「私、ドワーフの殿方とお会いするのもお話するのも初めてです…もちろんホビットの紳士とも。」
近くで微笑まれると、やはり心臓に悪いような気すらする。彼女の微笑の中に、彼の名前が彼女の時代まで残っている小さい人の名ではないことに関する安堵が含まれていることなど知りもしないビルボは、まっすぐその顔を見ていることすら憚られて少しばかりきまり悪げに肩を竦める。
・アルフローリエン。
どちらでお呼びすればよいのです、と尋ねたビルボに、どちらでもお好きなようにと姫君は応えた。というのは、あまり耳慣れない、どちらかと言うと"人間"らしいような、"エルフ"じみていない名前のような不思議な気がしたし、アルフローリエンというのはあまりにもエルフ的で、なんだか口に出すだけで美しすぎる。
「エルフのお姫様と話したことなんてないものですから、その、なんと言いますか…、」
もごもごと言い淀むビルボの後ろでは、ドワーフたちが"味気ない"食事に不承不承応じている。音楽はまだいい。少し彼らからしたら音が甲高くて、耳に刺さるような感じがしたけれど、ハープもフルートも名演だ。陽気なエルフたちの様子も悪くない。おまけにエルフ一の美しさを讃えられるアルウェン姫にそっくりだというその妹姫が給仕を進んで引き受けてくれていて、ああ、けれどもここに、油滴る骨付き肉と、モルトビールがあったなら!
慣れない"葉っぱ"をムシャムシャするドワーフたちを楽しそうに眺めながら、姫君は優しく眦を下げた。
「兄たちがいれば、なにか獣の肉でも出して差し上げられたのでしょうけれど…父上ときたら、"鹿狩り"に出かけてオーク以外を狩って来たことがありませんもの。」
「お父上は、よくオーク狩りに行かれるのですか。」
なんだか優美なエルフの殿方が凶暴なオークを狩る、というのが意外な気がして、ビルボは主君の座に座っているエルロンド卿を眺めた。トーリンの隣に堂々と座っている様子は、武人らしくも見えたし、もちろん初めて姿を目にしたときの鎧武者姿は立派なものだった。けれどもやはり、今、具足を脱いでゆったりと長いローブを着て剣の由来を語る様子は、学者のように見えたのだ。
強いのかしら。
とチラと失礼なことを考えてビルボは首を振る。少なくともあの馬上の姿を思い出す限り、震え上がるほど強いには違いない。
「ええ。昔はもっと頻繁に出向いておられたようですが。」
そんなビルボの考えなど露知らず、姫君がおっとりと首を傾げた。
エルフでも幼い頃の記憶っていうのは曖昧なのかしら。なにせ相当な長生きだから、小さな頃のことなんて、覚えてもいないのかもしれないな、と思いながらビルボはむしゃりと葉っぱをかじった。やっぱりホビットの口にも、もう少し噛み応えが欲しいところ。ふかふかの白パンに、ビスケット、ベーコンに卵、チーズ、ワイン、ビール!
考えていたことが顔に出たのかしら、また姫君が楽しそうに肩を揺らすので、彼はやれやれと肩を竦めた。
「エルフの皆さんっていうのは、普段からこんな、その"軽い"食事を摂られることが多いんで?」
「そうですね…あまり、食事を必要としませんから。でも宴のときは違います。ケーキを焼いたり…たくさんのご馳走に、葡萄酒がでますよ。」
「ご馳走だって!?」
「じゃあこりゃあ宴じゃないんですねえ!」
途方にくれたように悲鳴を上げたビルボとボンブールに、姫君はまじめそうに眉を下げた。
「なにしろ急なお客様でしたから…。」
本当に申し訳なさそうに首を傾げられて、なんだかこっちが食い意地の張った無礼者なだけな気がしてきた。なにか慰めになるようなことを言おうとおろおろしている背中を、ゴツンと小さく小突かれる。
「いたっ!」
ドワーリンがちょっと怖い目でこっちを見ていた。言いたいことは、わかっている。どうせ"耳の長いやつらなんか"とあんまり仲良くするなと言いたいのだ。
あら、と姫君が顔を向けて、するとひげのなかで厳しいドワーフの顔面がさらに険しくなる。
なにせドワーフの側は敵意むき出しだが、裂け谷のエルフのなかでも特にこの姫君は、まるで警戒も戸惑いも見せず、ただ純粋にあったことのない種族に会えたことを喜ぶ子供のようなので、やりにくいったらないのだ。おまけに髪の先まで行き届いた造形美は、工人であり職人であり細工師である彼らの目にも美しい。
「エールをもっといかがです?」
空になっている杯に黄金色のエールの満たされた水差しが差し出される。ドワーリンはまるでワーグと睨み合うくらいの気迫でむっつり黙っていたのだけれど、「いりませんか、」と少しが眉を下げたのに動揺しているのをなんとなくビルボは見逃さなかった。その背中でも、なにかと気のつくボフールがちょっとドワーリンをつついている。しょんぼり、と少し花がしおれるのを見たような気がした。細い肩が、残念そうに、落ちる「……もらう。」
その一拍前に、苦虫を噛み潰したような顔でドワーリンが杯を差し出している。
おお、と拍手したらやっぱり小突かれた。でも全然痛くないな。少し笑ったらバーリンもおかしそうに目配せをしてくれて、ビルボは少し、うれしかった。
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