funeral bell 目覚めた朝はまるですべてが夢のようだった。 レギュラスは影も形もなく消え、しかしやはり、あれは夢ではないと思う。世界が違って見えた。穏やかに広がって、すこしさびしくて。頑なに守ってきたわけではないけれど、失ったところでなにも変わらないのだと知る。少し微笑うとなぜだか優しい気持ちがした。 お嬢様、と朝食の知らせをしに来た僕妖精に、いつものように返事を返す。 すべての日常がつつがなく、なにもなかったように過ぎる。 レギュラスはなにが言いたかったのだろう―――なにをする気でいるのだろうか。 兄は朝食の席にいない。逃げろ、と彼は言っていた。兄にももう伝えてあるから、と。義姉はなにも知らないようで、まだ幼い甥っ子の食事をしながら、わたくしの質問にもおっとりと首を傾げた。 「昨晩緊急の梟が来て、それっきり書斎にこもりっぱなしなのよ。ずっと大勢の方と連絡を取っているようなのだけれど…。」 「そうなのですか、」 「、あなたなにか聞いていて?」 「いいえ。」 ギイ、と食堂の扉が開く。 兄である。 「、」 兄がかすかに微笑んで言う。疲れきって、しかしどこか安堵した笑み。 ふいに、聞きたくない、とわたしは思った。しかし両手は銀の食器を持っていて、耳を塞ぐことはできない。兄の不思議な微笑。静かだった。 「…レギュラスが死んだよ。」 しずか。 カランとわたくしの手から銀のフォークが落ちる。義姉の息をのむ音。窓の外で鳥が飛ぶ。梟だろうか。銀の食器の立てる音は冷たい。甥の無邪気な声だけ、遠くに明るく響く。 ―――。 その静寂のどこか遠く、布一枚隔てた遥かなところに、昨晩の声がこだましている。 とてもやさしい、さびしい人の声。 式を挙げる前でよかった、結婚を決めてしまう前でほんとうによかったと兄がぽつんと言う。 もうきっぱりと、闇の陣営につこうか否かの迷いは消えたようだった。 「しばらく身をひそめることにしよう―――いつまで闇の勢力の支配が続くがわからないが、レギュラスはそう長くはないと言っていた。」 わたくしを置いて、会話が進んでいる。まあどうしましょうと義姉が立ちあがり、だいじょうぶと返す兄の力強い声。 「詳しいことはなにも言ってはくれなかったよ。ただ離反することを決めたので婚約を解消したいと。ブラック家にもショパン家にも、迷惑のかからないように努めるが、どうなるかわからないので念のためにも身を隠したほうがいいとも。それだけだ、彼が言ったのは。」 それだけ。 いつも彼はそうだった。自分で考えて、自分で決めてしまう。幼いころからずっとそうだ。いつも胸のなかに、苦しいこともつらいことも大切なこともたったのひとりで抱えてしまおうとする。どうして昨夜もっと、彼に話を聞かなかったろうか。 しんだ。 ―――死んだ? いまいち実感がわかない。悲しいだとか、苦しいだとか、それらが訪れるよりも前に、唖然としている。彼が死んだ?信じられないような、ずっと前からそれを知っていたような、心持ちがする。昨日訪れた彼こそ、やさしい幽霊のようだった。 青褪めたわたくしの頬をどう思ったか、兄が安心させるように両肩に手を置いて微笑んだ。 私にとっても、彼は年の離れた弟のような存在だったよ―――、兄の声。 違う、と言いたかったのに言葉がでない。違わないわと言う自分と、違うと叫ぶ自分が、正反対のところでお互いをひっぱりあって、咽喉を絞めあげていた。 「大丈夫。忠誠の術を用い、秘密の守人を立てる。誰を立てればいいかも、レギュラスの指示があった―――そして私は、それに従うのが一番安全だと考えている。」 その言葉の続きも、わたくしには手に取るようにわかった。 ついにするりと、涙が落ちた。 これは誰のための涙だろうか?これがレギュラス、彼だけのための涙ならいいとわたしは思った。兄が泣き顔を隠すように、そっとわたしの顔を胸元に引き寄せる。レギュラス、わたしの、わたしたちの、たいせつな―――。 新しくなったと思った世界が、ひっそりと息をひきとろうとしている。最後の息吹が、やさしくわたしの頬を撫でる。それはまぁるい形をしていて、それは水と同じ濃度をしている。レギュラスの目のなかで、かつて燃えていた星の、最後のひとかけらだと思う。 「シリウス・ブラックに秘密の鍵を与える。」 どこか遠くで、お弔いの鐘が鳴る。 黒い服を着なくてはと思った。 それは違うと誰もが言っても、それでも彼をあいしていた。 (おとむらいのかね) |