『ロヴェリオン殿!』
 それは突然に、幻の中に迷い込んだかと思った。その次には、春の精かと思った。
 緑の中、光が輝いている。

『おや、姫。もうすっかりエルフ語が板についたようだな。』
『ええ!もう貴方に馬鹿にされません。』
 まず彼の連れは、現れたエルフの美しい娘にポカンと口を開け、それからその娘とまるで旧知の間柄のように笑い合う叔父にさらに呆然とした。
『お手紙は届きましたか?』
『あなたの兄君たちの盛大な文句と嫌味がおまけについてな。』
『まあ!』
 少女のようにくすりと笑った娘が、彼に気がついて首を傾げた。さらさらと黒い髪が肩からこぼれて、それすらも夢のように美しかった。
 実際彼は幼少期を裂け谷で過ごし、何人ものエルフに出会い、共に旅をしたこともある。しかし目の前の娘の美しさは、それらの中でも群を抜いているのが比較的肥えている彼の目には明らかにわかった。どこか儚げな、花のような風情である。まだあどけなさを残すその顔は、エルフにしては表情豊かだ。まだ幼い―――そう思いいたって彼は内心息を呑む。エルフの子供など、見たことがなかった。子供と呼ばれる齢は、もうとっくに通り越しているようだが、まだ完全に発達しきっていないような頼りのなさが見てとれる。そのようなエルフを見るのは初めてのことで、彼がますます目を丸くすると、その眼差しに対して不思議そうに、娘が首を傾げた。
 星明かりを満たした銀の瞳が、まっすぐ彼を見る。

「…あなたがアルウェン姫?」

 そう唖然としたように尋ねられた言葉に、娘は目を丸くして伯父と顔を見合わせ、それから二人揃って笑い始めた。すぐに自分の発言が的外れだったことを悟って、彼が耳まで赤くなる。
「アルウェンと間違われるとは光栄です、」
 きれいな西方語だった。
 くすぐったそうに笑いながら、娘が目の端にたまった涙を拭う。伯父のほうは笑いっぱなしで、お腹を抱えている。
 娘は居住まいを正すと胸に手を当ててエルフ式の礼をした。
「私は・アルフローリエン。アルウェン・ウンドーミエルの義妹(いもうと)です。」
「妹姫…。」
 彼は目を丸くした。
「エルフ随一の美人と間違われて、悪い気はしないな。」
「ちっともそんな風に思ってらっしゃらない癖に!」
 叔父の言葉にムッと口をとがらせる様子はその年頃の人間の娘のようだ。ますます珍しいことだと目を丸くするかれの隣で、叔父が居住いを少しばかり正す。

「彼の名はアラソルン。アラドールと我が姉ウィルワリーアンの息子。次期ドゥネダインの族長だ。」

 自分から名乗る前に紹介されてしまい、なんとなく手持ち無沙汰だ。そうだったのですねと微笑したに、彼が『初めまして』とエルフ式の礼と言葉とを返す。
 ロヴェリオン以上に流暢な言葉遣いと仕草とに、が目をまるくすると、その思考の先を読むように、「族長の子は幼少期を裂け谷で育つのでな。…なんだお前、二十歳になるまでいたくせにアルウェン姫に会えなかったのか。」
 もったいない、と見下ろされ、ますます彼が眉間にしわを寄せる。
「…叔父上、」
 まじめなやつなんだ、と肩をすくめた叔父に、娘がくすりと肩を竦める。
『今日はお二人はどのような御用です?』
『エルロンド卿に二、三お話しておきたいことがあってな。…おられるだろうな?』
 もちろんですとが微笑む。
『けれど今、確か書庫におられるのではなかったかしら…?少し見て参ります。』
『ありがたい。』
『ではどうぞ、中庭ででもお待ち下さい。すぐ誰か迎えをやります。』
『なに、勝手知ったるエルフの家だ。うまくやるよ。』
 叔父上、と再び小さく甥に名を呼ばれたのもどこ吹く風、ロヴェリオンが笑みを漏らす。同じように娘も小さく肩を揺らして笑いながら、去っていった。途端明るい真昼の日中にいるにもかかわらず、少し、陽が翳ったような気がする。
 陽炎のように、衣の裾の残像が残っている。

 少しその後を見送っていた彼に、叔父がやはり愉快そうに笑いかけた。
「なんだ?惚れたか?」
「…叔父上…あなたって人は…。」
 それに冗談だよと笑いながら、しかしふいに、叔父がその顔を真面目なものにする。
「…あれは、…やめておけ。」
「え?」
 人間がエルフに恋なんぞするものじゃない。それならそんなこと、言われるまでもなく知っている。どんなに愛し合ったとしても、あれらは違う生き物だ。
 あとに残るのは悲しみばかり。
 そんなこと中つ国のいきものならみな赤児でも知っている。
「末姫だか知らんが…突然現れた。神代のエルフたちが必死になにやら守っている。それこそ赤子にするように、な。」
 どういうことです?その問いに答えるものはなく、「私にもわからんさ。」というどこか小さな響きだけ、妙に苦く残った。


17.sunshine
20110617/