御子の二歳の誕生日祝いと迎えに、とエルフの一行がドゥーネダインの集落を訪れていた。族長の子供は代々裂け谷で養育される。二歳と言えばもうとっくの昔に乳離れどころか、歩行も可能になり、自我が芽生え始める時期だ。十分裂け谷までの移動にも耐えられるということで迎えと祝いが同時に寄こされたのだ。その一行の中に、も加えられていた。本来ならあまり、エルフの国の外へ出ることは歓迎されたことではないが、野伏せする彼らの元へなら危険も少なかろうと特別に許しがでたのだ。
「アラソルン殿!」
姫!』
 エルフの言葉で答えてしまってから、少し罰が悪そうに彼は苦笑した。
「アルフローリエン、あなたにまで来ていただけるとは!」
 その隣で、頭に布を垂らした女性が聡明そうな顔立ちに柔和な笑みを浮かべている。
「どうしても御子を早く見たくてわがままを言いました。」
「おや。」
 普段のように語らいながらも、そわそわと女性を見ているに、ゴホンとアラソルンが咳払いをする。まったくこのエルフの姫君はわかりやすい。
「…さて、」
 少し恥ずかしそうに、女性をの前へと促すと、彼は眉を片方下げた。女性の方はまっすぎに顔を上げて、深い色の瞳をまっすぐに注いだ。
「あなた様がアルフローリエン姫ですか?」
 はいとが頷くと、やはりと女性が笑みを深める。
「お話はいつも夫と義叔父から聞いております。まあ、…本当に、美しく、どこか不思議な方。」
 夢見るようにの肩越しに少し遠くを見て、彼女はそおっと腕に抱いた幼子の顔を、に見えるようにした。
「私はギルライン。婚礼の折には花冠をありがとうございました。」
 それからくらげのおもちゃも。と楽しそうにギルラインが笑って、アラソルンが少しばかり肩を竦める。
「ああ、やはりあなたが奥方なのですね。初めまして。こうして直接お会いして、お祝いの言葉が言えるのはなんてうれしいことでしょう。」
 初めて出会う女性に頬笑みかけながら、は幼子の顔を覗きこんだ。黒い撒き毛、ふっくらとした頬。はしゃぎ疲れてしまったのか、子供は母親の腕の中ですやすやと眠っている。
「…かわいい。」
「姫君にいただいたおもちゃがお気に入りなのですよ。殿方なのに湯浴みが長くていけません。」
「まあ!」
 よかった、とおかしそうにが頬を緩ませるのを見て、ギルラインは姉のような微笑をした。が少女のような笑い方をするので、どちらが年上かわからんな、と言う感想をアラソルンは心の内へしまっておくことにする。
「まったくどちらが年上だかわからんな。」
 心の声が、表へ出てしまったかと思った。
 ひゃっと肩を竦ませたアラソルンの後ろから、ロヴェリオンがひょっこりと顔を出したところだったのだ。ほっとしていいやら、叔父の非礼を咎めるべきか、とっさにアラソルンには判断がつかない。
「これから裂け谷で暮らすというのだから、構い倒されるのだろうな?」
 かわいそうなのかうらやましいのか、とロヴェリオンが又甥の頬を節くれだった指先で少しつついた。子供は目覚めることもなく、少し首を動かしただけだ。
「侍女の方たちもみな楽しみにしておりますよ。」
「送り出す身としては安心だがなあ。」
 顎に手をやって笑うと、ロヴェリオンは改めてを見た。ほぼ同じ高さにある二人の目が合う。
「なんでしょう?」
「……びてきかんかくが常人と狂いそうだな。」
 言われた言葉にコテリと首を傾げるの隣で、ギルラインはくすくすと肩を揺らした。仲がよろしいのですね、という言葉に、ええ?と首を傾げながら微笑むと、やっぱりなんだか変な顔をしているロヴェリオンだ。いつも飄々としている叔父が珍しいことだと、アラソルンもこっそりと眉を持ち上げた。
 なんとなく居心地が悪いのか、ロヴェリオンは何度か首の裏へ手をやった。
「立派に育ってほしいものだ。」
 どう考えてもその場しのぎのための台詞だったのだけれど、込められている思いはもちろんのこと真実だろうから、ええ、とアラソルンは頷くに留める。数少ない残された一族をまとめ―――そうして本当は、それだけではない。為さねばならぬはずのこと、遥かな先祖が投げ出したことを、いつの世も、幾世代も、いつか、いつか、拾わねばならぬ。もう何人が、蛇の指輪と剣の所有権とを受け継いだろう。未だ誰にも、為されていない。けれども誰もが、きっととどこかでその時を恐れながら待っていたこと。待っていること。
 白い都に帰るその日を。



29.drifters
20130522/