少しばかり緊張したように固くなった声に呼ばれて、は振り返った。あまり聞かぬ声だ。梢で光が水を湛えたように揺れている。少しそれに目を細めて、それからその緑の中、夜のように孤立している男に彼女は気が付いて口元をほころばせた。
「アラソルン殿!」
『…姫、』
西方語での呼びかけに対して、少し困ったようにアラソルンが苦笑する。それにごめんなさい、とやわらかく肩を竦めて、がもう一度、アラソルン殿、とエルフの響きでそれを口にする。
『すみません、つい。』
微笑み交じりの謝罪に、自らの黒髪をくしゃくしゃとさせながらアラソルンは先ほどより柔らかく苦笑した。
『謝られるようなことではありませんよ。』
『ええ。裂け谷で育たれたのですから、私などよりずっとエルフ語がお上手でしたね。』
最近やっと読み書きと会話もできるようになったのです、と嬉しそうに告げる娘こそエルフであるのに、おかしな話だ。
エルフの国の末姫。
そうであるのに彼の叔父とであった頃、まだ彼女はエルフ語での会話もたどたどしかったという。そこにどういった経緯があるのか、それはエルフたちのうちでも限られたものしか知らぬようだった。裂け谷で育ち、他のヌメノールよりも彼らと近しいアラソルンでさえ、その理由を知らされない。
叔父の言葉が、彼にはなんとなく呑み込みかけていた。
―――守っている、それこそ赤子にするように。
その言葉の通りだ。この娘は守られている。末姫だから?それよりもずっと、なにか真綿でくるんで隠すような、そんな守り方だった。まるでまだ乳離れもしていない赤子が、母親から離れて生きていかれないのがわかりきっているように。エルフたちはを片時も離すまいとしている。
ふいに思考に沈みかけた彼を、が首を傾げて名前を呼ぶことで現実に引き戻した。会話の途中で思考に耽りかけた非礼を詫びながら、彼は居住まいを正す。
『今日もエル…お父様に御用ですか?』
その問いにいいえと彼は否定の言葉を返す。
もしそうならが木蔭に憩っていた庭のポーチまで出てくる必要はない。もちろんそれは彼女にもわかっているのだろう。尋ねられた言葉に、彼は懐から真っ白な封筒を取り出した。
『お手紙ですか?』
『叔父上…ロヴェリオン殿からです。正確には、レゴラス殿から手紙を預かった彼から私が手紙を預かりました。』
また貸しならぬまた預けであるが、その珍しい状況にがきょとりと首を傾げた。もちろん手紙を受け取りながら、丁寧に礼を述べるのも忘れない。
『まあ。ロヴェリオン殿はどうかされたのですか?』
お怪我でもされましたか、と心配そうに麗しい眉を寄せるを前に、アラソルンも難しそうに眉を寄せる。しかしよく見れば、疲れたような、苦渋の表情。
『いいえ、彼は元気です。』
その言葉にほっとが息をつくが、彼の眉間のしわは収まることがない。言いにくそうに、それがその、と言葉尻を濁す彼に、がきょとりと首を傾げた。どこかで鳥が、笑うように鳴く。
どう言ったものだろう。
―――まだ子供と言ってもいい姫はともかくなあ、二千云百歳のエルフまで、子供みたいに、それはもう楽しそうに手紙を書いてるんだ。俺はそのやりとりの間に何度も挟まれて、…なんていうんだ?そう。少し、疲れたんだ。
だから後は頼んだ。
そうわははと笑いながらオーク狩りに行ってしまった叔父を思い出し、彼はなんとした言葉でそれを言うべきか、いやそもそもいわざるべきかと額に手をやる。目の前では再び心配そうにの眉尻が下がり始めて、彼は少し慌てて、それから叔父を、ほんの少し呪った。
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