優しい文字の手紙が届いた。
『ありがとう。』
そう鳩にもわかるようにエルフ語で囁いてその頬を撫でてやると、気持ちがよさそうに黒い目を細めて喉を鳴らす。いつもは野伏の友人だったり、放浪のエルフ王の一行だったりが預かってくる手紙だ。それを今回は、いかにもか弱く可愛らしい鳩が運んできた。街道があるとはいえ、霧降山脈をどうやって越えてきたのだろう。
遠く険しいところを飛んで疲れただろうから、お水でも入れましょうかと首を傾げると、まぁるい目玉がもう少し撫でてくれたほうがよいのですけれど、と瞬きをする。それにくすりと肩を揺らして、は白い指先で柔らかな羽を撫でた。窓辺には緑の光が落ちている。そのただなかで、白い服の乙女と、小さな白い鳩が、寄り添っている。娘の手元には真っ白な手紙がある。
読まないのですか?…片手が塞がっていますので。それは失礼。
慎み深く鳩は身を引いて、それにまた娘が肩を揺らす。
開いた手紙の言葉だけでなく、文字までも優しいように感じるのは、その人となりを知るからなのか、それとも彼女のことをまだ文字を覚えぬ子供と思って殊更に心を砕いてくれたためなのか。
alphlorienと並ぶ花のような文字。
エルフの手紙もまた、お元気ですか、から始まる。なんだか声が聞こえてきそうだ。御変わりはありませんか、闇の森は夏の盛り、明るい緑の季節です―――。
故郷のことをいとおしげに、語る言葉があるのはいい。
ふるさとを優しく、誇らしげに語る言葉はいい。
読み進めながらふと、彼女は自らの生まれた古いお城のことを思い出す。裂け谷はブルイネンを下り、エレギオンのわずかに北、古い森が姿を残すその一角に彼女の一族の住まう城はあった。かつてエルフが栄え、"贈り物"が生まれ、滅びた地のほど近く―――。そこにいつ頃から、彼女の先祖が暮らしていたかはとんと知れない。ただロリエンへの旅程の途中、その辺りを通り過ぎるも彼女が暮らしていたものよりずいぶん大きな、岩山と化したような廃墟があるだけで、小さな森の古城など見当たらなかった。城の入り口のアーチに、古い印があったっけ。思い出しながら、彼女はふいに、逃げ出してきたその故郷を、今でも変わらずいとおしく思っていることに気が付く。
古びた二つ並んだ星の模様。その下に馬上の騎士の姿が半分以上剥げかけて掲げられていた。
懐かしい。
不意に言いようのない郷愁ともいえる念が浮かんで、彼女は苦笑気味に首を振る。噫、あの小さな森の、小さな庭の、夏も同じく美しかった。幼い弟がいつも、どこからか真っ赤な柊の実を拾ってきて―――。
クルル、と心配そうに鳩が喉を鳴らし、彼女ははっと我に返る。
そう、手紙の続きを。
狩りの様子だとか、闇の森のエルフたちの間では日常茶飯だという宴会の話だとか。『あなたが来たら、きっとびっくりしてしまうくらい』のお酒とご馳走のこと。語る時と同じような、親しみのこもった文字の羅列は、ふいに浮かんだ寂しさをなだめるように柔らかだ。その宴会好きの父親のこと。春には花の、夏には緑葉の、秋には紅葉、冬には木の実の、冠を頂くこと。
あなたにも今度、さしあげましょう。私はこう見えて、花で冠を編むのがとてもうまいのです。
思わずくすりと笑ってしまうような、随分年上とは思えないくったくのないエルフの言葉。その端々に、を慮るような思慮深げな眼差しが覗く。
みなやさしいと、時折は、やはり泣きだしたいような気すらした。
手紙はついに終わりも間近。
―――そうそう、お返事は結構です。
おや?
どういうことかしら、少し目玉が不安げに丸くなったところで、それを吹き飛ばすような楽しげな声。
『どうやってこの子が霧降山脈を越えたと思います?』
鳩が手紙の依頼主の声に羽を広げた。思わず手紙を取り落とした娘を満足そうに眺めながら、窓辺で緑葉がむじゃきにわらいごえをあげていた。
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