「やあこんにゃく者ちゃん!」
 レギュラスが来るものだとばかり思ってドアをあけると、ポッターだった。
 閉める。
「ちょっと!ちょっと!ちょっと!!」
 無理矢理隙間から入ろうとしてきたのであきらめた。
「…冗談です。」
「ちょっと絡まない間にデンジャラスになってない君!?」
 無駄に荒い息をしながら、ポッターが慄いたように自らの肩を抱いてわたくしを見る。
 誰のせいだと。
 その言葉は呑みこむ。
 ポッターはしげしげとわたくしを頭のてっぺんからつま先まで見下ろして、「準備はできてるみたいだね!」 と大層満足そうに頷いた。
「…なんの用ですか?」
 もうすぐレギュラスが迎えに、
「迎えに来たんだよ!」
「はい?」
「今日はダンスパーティーでしょ!お待ちかねだよ!」
 誰が、とは聞けなかった。


Last Dance


 半ば浚われるように肩に担がれて運ばれた先は、ずいぶん寂しい校舎のはずれだった。ポオンと放りだされて、「お届けものでぇす!」 わたくしはあやうく転びかけて、それから目を上げ、息を止める。
 夜空を背に立っている人が、わたくしを見ていた。じっと、わたくしだけを、見ている。

 シリウスは待っていた。
 真っ黒なローブを着て、夜の中、立っていた。
 大広間から少し外れた、バルコニー。わたくしを上から下まで眺めて、 「ブラック?」 と眉をしかめて少し微笑んだ。
 ポッターがほらとわたくしの背を押すのも、もはや気にならなかった。
 星空の下。シリウスだけが、わたくしの前にいる。

「…悪かったな。」

 最初不自然な沈黙があって、それかシリウスがようやくそう口を開く。ここにつれてこられたことを指しているのだろう。わたくしがなにか言うのを遮るように、彼は小さく口を開いた。
「あいつら、言い出すと聞かねぇから。」
 ポッターたちのことだろうか。
 立ちすくんだままのわたくしに、ゆっくりとシリウスが歩みよってきた。星の瞳、銀の目。
 ここにいてはいけない。レギュラスが待っている。
 しかしわたくしの足は動かない。
 シリウス。わたしだけのあなた。
「…でも感謝しなけりゃな、」
 囁くように、もうわたくしのほとんど間近で彼はそう言った。
「俺ひとりじゃきっとがむしゃらに当たり散らすくらいだ。」
 困ったような微笑み。遠慮がちにその手が伸びて、わたくしの髪を解いた。結い上げていた髪はふぅわりと広がって、肩に落ちる。
「…あんまり見せるもんじゃない。」
 ムスッとしたまま、彼が呟いた。わたくしは思わず、笑ってしまう。それにますますシリウスは難しい顔をする。なんということはない、照れているのだ。小さな頃からの彼の癖。わたくしはそれをよくよく知っている。知っていた。ずっと共にあったのだもの。

 ふいにワルツが広間から、小さく聞こえてくる。
 夜に染み入るように。シリウスの目は夜を貫いて輝き、わたくしを射る。いつも。いつも。いつまでも。
 その手が差し出された。
 その声なき言葉を理解するよりはやく、その手のひらに手のひらを重ねる。やんわりと、しかし次の瞬間には力強く握られた手のひら。

「おどろう、」

 耳元に落とされた囁き。


***


「シリウスはあの真っ黒なドレスが気に入らないらしい!」
 すっかり忘れ去られた外野その1が笑った。
「まあ確かに、いかにもブラック家という感じだものね。」
 外野その2が微笑んで頷く。
「私もショパンには黒は似合わないと思うわ。とっても素敵だけど!」
 とはかわいらしい淡いピンクのドレスを着た外野その3。
「な、何色がいいかな!」
 少し踊る二人に見惚れながら、外野4。

「んー…青!」
 そう言うなり、外野その1が杖を振った。
 彼女のドレスがパッと光ると、色を変える。目も冴えるような、深く鮮やかなブルー。海の色だ。彼女の動きに合わせて、縫いとられた細かなビーズが、真珠の泡のようにきらめいた。
「青?」
 それに外野その2が、うーんと首を捻る。

「やっぱり女の子だもの。ピンク!」
 ドレスは再びパッと光り、ばら色に変わった。朝露に濡れたばらのような、艶やかなピンク。いつか二人の会話を聞いたばらの花の色。
 満足げに外野その2が頷き、その1が口を尖らせる。
 その隣では外野その3が、 「男の子って工夫がないわよねぇ。」 と呆れたように肩をすくめた。

「ブルーもピンクもありきたりよ。…ゴールド!」
 杖をさっとひとふり。その金は決して下品で煌びやかなものではなく、落ち着いて洗練された、気品あるゴールドだった。遠目に見ればベージュにも見える、しかしそのしっとりとした上質な輝き。
「さすがだよリリー!」
「うーん趣味はいいけどショパンにはどうかな…?」
「リーマス!リリーのセンスを疑うのかい!」
 ぎゃあぎゃあ言い始めた3人の隣で、小声でこっそりと、外野その4。

「…白。」
 光に包まれて、あらわれた色は、雪であらわれたようなやわらかな白。ガラスをまぶして表面がきらきらと光る。夢の中のような、雲の上のような。まっしろだ。夜の中ひときわ、輝いて見えた。
「…あら、」
 三人が目を丸くした。
「ピーター、あなたなかなか趣味がいいじゃない。」
「やあ、ウェディングドレスみたいだなぁ!」
「ヒューヒュー!お二人さん!」
 ずいぶんうるさい外野である。
 チラリと踊りながら、そちらを眺め、シリウスはのドレスに目を落とした。
 純白のドレス。確かに彼女によく似合う。とてもよく似合う、でも違う。そう考えて、彼は苦笑する。彼は知っていたのだ、もうずっとずっと昔から。
 彼女に一番似合う色。

「…ウィステリア。(藤色)」

 ぼそりとつぶやかれた言葉。杖を振るわずとも魔法は発動された。
 やわらかな音と光にくるまれて、切り替わったドレスの色。
 あわいあわい、ごくごく白にちかい藤の花の色。彼女が一等好んで選ぶ色。彼女の母親と同じに、一番似合う色だと父親に言われてからずっと。
 彼はその理由を知っている。
 の目の中には、散らしたような花の模様がある。母親譲りだというその虹彩の色は、藤の色。淡い紫。
 おお、と外野が声を上げた。
 確かに一番、よく似合う。

「…よく似合う。」
 初めて彼がぼそりと彼女にしか聞こえないように囁いた。繋いだ手に力が込められる。
 がわらった。時すら止めるような、花の微笑。
「…やっとほめてくださった。」
 似合わないかと思ったと、くすぐったそうにそうわらう。
 そうじゃない。彼は少しあわてた。デザインも仕立ても完璧だ。銀の靴も、小さなイヤリングもよく似合う。ただドレスの色が、気に入らなかっただけなのだ。彼女に黒は似合わない。優しい優しい、花の色こそ似合うのに。

 少し期待するような目で彼女が微笑んで彼を見上げている。ワルツのステップ。足が勝手に動く。こういう時、小さい頃嫌というほど仕込まれてよかったと思う。
「……………、」
 彼は少し口を結んで、明後日の方向を見た。
 正面切ってそう言うには、は彼にとってどうでもよくなさすぎた。

「…きれいだ。」

 今度こそ彼女がわらった。
 カメラのシャッターを切るように、シリウスの目蓋に、鮮やかに焼きつく。
 花すらもはにかむような、やわらかな笑顔。






(ラスト・ダンス)