なんだか妹姫が、最近そわそわと館の入り口を行ったり来たり、そうしているかと思えば門の前の階段に腰をかけて物思いにふけっていたりなんぞする。
 それがどうにも気になる兄王子たちは、今もこっそり、背後から様子を伺っていたりなんかする、わけなのだが。
『……また溜め息だ。』
『なにかあったのかしら。』
 はて、とそっくりな面差しを見合わせて、首をひねってみるもわからない。そもそも二人は、オーク狩りに忙しく、館を空けることのほうが多いくらいだから、妹の日常になにが起きているのか、そう言えばあまり詳しくない。てっきり最近は、エステルの世話に夢中なものだとばかり思っていたが、子供の勉強や稽古の時間になると、こうして暇を持て余している…と、いうよりは、やはり何か、考え事をしているらしかった。心配事でもあるのかしら、と見守っていると、ふいに、『アルフローリエン様!』 という声が風に乗って聞こえてくる。
 もちろん耳聡いエルフの耳がそれを拾わぬはずはなく、がぱっと顔を上げて振り向く。思わず柱の影に隠れてしまった二人は、待て、なんだって隠れる必要があるんだ、と思いながら、しかし、やはり、隠れていた。
 やがて反対方向から軽い足音がして、衣擦れの音。どうやら侍女のようだ。

『ああ、こちらにおられたのですね。』
 声からするにやはりそうらしい。
『今日は針仕事をなさるとお聞きしていたのですがこられないので、捜しておりました。』
 その言葉にまあ、と目を空にやって、なるほど、太陽はもう随分高い。
『すみません、もうそんな時間だなんて…ぼーっとしていました。』
 申し訳なさそうに眉を下げるに、いいえ、と侍女は気持ちの良い笑顔を見せる。
『針も糸も逃げはいたしませんもの。みなアルフローリエン様のお越しを今か今かと待っておりますよ。』
『ええ、急ぎましょう。』
『何をお作りになるのです?』
『ふふ、ハンカチを15枚。』
 ハンカチを?と侍女が目を丸くするのが見えて、しかし二人の足音と話し声がだんだん遠ざかる。双子の王子は、日頃狩りで養った武芸の腕前を存分に使って、足音と気配を殺しながら、その後をそおっとついていった。
 完全に出るタイミングを逃していた。
 エルフの貴公子二人が揃いも揃って妹姫の後をつけているという構図はなんとも彼ら自身からしてもどう考えたって間抜けだったけれど、かと言って、なんとなく、あとには引けない。

『この間ドワーフとホビットの方たちが来られたでしょう?』
 原因はそれか。
 聞こえてくる妹の言葉に、兄二人は顔を見合わせる。ドワーフたちになにかされたのかしら。言われたのかしら。それを気にして落ち込んでいるのか、それともまさか、恋わずらい、なんてことは…。一気にそこまで思考を共有して、兄たちは麗しい眉にしわを寄せた。どんなに背が高くたって、ハンサムだって、まさか妹の恋の相手がドワーフとは!偏見はないが、しかし、やはり、複雑だ。
『ホビットの紳士がね、』
 まさかそっちか。
 再びさっと顔を見合わせて、二人は声には出さず意見交換しあう。どんなに長身でもこれくらいさ、とエルラダン。気のいい種族だとは聞いているけれど、とエルロヒア。
『ハンカチをお家に忘れてきたんだ、って仰るんです。借りようにもドワーフの殿たちは、ハンカチなんて持っていない、って。』
 くすくすとおかしそうに笑って、はちっとも物憂げではなさそうだ。相槌を打つ侍女の声も、どことなく弾んでいる。
 逗留の際、中庭の噴水で水浴びをしでかしたドワーフの一行は、裂け谷中で有名だ。とんでもないこと、と眉をひそめるものが大半だが、そのあまりの破天荒さが一部でおもしろがられてもいる。侍女はどうやらその一部らしい、と当たりをつけて、少し会ってみたかったな、と二人は顔を見合わせる。例のごとく、父王よりよほど遠くまで長い日数をかけてオーク狩りに出向いていた二人は、帰ってきてからその珍しい訪問者のことを聞いたのだった。
『お貸ししましょうか、と訊いたら、返せるあてがないから、と。…でも、もし、帰りにここへ立ち寄られたら、ハンカチを差し上げようと思って。』
『ああ、それでですか。』
『だってあんまり残念そうに仰るんですもの。』
 ふふ、とが笑って、それはいいですねえ、とのんびりと侍女が相槌を打つ。
『ビルボ殿に、トーリン殿に、ドワーリン殿、バーリン殿、キーリ殿フィーリ殿、ドーリ殿ノーリ殿オーリ殿、ボフール殿にボンブール殿、ビフール殿、オイン殿にグローイン殿!それからミスランディアにも!』
 よく覚えられましたねえ、と呆れたように目を丸くする侍女に、くったくなくまたが笑うので、二人もすっかり安心して、曲がり角から顔を出した。

、アルフローリエン!』

 お兄様たち、とがさっと顔を明るくして振り返り、侍女がそっと頭を伏せた。
『やあ、楽しそうな相談ですね。』
『聞こえましたか?ええ、ハンカチにそれぞれの頭文字を刺繍しようと思って。』
『受け取るところをぜひ見たいな。』
 おかしそうに肩を揺らしながら、二人は妹の両脇に並んだ。
 久しぶりの我が家で、外はぽかぽかといい天気だ。テラスで刺繍をする妹を挟んで、ゆったり留守の間の話をするのもきっとすてきだろう。ご一緒しても?と尋ねると、もちろん、と返事が返ってくる。ではお茶を用意しなくては。先に向かっていてくださいね、と張り切って侍女は台所へ去っていった。
 久しぶりに三人で並んで歩きながら、良く似た黒い髪を揺らして兄妹はおしゃべりをした。
『元気そうでよかった。なんだか、物思いに耽っているようだったから…。』
 思わずエルロヒアが漏らした言葉に、『心配させましたか。』 と妹がすまなそうな顔をした。
『いや、勘違いだったら良いのですけれど。』
 妹のことはいつも心配ですからね、とエルラダンのほうがその手をとって、その向かいでエルロヒアもうんうんと頷く。お兄様たち、とがやわらかく頬を緩めて、それだけでなんとなく、ほっとしてしまう。
『心配をかけてごめんなさい、』
『構わないさ。何かあったらすぐお兄様たちに言うのだよ。』
 ええ、と妹が笑って、兄二人はなんとなく、胸がいっぱいだ。
『なんでもないんです。ただ、』
『…ただ?』
 やっぱりなにかあったのか、としげしげ心配そうな二対の瞳に見下ろされて、はしかし、微かに笑んでみせる。わたくしは大丈夫なのです、と言う前置き。ならなにが、大丈夫でないというのか。続きを促すような兄たちの視線に導かれて、妹は心のうちを声に乗せる。

『いつもならレゴラス様からお手紙がある頃なのだけれど、それがなくて…。』
 そっちか。
 なにかあったのでしょうか、と心配そうに首を傾げる妹に、今度こそ、兄二人は心の底から唸っていた。



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20140514/