"黒き風"と囁かれていた。そしてその真の名はロヴェリオンと言うのだという。どの名でお呼びすればよろしいですか、と訊ねたレゴラスに、「私の名前は実はそのほかにもいっぱいあってな。好きなもので呼んでくれ。」と楽しそうに笑ったロヴェリオンは、にこにこと杯を重ねてゆく。そんな彼にレゴラスは自らの年齢を、多分二千と八百と二十三くらいだと答え、人間の彼になぜか目を丸くして笑われる。下二桁くらいにしか見えないが、としみじみ頷く彼に、エルフとはそういうものだと告げると、それはその通りだとやはり笑みを含んだ返事が返ってきた。 「"アルフローリエン"にはもう会ったかい?」 眉を片方、持ち上げてなんとなくからかうように囁かれた名が、彼には分からなかった。 アルフローリエン 「"白鳥の夢"?」 鸚鵡返しに首を傾げたレゴラスに、「一番下の姫のことだ。」と彼が器用に右目だけつぶってみせる。先ほどあったばかりの娘を思い返しながら、おや、とレゴラスは首を傾げた。彼女の髪は黒く、瞳は銀。確かに色は白かったがその白が抜きん出ているわけではない。鳥、というのはむしろぴったりだ。雰囲気が、ということだろうか。しかしその白鳥という単語に首を捻る彼に、ロヴェリオンがまた笑う。 「エルロンド卿が夢を見たそうだよ。彼女が来る前に。」 「それで夢ですか?」 「彼が言ったそうだ、彼女を見た時に。"夢が来た"と。その夢の名は、とグロールフィンデルが尋ねた。彼は答えた。"白い鳥の夢"。」 一瞬不思議な感覚が、レゴラスを吹き抜けていった。白い鳥が、水面に静止している。静かな眼差しの色は銀。こちらを見ている。一瞬の夢。はっと気がついたときにはにぎやかな宴の中。当のは兄たちに両脇を固められて控えめに、けれど楽しそうに笑っている。 「それがいつの間にか広がって…森の奥方がその名を気に入ったらしい。彼女がそう呼び始めて二年ほどロリエンにいた間にすっかり定着したわけだ。」 そうなんですか、と頷きながら、彼の瞳の中に星明りのほかに白鳥が一羽、映りこんでいた。エアレンディルを求めて飛んだ、彼女もあの一瞬の幻のように美しかったろうか。彼らの息子であるこの国の主は先見の明がある。その彼の夢に降り立った白鳥の意味は、なんなのだろう。しかしそれは、考えても仕方のないこと。 エルフと人間の二人組みに、見られていることに気づいたのだろうか、ふと顔をこちらに向けたと目が合い、レゴラスは微笑を返した。永遠に近い生を持つ彼らにすら、未来は朧に霞んた月のように遠く、掴みがたいものだったのだ。 |
13.a swan song |
20090505/ 補足 勇敢な風:beresulion(以降ベレスーリオンと表記) ロヴェリオン:翼の息子→意訳として『風。風の息子。』rovalion→roverion 発音がaのまんまだとイマイチなので勝手に語形変化 alphlorien;アルフローリエン白鳥の夢(の娘)。 |