belle etoile


 シリウス。
 もうずいぶんと長いあいだ、わたくしだけのものであったあなた。もうずいぶんと長い間、わたくしを所有しているあなた。きっとそれは、これからもかわらないと思うのだ。
 いつも穏やかに穏やかに、不自然なほど、優しく、お互いをあいしている。
 それだけは確かであったと思う。それだけが確かだと思う。

 わたくしの世界に色はない。
 蕭々として、さみしくて、色のない世界にあなたがいないそのことは、ひどくとても頼りない。
 あなたの黒はどの黒よりも、ヒリリと凍えるような気配して。あなたの白はどの白よりも、はっとするほど目について。その瞳の灰色は、どの灰色よりも、空を貫くほどに明るくて。
 ―――どこへ行っても同じはずなのに。
 シリウス、世界はすべて色のない蕭々とした荒野。見渡す限りの草と岩、ひび割れた大地。音は海、絶えず誰かを浚う。太陽なら強すぎて誰にも気づかれず、花もやがて枯れるだろう。
 噫、けれどシリウス。あなたの立つさみしい黒白の風景は、それでも確かに美しく、わたくしはその景色を、確かにあいしていた。
 あなたのいない庭は、無明の世界だ。だのにあなたのいない庭は、こんなにも光に溢れて。

 わたくしは気がついた。
 レギュラスの目の中にも、星があった。
 きっとわたくしの目の中にも、あなたの目の中にも。けれどきっと、彼は気がついていないのだ。その星の燃える炎を抱いて、わたくしたちは生きてゆくことができる。それは砂漠を流離うものに与えられた最後の水で、夜の海のポラリス、洞窟の先の小さな光の点。そういったものだ。
 けれども彼は、気づかない。
 ねえ、シリウス。気づきませんか。
 あなたがいなくなって、あなたの弟の細い肩に食い込んだものの重さを。あなたと同じように、それを捨てて投げ出せと述べることの無責任を。
 あなたの弟は優しい。
 シリウス、気づきませんか。
 あなたがいなくなって、あなたの母親の、期待と愛と憎しみすべてが、弟に移ったのを。そのすがりつくような白い指先にこもる力がどんなに強いかを。あなたを罵る言葉の背に、どれだけの喪失による痛みと嘆きと悲しみが、同居して叫んでいるのかを。
 シリウス、気づきませんか。
 あなたの弟は優しい。彼があなたの後を追えば、誰があなたの母親を慰めるのでしょう。
 シリウス、気づきませんか。
 あなたの父親の、髪の灰色が強くなったこと。眉間の皺が深くなり、その冷たい失望のため息は弟のやわらかい心臓にかかり、その熱い期待は弟のまろい眼を焼くことを。
 気づかないの。
 あなたの弟が、あなたの分もと背伸びをして。あなたのいなくなったことを悲しむこともできずに、あなたのいなくなったことを埋めようと、あなたと同じように、わたくしの髪に少しだけ触れて、さみしくわらう。代わりでいいと、代わりになれないことを知りながら。代わりでなくてもいいと、それすらも諦めるように。婚約者として、あなたを支えられればそれだけでいいと思ったと、そう言って。

 それでも愛しているとレギュラスは言う。

 シリウスは一度も、そんな風には言わない。言葉はない。ただかすかにその銀の眼差しばかりが、時折こうして語りかける。
 ただずっとおれをすきでいてくれる?おれをひつようとしてくれる?おれをすきなままでいてくれる?おれをひていしない?おれをゆがめない?おれをしばらない?おれをわすれない?

 わたくしは答える。言葉もなく。
 あなたを忘れない。
 あなたをずっとすきでいる。あなたをひつようとおもう。この世界のどこかであなたが生きてしあわせであること、自由であることをひつようとしている。ずっとあなたをすき。あなたはあなたのままで、どうぞなにものにも縛られることなく、自由でいて。それでもあなたを忘れない。
 ほかの誰かに恋をして、ほかの誰かを愛しても。あなたはわたしを世界で一等すき。わたしもそう。
 信じているというよりも、そうあることが当たり前過ぎた。
 だから。
 この 『だから』 を、きっとあなたなら、理解してくれると信じている。

 だから、レギュラスを愛していいかしら?

 彼は、彼はなんと優しくさみしいあわれな人だろう。彼は、彼はなんとかわいらしくて、一生懸命にひたむきな、一途な人だろう。
 ずっと弟だと思っていた。それは否定することができない。
 しかし "わたし" は気づいた。彼の背の高いこと、その腕の逞しいこと、その目のまっすぐなこと。
 たとえ闇の魔法に魅せられても、かわらない優しさを彼は持っている。
 強く、脆く、苛烈で、儚い、かわいい人。

 ―――彼の愛にこたえたい。

 わたしの内に燃える炎、それらすべてを持って。その星を燃やす光の源、それだけは、あなたがずっと変わらずにどうぞ持っていて。





(うつくしいほし)