repeat again again 夏、バラの庭にわたくしはいた。 シリウスの欠けた一年は、あっという間に過ぎた。 夏休みになって、招かれた屋敷は変わらず、挨拶も変わらない。 「シリウスも待っていましたから。」 その言葉が 「レギュラスも待っていましたから。」 に変わった、それくらいの、へんか。 いつもわたくしたちがこのバラの生け垣の中で会っていたことを知っているレギュラスは、わたくしがそこの椅子に変わらず腰かけようとしたことにあまりいい顔をしなかった。 「先輩、」 学校にあがってから、彼は私をそう呼ぶようになった。 「むこうに行きましょう?今向日葵が盛りなんです。」 世間の人はシリウスと彼を似ているというが、そうは思わない。 シリウスはやさしい。レギュラスも優しい。そこは似ている。 見目が似ていると、人はいうのだが、あまりそうは思わない。確かに兄弟なのだから、それぞれを構成するパーツに共通点は多い。しかしまず、その目が違う。シリウスの瞳は銀色。レギュラスの瞳は、わたくしには黒く見える。シリウスの銀は自ら発光して、レギュラスの黒は穏やかに深い。 シリウスの腕は、決して太いわけではないが、たくましいという言葉がよく似合う。レギュラスの腕は細いわけではないが繊細でたおやかだ。そして同時に力強い。 シリウスの髪は、すぐにあちらこちらに飛び跳ねる。レギュラスの髪はさらさらとまっすぐに猫のよう。 シリウスの声は、なにもかもを貫いてよく通る。レギュラスの声は、しみわたるように広がる。 噫、ほら。ね? ぜんぜん違う。 シリウスはわたくしを「、」と呼ぶ。そのまなざしはいつだってまっすぐだった。真空の中燃える星の色。 レギュラスは控えめに、「先輩。」と戸惑うように、けれども優しく、わたくしを呼んだ。気づかいと優しさに溢れた、どこか寂しげな声音。 昔わたくしの後ろを 「姉さま」 と呼んではついて回った小さな子が、今はわたくしの婚約者だという。 どうにも不思議な心地がして、もうすでに身長の面でわたくしを追い抜かそうとしているレギュラスに、いまだに実感が沸かない。 彼はわたくしの少し前をゆったりと歩きながら、時折こちらを振り返る。わたくしを置いていかないように。 シリウスは置いてゆくことができる。レギュラスは置いてはゆけない。シリウスは捨てることができる。レギュラスは捨てることができない。 比べている? 違う、ただ、客観的に、分析しているだけ。 シリウスはどんなに大事にしていたおもちゃでも、不要と判断すれば捨てることができる。レギュラスは捨てられない。不要であっても、捨てることができない、人間。 それでもシリウスは優しいのだ。捨てても不要でも、そのおもちゃを大事にしたこと、あいしたことは忘れない―――、 気がつけば、シリウスのことを、考えている。 それはレギュラスから見ても、明らかなことのようだった。 わたくしの目には真っ白に見える花の中、今もこうして、足が止まる。 それに気がついて、レギュラスはわたくしのことをほとんど変わらない背で少し見下ろした。 「先輩、」 「…。」 どうして彼はわたくしをそう呼ぶようになったのだろう。 当たり前だ。もはやわたくしは、彼の兄の婚約者ではないのだ。ならばわたくしは、彼の姉さまにはなりえない。しかし婚約者を、先輩と呼ぶのはどうなのだろうか。ではわたくしは婚約者として扱われたいのか? 「先輩。」 「…、」 よくわからない。 シリウスはわたくしを、と呼んだ。 「!」 「…はい?」 せんぱい、と取ってつけたように彼は後から言った。 「聞いていませんでしたね?」 その問いにわたくしは、素直にはいと答える。花が揺れた。レギュラスは、向日葵の咲くところまで行くのをあきらめたのか、少し溜息をついて、首を傾げた。 わたくしはごめんなさい、と少し謝る。 「何を考えていたんですか?」 まあ、だいたいわかりますが。そう言う彼の目は、しっかり困っているので、わたくしも困った。困らせるつもりなどない。だって、わたくしは、姉さまだもの。弟を困らせては――いいや、だから、ちがう。 「…シリウスは、」 思わず口が勝手に名前を呼んだ。 しまったと思ったが遅かった。レギュラスはただ黙っている。言ってしまった言葉は帰らない。そうなるともはや、正直に話すしかないと、わたくしには思われた。 天気はよく、しかしわたくしには灰色の空。いつもわたくしに、世界は色を見せない。 「シリウスと、レギュラスは、似ているけれど似ていないと、考えていました。どちらがいいとか、そういうことを考えていたわけではありません。ただ、ほかの方が言うように、そっくりだとは、思えないなと、考えていたのです。」 ゆっくりと言葉を選びながら、しかし素直に白状する。 「…それで?」 大人びた様子で、レギュラスはただ続きを促した。それにわたくしは、また先ほどまで考えていたとりとめもないことを、伝えるべく言葉を発する。 「中身は似ていたりするなと思います。理屈っぽいところとか、そのくせ負けず嫌いだったり、結構感情的で、噫、それから、優しいところとか。」 「…優しい?」 わたくしの最後の台詞に、あざけるような調子で、レギュラスがわらった。 彼がそんな風に冷たい笑い方をするのを目の当たりにしたことがなかったわたくしは、思わず肩を震わせる。 いつの間にあの小さな子供は、こんな大人びたさびしい笑い方をするようになったのだ? 「あなたは、誤解をしているんだ。」 「…ごかい?」 そう、あなたは何も知らない。 レギュラスの目玉が、見たことのない黒を湛えていた。 「シリウスはあなたが思うような人間じゃありません。」 平坦で冷たい、しかしどこか深いところから響いてくる言葉だった。 「レギュラス、」 「…行きましょう。」 返事はかえってこなかった。 そのまま彼は、歩きだす。わたくしはいつか、シリウスと並んで歩いた庭に、ひとり。 ひとり。 ふいにこみ上げるように感情が胸を突いた。 どうしてあなたがここにいないのか。 変わらず空は明るい灰色。白い光の乱反射。色のない風景の中を、先へ先へ歩いてゆく背中は、シリウスのものではないのだ。 シリウス。 優しいひと、少しさみしい、正しくてわがままで傲慢でなによりも自由な、星の瞳したひと。 わたくしの考えるシリウスは、違うのだと、レギュラスが言う。 ではシリウスとはなんなの?生まれたときからわたくしを構成していた、あの星の少年の名は? いつか。いつか真っ白な光のあふれる庭で。 シリウスはわたくしのまだ短い髪に指先だけで少し触れて、風が吹いていた、彼の眼差しが優しげな、そしてさみしげな色をしていた、彼は手をすぐに引っ込めて、しかしその指先は次に頬にほんの少し触れ、やはりすぐに離れた。 困ったような微笑。 「、」 ほんの小さなこえで彼はわたくしを呼び。 どうと湿った風が吹く。 「…雨が来そうだな。」 戻ろうと彼は言った。名前のあとに何を言おうとしていたのか、わからないまま。 その続きを、もう二度と聞くことはできないかもしれないのだ。 そう思うと足が動かなくなった。 色のない景色はかわらない。それでも花は咲き、鳥は歌い、空は青いと人が言う。優しいレギュラス。弟と思っていた少年だのに。 すべてがまるで違ってしまって、けれどなにも変わらない。それでもわたくしはここにいる。 シリウスとの婚約は解消され、新たにレギュラスと約束が結ばれた。どちらにも始めから、わたくしの意志などない。なにもかも当たり前過ぎた。すべて、すべて、最初から決まっていたこと。 静かに静かに涙が落ちた。 彼がブラックの息子だから、共にいたのではない。シリウスがシリウスだったから、約束は当たり前のものとして果たされ、疑うことすらしなかった。 風が遠くで囁く。、お前にと、彼の声を真似て。 (くりかえすときのなか) |