『ミスランディアとドワーフが来ていたのですか?そんな、会いたかったのに!』
 言うと思った、と顔を見合わせて、少年の育ての親と仮初めの姉は似たような苦笑を漏らした。昨日は一日中、エレストールと図書室で勉強させられてばかりで、その上眠る前に彼を寝かしつけに来たのはではなかった。その理由がまさか、ドワーフとホビット、それから魔法使いの来訪だとは、少年はちっとも知らされていなかったのだ。むしろその騒ぎから遠ざけられ、いつもより少しばかりむつかしい問題とにらめっこする羽目になった。
『ごめんなさい、エステル。旅の途中に寄られただけで、すぐに去られたのよ。』
『夕餉の時に宴の楽しそうな声がしていましたよ!』
『それはドワーフとホビットの方々だけで、ガンダルフはお父様たちとむつかしいお話をしておられたの。』
『私だってドワーフの殿達と食事をしたかったのに…。』
 昨夜の夕餉にが現れなかった理由も、またそこにあるのだと悟って、子どもはますます口を尖らせた。
 わがままを言うのではないとたしなめるべきか、けれども子供心に心躍る出来事であったことはエルフの殿である彼にも十分にわかる、まず黙っていたことを詫びるべきか。厳格な父親役はすこしばかり考え深けに顎に手をやる。その隣ではが、しゃがみこんで 『ごめんなさい。』 と子供と目を合わせていた。
 しかし正直、会わせなくてよかった、というのがエルロンドの本音だった。なによりこの子供の出自は誰からも隠されるべきものだし、竜退治の故国復興の旅、だなんていかにもこの年頃の人間の男の子が喜んで飛びつきそうな話題だ。この子供がわがままをいうことなぞめったになかったが、ついていきたい、なんて言い出した日には目が回るし、挙句こっそりついて裂け谷を出られたりなんぞした日には天地がひっくり返るだろう。
 まったく、せめて魔法使いがひと言この子供に挨拶でもしていってくれればよかったのだが、ドワーフの一行が旅立ったと聞くやいなやこうしちゃおれんだのなんだのと、嵐のように追いかけて裂け谷を出て行ってしまった。ガラドリエルもそれより前に姿を消していたし、白の魔法使いは早朝の内に疲れた様子で帰っていった。あの人もなかなか生真面目だから苦労が耐えない、とエルロンドは自分のことは置いておいて白の魔法使いに少しばかり同情する。ミスランディアときたら、なにせ、風のように自由にあちこち飛び回っているし、彼自身の尺度で物事を測る。ラダガストは森の中に引きこもっていて、森以外に興味はないに等しい。あとの青の魔法使い二人は、名前も忘れられるほどの昔に行方知れずだ。イスタリの中で最高位の"白"にある彼も、なかなか灰汁の強いあとの二人をまとめるのは大変だろう。その彼自身が、強大な力こそ悪を砕く唯一の手段だと硬く信じているからなおさらに。
 ふくれっつらの子供を見下ろして、どうしたものかとエルロンドは首を傾げる。
 はて、そう言えばこの子供の父親も、昔、こうしてここでふくれっつらをしていたっけ、と思うと自然と厳しい眉間が緩んだ。
『よし、』
 とひとこと口に出して、そのままひょいとまだ九つだ、軽い体を持ち上げる。
 普段エルロンドに抱きかかえられたことなど数えるほども記憶にない子供が、びっくりして目をまん丸にしている。その目をいつもよりずっと間近にみながら、『よし、よし。』とエルロンドは自分でもびっくりするほど優しく口に出していた。
『ならば今日は私と狩りに行こう。』
『よいのですか!』
 これ以上見開けるのかというところまで目をまるくして、それから子供は歓声を上げた。
 館の主人は隣と、背後から飛んでくる、娘と、側近の『いいんですか。』というじっとりした視線を、都合よく無視することにした。
 昨日の会議で、彼もなんとなく疲れていたし、気分転換に狩りは持って来いだろう。
『まさかオーク狩りなんて言うんじゃないですよね?』
 娘の声が、少し、いつになく、低い。
 この子供をかわいがっていることは百も承知であるから、背中に伝う冷や汗には気付かない振りをして、当たり前だ、と何度も頷く。さすがに九つの人間の子供をつれて、オーク狩りにいそしめるほど、彼は非常識ではない。
『領地の中を回るだけだ。』
『本当でしょうね?』
 後ろからもしっかりと、エレストールの確認の声が飛んでくる。
 行っていいですか?ときらきらした眼差しが、自分の顔のすぐ真横で、娘と、それから側近とを交互に見つめているのが分かった。やがてはあ、とどちらともつかないため息が聞こえる。やったと子供が両手を挙げるのと、彼の口端が持ち上がるのと、いったいどちらが早かったかしら。


45.his family
20140422/