little brother coming


 レギュラスは年がわたくしたちの二つ下だから、2度目の夏休みが明けてすぐ、彼もまた、ホグワーツへと入学してきた。

 彼はブラック家の次男として、また、その兄に似た美しい容姿とで注目を集めた。
 そして彼の家の慣例に漏れることなく、組み分け帽子は彼のスリザリン行きを叫んだ。当然、と言わんばかりにゆったりと、レギュラスは帽子を椅子の上に置き、蛇寮の食卓へ階段を下りた。
 彼はわたくしたちが学校へ行っていた2年の間に、少し変わったようだった。


 ホグワーツに上がって1年目の夏。帰宅したわたくしたちを待ちわびていたかのように、レギュラスはしがみついて出迎えた。
 おかえりなさい、おかえりなさい。と繰り返す小さな口を見下ろしながら、シリウスはその頭をそっと撫ぜた。わたくしのワンピースにしがみつく腕が、小さく震えていた。
「僕も早く学校へ行きたい。」
 駄々をこねるように、けれどもそれが叶わないと知っている賢い弟は、小さくぽつりと呟いた。

 2年目の夏休み、彼はもう泣いて出迎えはしなかった。
 ただ少し、ほっとしたように「おかえりなさい。」と頬笑みを漏らした。
「兄さま、」
 なんだと見下ろしたシリウスに、彼は少し眉を寄せる。
「あまり母さまを怒らせないでくださいね。」
 僕だって来年はホグワーツなのだから。
 悪戯がばれた子供のようにシリウスはおどけて肩をすくめ、わたくしの目を見る。わたくしはうろうろと目を明後日の方向に泳がせて、それを見てやっとレギュラスは明るい笑い声をごくごく小さく漏らした。


 そうして三年目の秋。
 彼はホグワーツへとやってきた。
 もうその夏休みから、彼は違っていたのだ。
「おかえりなさい。」
 やはり玄関でレギュラスはわたくしたちを待っていた。いいや、まだ待っていてくれた。
「兄さん、相変わらず馬鹿騒ぎしてるらしいですね。」
 困ったようにそう言った。

 もはや彼には、以前のような、大人たちの評価を気にしたようなおどおどとした態度は見受けられず、堂々として、それから。
 その兄の嫌う家風そのものが、弟である彼にしみついたようだった。
 それはおそらく、兄の獅子寮入りと、その学校での破天荒な生活ぶりを受けて、両親の期待が、すべて彼に傾いたことによるだろう。
 あまえるものもなく、わたくしたちが学校へいる間、いったいその小さな弟が、どんなふうに家で過ごしたか、なんとなくその変化から察することができた。


 そうして彼は、絵にかいたような両家の子息として、ホグワーツの土を踏んだ。
 汽車の中からすでに、レギュラスはシリウスと同じコンパートメントには乗らなかった。

「レギュラス、一緒に乗ってけよ。友達を紹介する。」

 駅へと向かう馬車の中、シリウスの心持ち楽しそうでそれでいて困ったような照れ隠しの言葉に、レギュラスは首を縦に振らなかった。当然わたくしたちは、レギュラスを連れていくつもりでいたので驚いた。汽車の中で売っているお菓子の話や、船で湖を渡る話を、彼はそれはもう夏休みが来るたびに、喜んで何度も聞いたものだのに。
「友達とはどなたです?」
「何度も話しただろ。ジェームズ・ポッターに、」
「リーマス・ルーピンにピーター・ペティグリュー。」
 淀みなく彼の馴染みの友人たちの名前を上げる弟に、そうそう、とシリウスが頷く。それにレギュラスが固い頬のまま、ちらりと一瞥を向ける。
「ポッター先輩だけなら御一緒します。」
「…どういうことだ?」

「純血の方となら。」

 まっすぐに平坦な言葉で、一瞬それがひどく尖った言葉だということに気がつかないほど、彼は自然にそう言った。
 シリウスが馬車の中立ち上がる。烈火のごとく、怒っている。
「やめてシリウス!」
 思わず悲鳴をあげたわたくしに、シリウスが振りあげようとしていた拳をしぶしぶと戻した。ほんとうにしぶしぶと、唇をかみしめて今にも弟に噛みつかんばかりの形相をして。
「…いいか。学校ではそういうことを大っぴらに言わないことだ。お前の品位を損ねたくないならば。」
 たっぷり間をおいてその唇の間から絞り出された言葉は、さすがに弟の弱点をよくついていた。品位、品格。我らがブラック家の。
「もちろん言いませんよ、本人がいないところでだって必要がなければ言いません。」
 けれど、とその目がしっかりと兄を見た。

「それが家の方針です。」

 それきり馬車の中は静まり返った。
 シリウスは駅へ着くなり自分とわたくしの荷物だけ持ってさっさと仲間の待つコンパートメントへ向かってしまった。きっとわたくしの友人のいるコンパートメントに届けてくれるのだろう。
 いつもならついてゆくのだが、そのままその場に立ち止まった小さな弟は、やはり何か無理をしているようで、おいてはいけなかった。
 勝手な思い込みかもしれないが、怒りもあらわに去っていく背中が、それでもやはり、頼むと言ったように思えたのだ。

「…レギュラス、」
 そっとかがんで話しかける。レギュラスは少し掠れたような小さな声で、 「はい、」 と答えた。
 それを聞いた途端、言おうと思っていたことを忘れた。
 そういった謂れのない差別の言葉、誰かを貶める言葉は、同時にあなた自身を貶めるのだと、そう言ったことを言おうと思っていのに、忘れた。
 彼の家の方針は、十二分に知っていた。その家がどんなにか暗く重く、この小さな少年の肩にのしかかろうとしているのかも。

「…わたくしと一緒のコンパートメントに乗って行きますか?」
 さっとその瞳に、光が宿ったように見えた。
「わたくしは、シリウスたちとではなくて、寮のお友達と一緒に乗ることになっているの。…みんなわたくしの大切なお友達よ。いい子ばかり。少しおしゃべりだけれど、女の子って、そんなものでしょう?とっても楽しいと思うわ。彼女たちはわたくしとシリウスのことも知っているから、余計な詮索もしないし、楽だと思う。」
 引き留めるように、早足に言葉を紡いだ。
 わたくしがこんなにいっぺんに喋るのを見たことがないからだろう。レギュラスは目をまんまるにして、わたくしを見上げる。
 その口が、何か言おうと、小さくわななき、

「レギュラス!!」

 細く、甲高い声が割り込んだ。
「…ナルシッサ。」
 彼らの従姉妹だ。三人の姉妹だが、もう学校に残っているのは三女の彼女だけだった。
 わたくしたちが入学したころには、次女であるアンドロメダもいて、ずいぶん楽しかったのだが、シリウスは、アンドロメダ以外の長女とこの三女はあまり仲が良くないために、わたくしも最低限の交流しかなかった。
 もともと進んで、人付き合いをするような性格ではないのだ。
「ああ、よかった。ここにいたのね。もごきげんよう。」
 ごきげんよう、と返事を返す。にこやかな頬笑み。わたくしの目には真っ白にしか映らない―――金の髪が日に透けてきらきらと輝いた。
 ナルシスを少女の形にしたら、こんな風なのだろうか。その瞳はブルーだと言う。シリウスの好きないろだ。
「ね、はきっと寮のお友達と乗るのでしょう?レギュラス、私と御一緒してくださらないこと?去年まではルシウスがいてくだすったのだけれど、ほら、彼、去年卒業してしまったものだから。それに私、あなたの従姉ですもの。いろいろと案内して差し上げられてよ。シリウスはどうせ、ポッターたちと一緒でしょう?およしなさい、あなたまで浅学が移るというものよ。」
 蝶のように軽やかな足取りで、あまやかな声が紡ぐのはなんともわたくしには苦い言葉ばかりだ。
 あらごめんなさい、と彼女は全く気にした様子もなく、わたくしにほほえみかける。
「…わかりました。」
 ぎこちなく微笑んだわたくしの隣で、レギュラスが言った。

「ナルシッサ、行こう。…義姉さま、お誘いありがとう。」

 細い背中が歩きだす。やはりそれは無理をしているようにも、堂々としているようにも見えて、なにも言えなかった。
 おいかけようか。しかし、そうしてどうするの?
 汽笛が一度鳴る。汽車が出るのだ。

!」
 力強い声がわたくしを呼んだ。ぐいと腕を引く、よく見知った手のひらの形。
「シリウス、」
、馬鹿だな。早く乗れよ。汽車が出る。」
 そっと囁くように、秘密の呼び名が落とされた。
 もうレギュラスの姿は見えず、腕を引かれるままに汽車に乗る。


「ほら、お前の友達はここ。」

 探しておいてくれたようだ。荷物もひとりで運ばせてしまったし、けっきょくレギュラスをどうすることもできなかったわたくしは完全に迷惑をかけてしまった。
 少し自分が情けなく、しかしそれでもシリウスの優しさがありがたかった。
「ありがとう。」
 精一杯の、感謝の気持ちを込める。
「…べつに、」
 うろたえたようにシリウスが頭の後ろを掻き、その時ガラリとコンパートメントの扉が開いた。

「あー!!よかった!あなたの王子様が荷物だけ持ってきたときはびっくりしたわよ!無事乗れたみたいでなにより!はい、シリウス王子、お勤め御苦労様!」
 行ってよし、と友人がシリウスに飴玉を投げて寄こしながら笑い、それを空中でキャッチしてシリウスがニヤリと笑う。彼にしてはめずらしく、女子ではあるがこの友人を、おもしろい人間だと認めているらしい。
「ようクローディア、ずいぶんと安い駄賃だな!」
「十分でしょ!」
 二人のやりとりを、ほかの友人はおもしろそうに、あるものは呆れたように眺めている。
「…いや、足りない。」
 ますますシリウスがニヤリという笑みを深くする。たいていこういう笑い方をするとき、ろくなことはない。ポッターと罰掃除をする前に、よくこの笑みは見られるのだ。
 嫌な予感が、と考えているうちに、また腕がぐいと引かれた。汽車も揺れ始めて、グラリと姿勢を崩すと、強い腕に肩を支えられる。すべて一瞬の動作だ。
 ふわりと頬を掠めるもの。

「…ありがとな。」

 それから小さな声。
 一拍おいてありがとうとはきっとレギュラスのことだと気づき、さらにもう一拍置いて頬を抑えた。
 クローディアがぎゃあと悲鳴をあげて拳を振り上げている。サティはきゃあと黄色い悲鳴をあげて、ルツは無表情をちょっと呆れたように動かした。
 あつい。
 なんだか少しぼうっとする。
「ちょっとおあんた!今のは高くつくわよ!こら!待ちなさい!」
 ヒヒ、と肩を竦めて笑いながらシリウスはあっという間に長い足で隣の車両へ駈け去ってしまった。
 少しその耳が赤いのは見間違いだったかしら。

「ああもうあのお坊ちゃんめ!見て!が茹でダコ!」
「きゃあ!ほんと、彼って素敵ねえ!」
「きゃあきゃあ言わない!ほら!!しっかり!」
「…気障ぁ…。」
「って、ちゃーん!?もしもーし!?だ、だめだこりゃ…!」
「っていうか、あなたたちそんなんで大丈夫なの…?」
「いいんじゃない?ピュアで!」
 頬を抑えたまま、友人三人に抱えられるように座席についた。
 おかげですっかり小さな弟のことは頭から飛んでしまって、だから同じ車両の端にその弟がいること、わたくしはずいぶん時間が経つまで、ちっとも知りはしなかった。






(おとうと、くる。)