書かねばならない手紙が増えて、はうれしく、それから少し、なぜだかせつない。
 そこまで考えてから、はくしゃりと前髪を握りしめて、それから微苦笑を浮かべた。いけないな、だってここは、優しくって。ペンを握る指先が白く凍えた。
 ここはやさしい。
 ここはやさしい。
 ここにはの生まれたところに、いないものが大勢いる。生きている。と同じ形をして、同じものを見、同じものを聞き、同じ血を宿して、空に心を憩わせ星を身内に抱き、目を閉じずに眠る一族。
 自分がそれら遠い伝説の生物と同一だなどと、いつも信じられずにいた。けれど尖った耳も、丈高い背も、夢幻のように美しいとされる形も、他の誰にも聞こえぬ音も、その身を包む星明かりも。すべて以外にはないものだった。いつからか止まったようにを素通りするようになった時間。いつまでも美しくみずみずしいままの肌は、むしろ年を重ねてその透明さを増した。白くなった母の髪、深く刻まれた父のしわ、がっしりと逞しく固くなる弟の肌。
 逃げ出して流離う間も、彼女は怪我らしい怪我もなく、眠らずとも容易く長い長い道を疲れることなく歩き、木々と花と鳥にあいされながら、星明かりに輪郭を浮き上がらせて、孤独だった。すべての者は彼女を過ぎて通った。たったひとり、地上にあらわれたエルフを。
 エルフの血をひくものに彼女は何度かであった。彼女の国を治める者もそうだった。けれど彼らは、もはやどちらかと言えば人に近く、長寿とはいえ不死とは言えぬ、長寿とはいえ不老とは言えぬ。もはや彼らは人だった。そうしてその人の中から、なぜは生まれてきてしまったろう。
 極稀に、遠い先祖の形して生まれてくる子供。
 かつての家系に幾人かあったその子供は、すべてみな短命であったという。幸いなことに生き延び、その命を世に安定させてしまったことは、の意図するところではない。
 かつて在った家族は、みなを愛してくれた。自らと違う形をした、それでもうつくしい娘を。
『わたしたちのいなくなったあと、』
 お前はひとりでどうなるだろうと、いつの頃からか悲しげな顔の増えた父と、時折神経質に苛立ち、それでもを慈しもうとしていた優しい母と、姉さまきれいと大人になっても無邪気に微笑みかけた弟と。
 恵まれていた。
 それでもどこかでいつも、うらんでいたのだ。
 おさないまま、はかないままに消えてなくなっていたならばと。
 だってみんな、それでも私をおいてゆく。

 真っ白な羊皮紙にぽたりと雫が落ちた。それは透明な丸い雫で、日の光を溶かし込んで宝石のように光った。明るい木蔭で、きらきらと雫が落ちる。どうしたの、と小鳥が囁き、はなんでもないのよと微笑んだ。
 くるしかった、そうしてうれしかったのだ。
 手紙を書く。遠い友人、近くの友に。
 まずは今は遠く、暗黒の森の緑葉の王子に。それからその父王にも書かねばなるまい。それからその手紙を届けてくれる勇ましい風と、その甥に。それから双子の兄たちに、もうすぐこの黄昏の館をしばらくの間去る姉と、黄金の森の祖父母、勉強の師、流浪の王に、この世界の父と、魔法使い。
 遥かな過去に、彼女は同類と、友人と、それから新しい家族を得た。
 そんなのはね、一時しのぎのおままごとに過ぎないよ、とどこかで誰かが冷たく囁く。
 それでも姉の腕はあたたかにやさしく、兄たちの腕は力強くたのもしく、父の目は厳しくも子供を案ずる親のそれ。
『私たち、家族になりましょう。』
 そう囁いたアルウェンの、美しい声。
『あなたも私たちと同じ、エルフに見えるよ。』
 違うのかいと当たり前に尋ねた、エルラダンの、あるいはエルロヒアの声。
『―――歓迎しよう。』
 厳かな声は確かにそう言った。

『歓迎しよう、遥かな先の世に、生まれる我々の娘。』

 むすめ。あなたがたの。
 エルフの娘だと言う。
 この、私が。

 続きを書こうとした手が震えた。膝を抱えて蹲る。ああどうして、こんなにうれしくて切ない。鳥がその肩に乗って、髪を一房、優しくついばむ。
 ―――泣かないでエルフの御嬢さん。
 あなたも私を、エルフと呼んでくれる。膝に押し付けたままの顔を、はくしゃりとゆがめた。たくさんの人が、に手紙をくれる。朝起きたらおはようと挨拶をし、おやすみなさいを美しい言葉で交わす。ここにはに連なる、と同じ者がある。を娘と呼び、妹と呼び、友と呼ぶ声がある。
 きえてしまわなくてよかったと初めて思った。
 ―――手紙を書きたい。
 今は遠い家族に。
 蹲ったままのに、やさしく木漏れ日が投げかけられている。その小さな背中を撫ぜるように、きらきらと静かに。


20.Lullaby
20111115/