the talk of school


 ・ショパンとシリウス・ブラックが付き合っているらしい。
 些細な噂は瞬きする間に広がった。
 寮も違う、性格も違う。そんな男女がよく一緒にいて親しくしていれば、誰もがそう考えるものなのだろう。
 夕食も終わり、それぞれ部屋でくつろぐ時間。
 わたくしは椅子に腰かけ宿題の続きをしていた。四人部屋は夜の静かな囁きに満ちて、ルツという前髪の長い友人は二段ベッドの上で寝ころんで本を読み、もう一人の友人、サティはずっとラブレターの文面に悩んでいる。
 それぞれの、休み時間。
 しかしそれはドタドタと騒がしい足音と共に開け放たれたドアに、あっけなく終わりを迎える。

!あなたったらあのシリウス・ブラックと付き合っていたの!?」

 同室の最後の一人、クローディアが部屋へ飛び込んできた勢いのまま、バンと机を叩いて詰め寄ってきた。ずいぶん興奮しているようだ。
 その言葉にガバリとサティが顔をあげ、ルツも少し面白そうにベッドの上から見下ろしてきた。
 急に三人の視線を一気にうけるはめになり、わたくしは少し慌てる。
 "あの" シリウス・ブラックが "どの" シリウス・ブラックなのかわからないが、少なくともホグワーツにその名を持つ人間はひとりしかいないので彼のことだろうと、わたくしは首を傾げながらもその問いに答えを返す。
「いいえ?」
「違うの!?」
「付き合っていないわ、婚約しているの。」
 こけた。
 彼女はその言葉を聞くなりそれは見事に机についていた腕を滑らせてずっこけた。サティも同じように、ずっこけている。
 ゴンと額を打ち付けるふたつの鈍い音。
 勢い余って床に転がった二人の友人を、ルツと一緒におそるおそる見下ろす。
「だいじょうぶ?」
「…あなたたち、平気?」
「だいじょぶじゃない!」
「平気じゃない!」
 床に転がって額をさすりながら二人の友人が起き上がる。
 いつも陽気なわたくしのお友達。彼女たちと話すのはこんなにも楽しく、ちっとも苦ではない。しかし今夜は、なんだか勝手が違うよう。

「なぁんで教えてくれなかったのよ!」
「ちょっと!ちゃん私初耳!」
 ぎゃあぎゃあと二人に詰め寄られて、思わずたじろぐ。
「ごめんなさい、吹聴するようなことではないと思ったの。」
「あんたねぇ…!」
 まったくとクローディアとサティが二人揃って額に手をやり首を振る。どうやら呆れさせたらしい。
 よくわたくしは、彼女やほかの友人にこのような反応をされる。
 いつの間にかベッドから降りて来たルツが、少し笑って、わたくしの肩を叩いた。
 これは、どんまいとがんばれ、という両方の意味を兼ねている。

「…まあいいわ。びっくりしたなぁ!…婚約ってことはホグワーツ入るより前からなの?そう言えば、お嬢様だったわね。いつから?」
 クローディアがそのまま地べたに座りなおし、サティも隣に座る。ルツに促されて、ベッドの端に座りながら、わたくしはゆっくりと言葉を選んだ。
 三人の視線はどれも、すべて聞かせてくれるまで眠らせないぞと、それぞれに語りかけてくる。

「生まれる以前から。」

 それに彼女たちは、今度こそ目をこぼれんばかりに丸くした。
「…ど、どゆこと?」
「生まれる前から婚約が決まってたってことでしょ。」
「ふえええ!」
「あれね!親が決めた許嫁ってやつね!」
「ねぇ、それって…それでいいの?」
 三人が一斉に、しかし夜であることは忘れず小さな声で囁きだす。
「なにがです?」
「いや、確かにシリウスはハンサムだし成績も家柄もいいしかといって真面目過ぎないしクールだしかっこいいけど、」
 三人を代表するように述べたサティに、今度はわたくしがその言葉にきょとんとした。
 シリウスは、傍からそう見えるのだ。
「それってつまり親が決めた結婚なんでしょ?」
 とはクローディア。
「ええ。」
 婚約とはたいがいが、そう言うものではないのだろうか。互いが互いを愛し合い、結婚の約束を交わすには、わたくしたちはまだあまりにも幼い。

「それでいいの?」

 質問の意味がよくわからない。
 わたくしがそれを理解していないことに気がついたのだろう。クローディアとサティが少し首を傾げる。唇の下に人差し指をやって、ううん、と少し考える時の彼女の癖。
「愛してるの?彼のこと。嫌じゃない?親に決められるの。」

 愛。
 愛だとか恋だとか、世間に溢れるそれらの言葉が苦手だった。それらはどれも、うつろいゆくありふれたものに思えた。
 違う、違うのよ、クローディア。
 彼とわたくしのことは世界の始まる前からの約束。うまく言葉にあらわすことができない。けれども違うことだけはわかる。
 このおもいはなんだろう?
 それをとても貴重で稀有な、特別なものだと感じるその一方で、愛だ恋だのという言葉が似つかわしくないほど、もっとつまらなく当たり前の、日常的な感覚のようにも思うのだ。
 そんな大層なものじゃない。
 ありふれたものじゃないと、もっと違う、高尚なものなのだとも感じながら、愛や恋にも満たないもっと平凡でとりとめのない、ほんのささいなつまらないものだとも思っている。
 それがシリウスとわたくしの間にある感情だった。
 それはあまりにも、長く、生まれる前から存在するかのような。
 ただ。ただわたくしはあの人のことが。

「…すきなの。」

 初めてわたくしが言葉にした、シリウスに関する心だった。
 すきの二文字にこもる万感の思いを―――いいや、そんな大したものではない―――ただシリウスをすき、なぜそれだけではいけないのだろう?それこそがきっととこしえにとなえ続けることのできる唯一の呪文だのに。
 すき。
 言葉にするとこんなにも簡単だ。あの人が好き。ずっと、ずっと昔から。きっとずっと、ずっと。

「ふぅん?」
 彼女は不思議そうに首を傾げた。
「なら、いいんだけど!ほんと驚いたなあ〜!やっぱりあるのね、上流階級、っていうの?ショパン家とかブラック家ともなると、そういうの。ルツんとこはどうなの?」
 ルツの家も、魔法界ではよく知られた家柄だった。
「…兄さんには確かにおんなじような感じでお相手がいるわね。」
「へええええ!ルツは?ルツは?」
「いないわ。そんなのふるくさいじゃない。家を継ぐわけでもないし、気楽なものよ。」
「…やっぱりふるくさい、のかしら?」
「ううん!まあ確かにちょっと旧式な感じはするけど…いーんじゃない?当人同士がそれで満足してるなら。ヴィジュアル的にはばっちりよ、だいじょーぶ、安心して!」
「なぁに、それ。」

 ちょっと顔を近づけてくすくすと笑いだすと、もうすっかり元通りだ。
 ルツにサティが、ラブレターの文面について相談し始めた。それを呆れたようにルツが 「勘弁してちょうだい。」 と言い、クローディアがサティをからかって遊びだす。わたくしはそれをみてわらう。いつもの通り。
 女の子の秘密のおしゃべり。






(こうないのうわさ)