02.機械の医者
――家畜から人間、ロボットまで、幅広く診断いたします。
というとてもけったいな札が架かっているのが、岬に一件、ぽつりとある赤い屋根の家だ。街のものはめったにそこを訪れないが、ときおり遠方から、人目を忍ぶように人が来る。それがますます、街の人間をその家に近寄りがたくさせていた。
どうせ街には“普通”の開業医がいるし、獣医だっている、ロボットのことなら小さいながら専門の“診療所”があったから、そこに行く必要もなかった。ただ岬を見下ろす丘を少し下ったところにある家は別だ。そこには機械人間と子供たちが住んでいる。戦争で親を失った子供を――おかしなことだ、機械人間が世話をして養育しているのだ。小さな子供が多いので、森を抜けて街まで治療に行くのは時間がかかる。子供らの世話をするのがそのロボットと、朝晩食事の支度と掃除を手伝いに来る施設のスタッフだけなので、あまり長いこと家を空けてもおけない。そういうわけで岬の家は、ほとんど子供たちの専属医のようなものになっていた。あんたらが越して来てからおちおち眠れやしない、というのがその医者の最近のぼやきである。子供たちは最初こそ塞いでいたもののそれは元気で、引っかき傷や擦り傷なんてしょっちゅうだった。それに“幅広くなんでも”の言葉の通り、医者は子供たちの健康診断からカウンセリング、果てはそのロボットの軽いメンテナンスまでやってのけた。とかく規格外の人間である。
その怪物じみた医者の名を。・P・ハザマと言う。
苺の紅茶のような、鳶色とでもいうのだろうか、不思議な色の髪をして眼鏡をかけて、常に白衣を着て、その下には襟元が三角に開いた黒いシャツと細身のジーンズ姿の、東洋人らしい顔かたちをした女だった。ある日突然、家ごと越してきたのだと言う。『昔この家のあった岬に似ている。』それだけの理由で、は家ごと引っ越してきたらしかった。やはり規格外の人間であることは間違いないらしい。免状を取るのが趣味なのだとニヒルに笑うのカードケースには、それこそあらゆるライセンスが入っていた。河豚も捌ける、というのがカードケースを他人に見せるときに彼女がニヤニヤとうれしそうに一番最初に主張する部分であり、河豚調理免許の後に、医師免許が入っているのだからおもしろい。
親父の夢だったんだ、医師免を取るのが。というのが彼女の談だ。こんな紙切れいらないくらい良い医者だったんだけどねえ。あまりつっこんだ話は聞かないほうがよさそうだ、というのが彼女に関った人間が一度は共通して思うことだろう。
しかしそのへんてこな医者は、子供たちのお気に入りの先生だったし、ロボットにとってよき相談相手でもあった。やれ引っかいたそれ喧嘩だ転んだなんだかんだとしょっちゅう小さな傷を拵えては子供達は岬の家へ走った。そうしてなにあんたたちまた!?と言って嫌そうに迎えるその医者を、彼らは好んでいた。毎度すみません、と人間じみた苦笑を浮かべる機会人間も同じように。だからこそ医者は面倒臭くても彼らを受け入れたのだし治療をした。その機会人間が破損するようなことはめった起こり得ないことではあったが、細かなメンテナンスと――カウンセリングはおそらく必要だった。彼の製作主の家は、それを行うには少しばかり遠かった。もちろんエプシロンの力を使えば、そんな距離は距離にも満たないのだが。彼はあまり、創造主に自らの弱気を、欠陥を、晒すことができなかった。やさしい彼の父。平和を願う。その父に、息子自ら問うことはあまりに彼には酷に思われた。――私は壊れているのでしょうか。などとは。
父にはとても訊けない。戦争だ。戦争があった。それ以来だ。彼は変調をきたし、それを自覚していた。
子供らを引き取り、養育することは彼に大きな影響と、微弱なストレスを与え続けている。それは彼の電子頭脳発達を大いに促し――そうして彼の成長プログラムは変化を遂げつつあった。彼は日々考える。子供たちの幸福。幸福を考えることは不幸を考えることだ。そうして彼はずっと考えている。考え続けている。電子頭脳は成長を続けている。彼は自覚していた。自らには感情があると、おぼろげながら自覚していた。そしてそれが自分に限ったことではないことも、その危険性も、その先にある絶望も。人間などと比べるべくもない計算能力を持った彼には、わかりすぎるほどわかっていた。それが異常で、排除されるべきものだということももちろん。
ロボットが人間に近づくことは怖ろしい。ロボットが感情を持つことは怖ろしい。なぜ?それは人間に限っての感想ではない。被造物が創造主に手を上げることへの恐ろしさか?いいやそれは違う。ほんとうに怖ろしいのはそれではない。それではない。怖ろしいのは、ロボットがそれでもロボットであるということだ。彼らの体、心臓、頭脳、それらすべてが交換可能であることだ。現在のテクノロジーでなら、義手をつけることも義足をつけることもまるで当たり前のような滑らかな作業だ。しかしそれとはわけが違う。人間は元あったパーツを取り替えたとき、新しく手に入れたパーツからなんの情報も読み取ることはできないし、心の底から他人と同調(シンクロ)することはない。あくまでお互いの感情は、丸い円同士が輪郭をすりあわせるように、お互いの精神の表面のひだを撫でてゆく。しかしロボットはどうだ。交換可能な全てのパーツ。時と場合においてボディを取り替えるその機能。怖ろしいのは、なにか。彼らはひとつひとつ、別々の一個体でありながらすべてひとつになることができた。彼らはひとつになることができた。たったひとつの、一個体の感情を、あらゆる個体が完全に把握し、その時その瞬間の目の動き、かすかな感情のブレ、思考、意識、視界、感想、感情、それらもろもろの全てを共有し、同調することができた。彼らは完全な同位体となることが可能だった。彼らは、そう、彼らはたとえばたった一体のロボットの憎しみをすべて、つぶさに理解しその感情の円を、完全に重ね合わせることができた。他者の感情を、他者の感覚を、記憶を、すべて自分のものとして取り込むことが可能だった。
それはおそろしくないか?それはなんと怖ろしいことではないか?たった一体のロボットの殺意を、全てのロボットが“理解”、“同調”し、そしてそれを自らのものにしたとき、たったひとつの殺意が100の凶器になり得た。彼らはあまりに、お手軽だった。悲しいことに。意思の疎通には会話より、直接回路を繋いでお互いの手の内を晒せばよかった。情報の交換には会話より、記憶のやり取りこそが簡単で当たり前に行われていた。彼らは個をいつでも失って、ひとつの大きな感情の中に、埋没しひとつになることができた。
しかし彼らにはそれ以上に、怖ろしいことがある。それは力だ。圧倒的な力。非力で弱い人間とは違う。人間にできないことをするロボット。たやすく人間を引き裂いてゴミのように捨ててしまうことができる。化け物とどう代わりがあるのだろう?彼らが自分自身を制御しきれなくなかったその時、その笑ってしまうような圧倒的な暴力の塊の前に、人間になにができるだろう。そうして全てのロボットが、ひとつの感情の元に動き出したときに、どうして抵抗ができたろう?
化学者達は自分達の被造物が天使であり怪物であることも知っていたから、プログラムを組んだのだ。ロボットは人間を傷つけることができない。ああなんて単純で簡単で、それ故に解除不能に思われたプログラム!しかし複雑化を極めた人工頭脳、限りなく人間の脳に近づいたそれに、そんな刷り込みは無効だ。
だからロボットが感情を持つことは怖ろしい。
彼は憂う。自らの進化を。
医者はそのロボットの電子頭脳の驚くべき完成度に興味を持っていた。
「さてエプシロン。調子はいかがかな。」
ニヤ、とその口端にうっすらと笑みを浮かべて彼女は尋ねた。診療台をコツコツと人差し指で叩くのは癖だ。
「調子はとくには悪くはありません。」
「そうか。それはすばらしい。」
エクセレント、と笑いながら、カルテにはドイツ語。エプシロンはそれをおそらく読むことができたけれどそうしようとはしなかった。医者の感情の読めない微笑。奇妙な人間。そう、とても奇妙でけったいで不可解な人間だ。不思議にわらっては、のらりくらり。
けれどもロボットは、不思議なことにその医者を信頼していた。なぜ?初めての会話がそうさせるのだ。彼はじっと背筋を伸ばし、少し小さな診療椅子に腰掛けたまま、医者を見ている。
――おや。あんたロボットか。不思議な目をしてる。人間みたいだ。
―― …とんでもない。
――なぜ?
――とんでもない。それは恐ろしいことだからです。
目を丸くして屈託なく笑った医者。君は面白いな、と笑って名を名乗った女。
――私はおかしいのだろうか?
そう尋ねる度、自分自身に自問する度、ある時から少女の笑顔がうっすら思い出される。
――いいや、エプシロン。君は正常だ。とても、とてもね。
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