03.彼の子供たち
こういう緑の葉が透けるほど晴れた日は困る。子供らが遊ぶ日向、子供らが休む日影。そのどちらに身を置けばいいのか困る。だので彼は、こもれびの中にいる。踊る日向と影の乱舞。斑模様が地に落ちる。その直中にずっといる。いる。
こういう日、エプシロンは迷う。機械人間でありながら、そのコンピュータがはっきりとした答えを提示しないので迷う。自らが正常であるのか不正常であるのか、彼は最早自分で判断することができない。きっと自分はおかしいのだとどこか壊れてしまったのか計算式が合わなくなってしまったのかそうに違いないのだと、どこかで彼の、残された冷静で客観的なパーツが告げるのだ。お前はおかしい、狂っていると。
子供たちが、はしゃいで駆けてくる。木陰に向かって駈けてくる。壊れた人形の元へ。噫、どうにも思考が、センチメンタルでいけないな。彼は苦笑する。彼はセンチメンタルだった。どうしようもなくそうだった。何故ってそれが機械人間に生まれついた性。徹頭徹尾、どうしようもない。子供達が、背の高い彼に向かって、手を伸ばし、伸び上がる。その健やかな頬に、幸いあれと望むのに。(どうして私はこんなにも壊れてしまっているのか。)その思考は斑。光と影の乱舞。
「エプシロンお花を摘んだよ!」
「エプシロンにあげる!」
「見て!」
「見て!」
「きれいだよ!」
(噫)とエプシロンは思う。なんて、いとおしい、子供たち。このデータが、どうして嘘だと言えようか。噫どうしてこの感情と呼ばれるものに、似たデータがバグなどであるものか。子供らを抱きしめながら彼は眼を閉じる。その瞼の裏で、彼はずっと問い続けている。
――彼らがこうふくなまま過ごすために、何をすべきでしょうか。
――戦争のない世界をロボットが希うことはおかしなことでしょうか。
――ロボットである自分が、世界の平和を夢見ることは異常なことなのでしょうか。
――なぜロボットはこの世界の平和や子供らの笑顔やたわいのない日常や。そんなものに執着してはいけないのでしょうか。
数々の問いが、明確な答えを見出さぬまま思考の底に沈殿してゆく。その中でなおはっきりと浮かび上がるのはたったひとつの事実だ。これだけが自らの真実だと、彼が錯覚するもの。
彼らの未来を愛してる。
エプシロンは、彼の存在すべてをかけてそう思う。彼のコンピュータが、常に出すたったひとつの回答。子供たちを守り、その明日を照らし、その未来がよりすばらしいものであるように。彼らが笑うとエプシロンは笑う。彼らが泣けばエプシロンはひどく動揺してしまう。こどもたち。彼の子供たち。
(私は君たちに、たいせつなものをいただいた。)
エプシロンは胸のうちでそっと、呟く。
(私は心をいただいた。…そうだ、君たちに。私にはなかったもの。心を持たない機械に。)
それはなんと大切で、苦しく、せつないことであったろう。それは彼に、痛みと幸福とを同時に与えた。彼は稼動を止め、自分でも知らぬまま、生き始めようとしていた。
瞼を開けると、花を差し出す、こどもたち。あの小さな女の子もいる。少しはにかむように、年少の子供と手をつないでやりながら微笑んでいる。
「、はやく!」
と誰かが呼んだ。オシアンだ。黒い巻き毛で悪戯っぽく笑っている。
「エプシロン!」
「ねえねえ!」
いとおしいこどもたち。ただなぜの声がこんなに良く通るのか、こんなによく聞こえるのか、彼は不思議に思ったことがない。それはある意味、当然だった。あまりに自然で、気づかぬくらい。それはまるで、最初からそうであれとプログラムされたかのように、彼に自然なことだったから。(気づかないんだね、エプシロン。)いつかの医者の言葉がこだまする。彼はそれに、もうずっと知らない振りを続けている。他の子供たちと一緒になってくすくすと笑いながら、が一歩進み出る。エプシロンに抱きしめられていたなんにんかの子供が、同じように笑いながら身を放す。
「すごいんだよ、エプシロン。」
「びっくりしちゃうよ!」
放れながら、レスタとエジカが耳元で笑って行った。言っちゃ駄目でしょ!ってすかさずナナの大きな声。どっといっせいに子供たちが笑う。
「目を瞑ってエプシロン。」
「ああ、」
と言われるままに彼はもう一度瞼を下ろした。笑い声がゆったりと、彼を取り巻いているのがわかる。の小さな手のひらが、自分に向かって伸ばされたのも。の手のひら。細い指。そう言えば不思議だ。なぜこんな、ひとつひとつ細かなパーツまで思い出せるのだろうな。疑問ははっきりとした形を持つ前に、自身の声によって消えた。
「もう目を開けてもいいよ。」
瞼を開ける。の笑顔が最初眩しい空を背景に目いっぱいに映る。少し眩しい。彼は瞳孔を収縮させる。そして肩のわずかな重みにそっと目を伏せる。自分の首に、花輪がかかっている。それがぶら下がっている胸に目を伏せて一番最初に目に入って、花のやさしい赤に彼は思わず笑った。
「エプシロンうれしい?」
「うれしい?」
「プレゼントだよ!」
「みんなで編んだんだ。」
「あんたは邪魔してただけじゃない。」
「ここ!ここらへんは僕が作ったんだよ!」
「もういっこあるよ!こっちは博士にあげるの!」
「ね、ね!博士喜ぶかなあ?」
「ほらこれも!せんせーにもあげるの!」
「とワシリーってとっても花輪つくるのがうまいんだ!」
口々にはしゃぎだした子供たちの言葉の中に、彼は目を見張った。いつも自分か、か、ユーグか、その影に隠れているワシリー。まだ言葉を思い出さない彼。その彼が花を輪にして編んだのだろうか。ほんの少しでもわらったろうか。花の描く不器用で歪な円。ああそれにこうして囲まれて、どうしてこんなにか胸が詰まる。
エプシロンの笑みが、泣き出しそうな具合にしあわせに歪んだ。それを察したのだろうか。まるでその天気雨のような微笑を子供達から覆い隠すように、はそっとエプシロンの頭を抱きしめた。かわいそうなこのあたま、だれかだきしめてはくれないか。
噫、噫。エプシロン眼球が熱くなるのを感じている。心臓の脈打つ音がするな。必死にその音に耳を澄ませた。泣いてはならない。それこそが人間へ近づいてしまう砦のひとつであるから。目蓋を閉じた。の胸。コトリコトリと、小さく、遠く。鳴っている。なんて生命の形だろう。あたたかな温度。噫いとしい、彼の、子供。が笑ってる。
「だいすきエプシロン。」
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