少女は美しく光は白く水は清く空は青く森は緑、鳥が歌い花がそよぐ。
だのに楽園はどうしてそんな寂しい名をしているの?どこにもない場所。


06.しろいとり

 お弔いの列がゆく。
、どうぞ元気を出して。」
 エプシロンが、そっと控え目にその頭をなぜた。それに小さな女の子が、余計に目元を滲ませる。言葉にならないのだ。まだ幼くて、なんと言葉にすればいいのか彼女にはわからない。それにその台詞は、彼女こそがエプシロンにかけねばならないと感じる言葉だった。
 他の子供たちは、お葬式が退屈で、どんぐり拾いにいった。この当たりの森のブナは、大きくて立派な実をつける。けれどもその宝石、探しに行く気には、にはどうしてもなれないんだった。エプシロンがいる。しかしとても、消えてしまいそうな風情で。
「エプシロン、」
 名前を呼んだら不安になった。が縋るように顔を上げ、しかしエプシロンは優しく首を傾げるばかりだ。うそつき。泣きそうな顔、しているくせに。の小さな心臓が、ぎゅっと痛んだ。
「エプシロン、ずっとここにいるわね?」
 小さな女の子が、請うように囁く。ここにいて欲しい。あなたにここにいて欲しい。
 はなんとなく感じ取っていた。エプシロンの中で、今までなかったものが燃えている。その火を彼女は一度、見たことがあった。それを身内に抱えたまま、きっとエプシロンはどこかへいってしまう。行かないで、とその目がささやく。ここは楽園だ。子供たちと、彼の。やさしいやさしい、笑い声に満ちた世界だ。ここを捨ててどこに行くの?ねえエプシロンどこへ行くの?の胸の内には言葉が渦巻いて、しかしやはり口から出そうとするとうまくいかない。一度ここにいる子供たちは、みんな住んでいた天国を追われて、そうしてここへやってきた。そうしてその小さな手のひらで白い石積み上げて、この庭を作ったのだ。優しいロボットと一緒に。だのにその彼が、それに気づいていないのだ。噫エプシロン。言葉にならないことばかりもどかしい。
 高い背の彼が見ている世界は広すぎて、この庭だけで満ち足りてしまう自分たちに、見えないものを見ている。この小さな庭の外庭も、彼はここと同じにしたいのだ。それを知っている。
「…ずっとここにいて。」
 もつれた言葉はたったひとことに収まった。あなたにここに、いてほしいのだと。そうしてそのちいさな言葉の、なんて切実なことだったろう。あなたが必要だ。少女が言う。機械人間に。あいしていると言う。
「…噫、」
 エプシロンが顔を覆い膝をついて、うめいた。美しい庭。虹の咲く園。その目に浮かぶ、美しい世界。子供たちを、そこへ、送っていきたかった。手を引いて、連れ立ってさあここが、あなたがたの暮らす世界だといって。ああしかし違う。本当は違う。楽園へいきたかった。連れて行ってほしかった。そうして生身の、人間の体を持ち。
 エプシロンは泣いた。木陰に隠れて誰にも見えなかった。お弔いの列が進む。その列を森が優しく包んだ。緑の光。曇天は不思議に明るく。その直中で、人形が泣く。泣いている。
『えぷしろん、君ノ力ヲ世界ノ平和ノタメニ役立テテクレルコトヲ期待シテイル。』
 最初の記憶。
『光子えねるぎーノ平和的活用ハ可能ナノダトイウコトヲ証明シテクレ。』
 そうだその言葉が胸につかえて。もうずっと、ずっと。
(…博士。)
 私はそこへ、いきたかった。ずっとそこで、いきたかった。消えない虹のかかるところ。どこか遠く彼方にある約束の場所。虹はかみさまとの約束の証だ。それがずっと消えずに空にある街。人はその消えることのない虹の下でどんな風に笑うだろう。かみさま、神様。その神はなんという名だろう。私の父神、もういない。ユートピアと契約を結ぶ神は、いったいどんな女神だろうか。
「泣かないで、」
 と言って、泣き出しそうな、そんな声が聞こえた。エプシロンはたまらなくなる。泣かないでと人間の子がロボットに言うのか。なんていうアイロニー。その子をそおっと抱き寄せた。
 あたたかでちいさい、生命の塊。
 当たり前に小さな体は、やわらかく、脆い。なのになんて優しい生き物だろう。それだけで世界はやさしくうつくしくなるように思えた。
 ちいさな子供の笑い声が、あちら こちら に木霊する。そんな世界に住めればいいのに。誰もが花を歌をいのちをあいして、言葉は不思議な余韻を残す。春の日向の真っ白な雲。優しい 囁きに 満ちた世界だ。そんな世界を夢見てた。そこでこの子が暮らせるならば、何だってしようとおもう。世界中の子供らのしあわせのためならこの身をひゃっぺん焼いたって構わないと彼は思う。噫だからどうか。
 胸のそこですべての回路を焼き切ろうとしている、その感情を忘れてしまおうと思った。忘れられないなら、眠らせてしまおう。哀しみ、いらなかった。憎しみも、いらなかったのに。
「エプシロン、」
 少女がその、機械の手をとる。
「エプシロン、好きよ。」
 その響きがまだ彼にはわからなかった。少女が泣く。きよらかななみだ。頬を滑る。エプシロンが指先でそっとぬぐった。小さな手のひらが彼の頬を同じように拭う。そのままでよかった。そのまま石になってしまえばよかった。
 それでもその背後に、影は迫る。


20090221
(どこにもいない)