『ようこそミスランディア。』
「リンディア、」
ほっとしたように眉を下げた彼に、丈高いエルフが微苦笑を浮かべる。歓迎したいのだけれど後ろの方々は?という意味がたっぷり見て取れるその表情を、魔法使いは都合よく見なかったことにする。
「どうなさったのです、ミスランディア。」
しかしそれでも、魔法使いの背後のドワーフたちにわかるように西方共通語で話すこのエルフの男は優しい。さてどう言おうかと口を開きかけた彼の耳を、やわらかな声が打った。
『ミスランディア!』
喜びを隠しきれない、といった響きが、場違いに彼らの耳を打った。おやと嬉しそうに顔を上げた魔法使いと、しまったと言うような表情で後ろを振り返ったエルフの肩越しに、ドワーフたちは空の星がひとりでに階段を下ってくる様を見た。
それはエルフの乙女だった。
薄い灰色のドレスの裾が幾重にも重なって揺れる。尖った耳の先。長い黒髪は夜空を融かしたよう、そこに散らばる銀と真珠の小さな飾りはさながら星だ。銀の靴を履いた足が、踊るように階段を蹴る。足音ひとつもせず、時はゆったりと流れていた。髪が肩の上で風を孕んで靡くのを、ひどくゆっくりとビルボは眺めた。なんともまあ、いっそあきれ返るほどの美しさで言葉にならない。屈強なドワーフの面々も、呆れたように彼らは武器を構えたままなのも忘れて目を見開いていた。呼吸すらも忘れてしまいそうなうつつの夢物語だ。こんな美しい生き物を見たことがなかったのだ。歩く姿は優美そのもので、それだけで姫君と知れる。
若々しい顔立ちは優しげに透き通って、まつ毛の先まで制作者の造形がいきとどいているように物を作る彼らには感じられた。何より遠くからでもわかるその銀の瞳は、星そのものだった。うるわしい唇がもう一度、魔法使いの名前をかたどり、星明かりをいっぱいに湛えたその顔には喜びの色が見てとれる。
お伽話の世界だ。
うつくしい幻、まだ黄昏も来ないうちに、夢が来た。
『おお、。』
『お久しぶりです、ミスランディア。』
孫娘が祖父にそうするように、エルフ式ではない挨拶を娘はエルフの言葉を発しながら行った。ゆるく背中に回された腕に、同じようにガンダルフも腕を回す。
すぐに魔法使いの背後に固まっている一団に気づいて、エルフの娘は一度微笑すると国の言葉を話すことをやめた。
「どうなさったのです?こんなに大勢で。」
声様までもが、かつて聞いたどの鳥のさえずりより、楽の音よりもうるわしかった。その声で最初にリンディアと呼ばれたエルフが尋ねたことと同じことを、娘が尋ねる。それにちょいと眉を上げると、ガンダルフは背後の面々に武器を下ろすように手で合図をした。ぽかんとしていたままの時間が、どっと押し寄せてくる。
「なに、ちょっとした旅の途中でな。御父上はおられるかな?」
「父は今外出しております。」
「なんと!」
当てが外れたと眉をしかめる魔法使いに、これ幸いとでもいうように、リンディアが口を開く。
「ええ、残念ながらミスランディア。我が主は今ご不在なのです…さあ、姫、あとは私がお取次ぎしますから中へお戻りください。」
「まあ、お父様もお兄様たちもお姉様も、みなお留守なのだから、客人は私がお出迎えをしなくてはいけないのではないのですか?」
『客人かどうかを決めるのは御父上ですよ。』
「まあ、」
「ううむ、」
くすりと娘が笑い、長いひげに手をやって、少しばかり人が悪そうに魔法使いが笑いを浮かべたその時だ。彼らの背後、遥かな渓谷から、高らかな角笛の音が響いた。人の用いるものともドワーフのそれとも異なる高い音。次いで蹄の音が、群れを成して坂道を下ってくる。
ぎょっと振り返った旅の一団の手前で、二人のエルフはほっと顔を緩めた。
「今お帰りです。」
ああと納得して肩を撫で下ろした魔法使いには、その背中で銀色の馬の群れに戦々恐々とするドワーフの一団は、もちろん目に入らなかった。
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