estrangement


 ブラック家からの離反は、公には知られておらず、しかし彼はそれを吹聴もしなかったが隠しもしなかった。

 長男がもはや嫡男として扱われなくなったことに関して、校内でわたくし以外には弟のレギュラスとシリウスのごくごく親しい友人たち以外に、詳細なおかつ正確な、情報を知る者はなかったろう。
 校外に一歩出れば、ブラック家に所縁のある姉妹たちにその夫であるルシウス・マルフォイ。決して少なくはない人数の者たちがそれを知っていた。

 夏の終わり、招かれた宴で、さっそく、ルシウスはわたくしが、シリウスからレギュラスに、"払い下げ"られたことを遠まわしに嫌味として言ってきた。
 彼もまた、わたくしが気に入らないのだろう。
 なぜほとんど交流のない人間にそんなにも、失礼な態度をとられるのかが理解できない。
 そしてまた、わたくしの苦手な、ブラックの三従姉妹たちの上と下二人も、わたくしをよく思ってはいないらしい。
 彼はわたくしを、シリウスに捨てられてなおブラック家に縋る女と思っていて、彼女たちはわたくしを、シリウスを捨ててレギュラスを選んだブラック家にたかる女だと思っているのだ。
 ルシウスと、彼女らの態度と言葉から、わたくしは自分が、他人からはこう思われているのだと初めて知り、多少なりとも衝撃を受けた。
 これには呆れていいのか、笑っていいのか、怒っていいのかわからず、衝撃が行き過ぎるころにはどうでもよいとすら感じた。
 けっきょく誰にも、理解れはしないのだ。
 わたくしにだって、わからないのだから。

 わたくしがシリウスの婚約者であったことが、あまり知られていなかったのが、こういうのはいやだが幸いしたのかもしれない。もし知られていれば、学校中の人間たちが、彼らのような二通りの考えに分かれてわたくしを見ただろう。
 しかしそれすら、どうでもいい。
 自らに深く関わりのない人間に、どう思われようと、多少のわずらわしさはあるが気にはしない。気にすれば、きりがないから。ホグワーツでの5年が過ぎ、友人もできた。彼女たちはきっと、そのことを聞いてもその二通り以外の考え方をしてくれるだろうと思える友人が。


 シリウスは6年に上がって、少し変わったようだった。
 家をでたのだから、当たり前かもしれないが。
 まず周囲に、ポッターだけでなく、女子がいるようになった。それも見るたびに、顔が違う。学年も、寮もばらばらだ。あの容姿で、シリウスはやさしいから、女性が群がるのも、仕方がないと思われた。
 食堂で、廊下で、かしましい声がすれば、大概は彼の噂か、彼自身がそこにいるかだ。
 彼は正面からもはや私を見ようとはしなかった。
 ただいつも、ふと視線を感じると、彼の銀の目がふいとそらされるところであったりする。
 どうしてそんな、傷ついたような眼をしてわたくしを見るのか。彼は自らの望む、自由を手に入れたというのに。
 ポッターが、代わりと言わんばかりに、わたくしを見てなにやら笑っている。よくわからない。

 わたくしはというと、6年に上がってしばらくしてから、急に男の方から声をかけられることが多くなった、ように、思う。
 この性格なので、話をするのも苦痛なのだが、彼らはなかなかに、辛抱強い。
 今まではシリウスがさっさと追い返してくれたものだが、今は違う。
 だがたいてい、しばらくこうして困っていると、友人たちか、どこからともなくレギュラスが現れて対処をしてくれる、の、だが。

 今日は誰も、現れない。

「ショパンは誰か、付き合っている人はいないの?」
 シリウス・ブラックと婚約していましたが今はその弟のレギュラス・ブラックと婚約しています。
 隠すことでもないが言いふらすことでもない。
 適当に返事をしながら逃げてきたつもりが、いつの間にか廊下の隅に追いやられて退路を塞がれてしまった。いやに距離が近い。
 ほとほと困り果てていると、

「ばあ〜ん!!!!」

 突然の大声とともに天井から、
「ぎゃっ!!」
「…!?」
 びっくりしすぎて声もでなかった。
 天井から眼鏡が降ってきた。ポッターだ。
 その頭が、なんという名前だったか忘れたが…スリザリンのネクタイをしているわたくしの目の前の少年の頭に、激突する。
 激突したほうは平気そうだが、激突されたほうが、平気ではなさそうだ。蛙のつぶれたような悲鳴を上げたきり、ひっくり返って動かなくなった。
 大丈夫だろうか。
「…だ、だいじょうぶです、」
「やりすぎたかー!わはー!流石、僕の黄金の石頭あ!!」
 いまだ天井からぶら下がったままのポッターは、おかしそうに笑っている。シリウスといるときは気にならなかったが、正直苦手なタイプだと直感する。
 彼のことは放っておいて、とりあえずけが人の傍らにかがみこんだ。
 おそるおそる頭に触ると、こぶになっていた。が、気を失っているだけのようで、ひとまずほっとする。杖を取り出すと、 (なにするの〜?デコレーション?とわけのわからないことを言うポッターは無視した。) 氷を出現させ、頭に乗せて置く。
 ひきずって動かすには力が足りないし、ポッターに頼むのはなんだか嫌だった。

「ほっとけばいいのに〜。ほ〜んと、ちゃんはお人良し〜!」

 節つけて歌うようなポッターの言葉に、立ち去ろうとしていた私は思い切り振りかえった。
 彼は今、私をなんと呼んだ?
「やだなあ、そんな怖い顔しないでよ!」
 シリウス以外には呼ばれたくなかった?
 ごめんね、と謝る気などひとつもない謝罪の言葉。不愉快だ。とてつもなく。
 シリウス以外にそう呼ばれたことがなかったから、いままでその不快をしらなかった。

「あなたはなんですか。」
「僕?」
 にっこりと笑って、彼が首をかしげながらわたくしのかおを覗きこむ。
「知ってるでしょ?ジェームズ・ポッターだよ!ほら!シリウスの親・友・の!」
「そういうことを聞いたのではありません。」
「あれ、まだ怒ってるの。」
「なんのご用です?」
「助けてあげたんじゃん、困ってたから。」
「…どうもありがとうございました。おかげで助かりました。それでは。」

 うっすらと微笑して、わたくしはジェームズ・ポッターに背を向けることにした。
 その場にたったまま、彼が口を開く。たいして大きな声でもないのに、なぜか背中を突き抜けるようによく響いた。

「もうシリウスは助けてくれないよ。」

 思わず足が止まる。
「5年もの間、どうして最近みたいに男どもがこうして声をかけたりちょっかいかけたりできなかったと思うの?」
 少しだけ、ほんの少し振り返ると、彼が笑っていた。
 意地の悪い笑顔だ。わたくしのモノクロームの視界のなか、それはピエロか、まがまがしいものの笑顔にしか見えない。窓から注ぐ光ばかり、しらじらしいほどに明るくて。
「逆かな。どうして最近になって、こうやってちょっかいかけられることが増えたと思う?」
 シリウスはやさしい。わたくしに、わたくしだけに、やさしかった。

「君はけっきょく、家の言いなりになるだけのお人形さんだったの?」

 この男が嫌いだ。なのになぜ、シリウスがその影にだぶって見えるのか。
「ねえ。」
 早足にその場から駈け出した。どうしてあの男の目が、一瞬銀に光って見えたのか。わたくしの世界の、唯一の、色。わたくしの星。
「それとも君は、」
 どうしてこんなに離れたのに、声が届く?
「シリウスでもレギュラスでも、どっちでもかまわなかったの?」
 その言葉は彼の言葉だ。その言葉を受けて、ジェームズ・ポッター、その男がここへきた。わたくしにそれを、つきつける、そのためだけに。
 わたくしは理解する。
 足を止める。
 彼が気に入っていたわたくしの要素。
 ――ときどきびっくりするほど、いさましい。

「あなたはそう思うのですか?」

 ポッターを通して、見えない彼に問いかける。
 本当に、そう、思いますか?
 ポッターは答えず、微笑している。






(りはん)