gone with the wind



 時代は暗く、暗く、太陽の沈むのをみるようだった。
 卒業して―――家を出て以来一度も、シリウスはブラックの土を踏むことはなかった。

 ブラック家とレギュラスは、世界を取り囲む暗黒の、中心ほど近くにあった。それはわたくしの兄が、妹をやるのを躊躇ったほど。しかしわたくしも兄も、重々承知してもいた。いまさらにこの婚約を破ることなぞ、できやしない。
 レギュラスがいくらわたくしを大事に、大切に思い愛してくれていても――闇の陣営であることを理由に婚約を蹴れば、可及的速やかに、制裁はなされる。わたくしが彼の家に入らないことは―――ショパン家が中立という今までの危うい立場を蹴り、完全に闇の陣営と距離を置くことを示したから。
 もはや彼らは、圧倒的な強者でした。彼一人の感情に左右されることのない、強い力の塊でした。
 そうして彼は、家と家族を捨てられない。わたくしが家族を捨てられないのと同じように。
「…わたくしたちは似ている。」
 彼にはもはや道はない。
 逆らえば、死。しくじれば、死。

「―――、」
 断ってもいいのだ、断わってくれと祈るように、兄がわたくしを見下ろす。
 10も年が離れている彼は、まだ若いというのに最近髪がどっと白くなった。優しく聡明な人だ。何の根拠もない純血主義を掲げて、他人を傷つけることのできるような人ではない。
「聞いたかい。―――"彼" が闇の陣営に入ったよ。」
 それがレギュラス・ブラックのことであることは明白だった。
 彼はまだホグワーツの6年生。最年少と言っていい若さで、その才を帝王直々に認められたのだという。
 そうしてそのレギュラス・ブラックと、・ショパンは結婚するのだそうだ。―――彼の卒業を待って。いつまで経っても、現実感がわかない。あと2年、あと2年で彼は卒業する。
 そうすれば、答えを出さねばならない。
 そうしてその答えを出すのは、わたくしではない。この家の長である、兄の役目。
 彼は妹であるわたくしをとてもたいせつに思ってくれている、そうして同時に、この家と家族を守らねばならぬのだ。どうするのが一番懸命な道かは、見えている。長いものには巻かれればいい。わかっているくせに、兄は尋ねる。わたくしが嫌だと言ったその瞬間、戦ってくれるつもりでいる。
 しかしわたくしは―――わたしは、もはや、決めている。
 あの人を愛せなくとも、共にいる。いいや、きっと、愛せるだろう。婚約者として。花嫁として。妻として。闇の陣営に入っても、彼がわたくしをあいしていることは変わらないとどこかで確信めいて知っていた。シリウス。あの人は違う。あの人だけは、変わらないまま。そうしてレギュラスが、わたしの思いすべてを知ってなお、傍にあることを望んでくれていることも。
「いいえ。」
 わたくしは微笑する。兄がはっとして、その目を凝らす。
「いいえ、お兄様。わたくしはレギュラスの元へ参ります。」
 あと2年―――それが何を意味しただろう。
 少し泣きそうになった兄は、しかしもう何も言わなかった。

 それが夏の話で、ホグワーツではなく実家で過ごす、久しぶりの季節は退屈なほどゆっくりと過ぎた。
 しかしじきに秋が来て冬が来て―――寒い夜だった―――風と共に、窓を叩くものがある。

「…、」

 その晩レギュラスは、ひどく疲弊し憔悴しきった様子だった。
 突然の訪問は真夜中で、しかも窓からだった。外は雨が降っている。びしょぬれの彼を招きいれながら、わたくしが乾いたタオルを探す間、レギュラスは暖炉の炎を眺め、何か物思いにふけっていた。
「どうしたの、」
 彼はここ最近、ずっと思い悩んでいるようで、しかし例のごとく、決してその内容を誰にも明かそうとしなかった。そもそも彼の "活動" が忙しく、頻繁に連絡を取れるような状況ではなかったし、兄は今なおブラック家と血縁関係になることに迷いを捨て切れずにいて、会うような機会もなかったのだ。
 ただ手紙だけ、時折思い出したように届いた。暗い時代など、彼の "活動" など微塵も感じさせぬ、日常だけ切り取られた簡潔な手紙だった。元気ですか、僕は元気です、ずいぶん寒くなりました、そちらはどうですか、御家族に変わりはありませんか、風邪などひかぬように。
 そこに書かれてしかるべき、学校生活についての記述はない。彼は本来、まだホグワーツにいるはずなのだ―――表向きは。
 もちろんそうではないことくらい、知っていた。

 彼は一度、顔を上げてわたくしを見つめた。暖炉の光がぼんやりと明るく、彼の右頬を照らしている。
「…明朝すぐにでもここを逃げてほしい。」
 静かな、穏やかな口調だった。
 彼の骨ばった手が、わたくしの手に重ねられる。ひやりと冷たい。
 わたくしは思わず首を振った。
「レギュラス?」
「もう義兄さんには連絡してある―――今頃手配を整えてくれるはずだ。あなたは隠れなくてはならない。」
 彼はいつになく饒舌だった。それでいて焦って、怯えて、しかしなにか強い決意が、彼を北の海に出るポラリスのように不動のものにしていた。その目の中の光。またたいて囁く星だ。いつか見た光。それよりもなお、苛烈に燃えている。
 、きみが。
 あんまり光がつよくて、そこから先を聞きとることができない。
「しばらく―――長引くことはないだろうが、あなたは隠れなくては。ダンブルドアに頼ってもいい。 "あの人" にどこまで知れているかわからないが―――もちろん知られぬうちにやるつもりだ、しかしもし、知られてしまったならばあなたがきっと最も危ない――。」
 "あの人" が誰のことかもすぐにわかった。どうしてこんなに彼は切迫した様子なのか。まるで逃亡者のようだ。そこまで思い当たって、わたくしははっと顔を上げる。悲しげな、しかしどこか満足げなレギュラスの微笑。

「ヴォルデモートと何があったのです?」
 ためらいなぞわたくしにはずいぶん昔からなかった。
 その名を出したわたくしに、レギュラスは愉快そうに笑って、「本当にあなたは、時々びっくりするほど勇ましいな。」 とその兄と同じ台詞で笑った。
「だいじょうぶ、僕はきっとうまくやる。」
 そんなはずがない。
「レギュラス、」
 彼は何も聞くなを首を振る。
「もし本当にどうしようもなくなったら、」
 どうしてそんな泣きそうな、

「―――兄さんを頼れ。」





(かぜとともにさりぬ)