sweetness 「つまり君はを愛しちゃってるの?」 おどけた調子で発せられた質問に、シリウスは眉をしかめた。 愛だの恋だなどと反吐がでそうな言葉だと思った。使い古されて黴の生えた陳腐な言葉だ。口にした端から、その意味も感情も錆びてありふれた、どこにでもあるものになる気がした。 そのどちらも、形をもって、移り変わり変形し、一時大輪の花を咲かせたとて、腐って落ちて枯れてしまう、そんなものだとシリウスは思う。あるいは砂で作った菓子のように、噛めば味気なく風が吹けば脆く崩れる。そんなものだろうか。あるいは砂糖をぎゅっとつめこんだ、彼の苦手なパイのような。どちらにせよありふれてどこにでもある、つまらないがらくた。 そんなのじゃない。 のこと、考える時、自分の心臓のあたりにじわりと滲むこれ。 それを愛だ恋だと言われることが、なによりもその感情に対する侮蔑だと思った。 そんなのじゃない。 ―――そんなのじゃないのに。 しかしまだ少年の彼は、それを表す言葉を探し当てることができなかった。 答えがないことをどう思ったのか、ジェームズはなお、言いたたむように言葉を並べる。 「家のことが嫌いな割に、彼女のことだけは君、従順じゃない。」 「…家に従ってるわけじゃない。」 「でもさ、このままゆくゆくは卒業して結婚するつもりなんデショ?」 「…当たり前だろ。」 それは彼にとって当然のことだった。 このままずっと、なにも変わることなく一緒にいる。それだけが彼の人生で決まり切ったこと。最初から決まっていても、なんの苦痛も窮屈も感じない。世の初めからのやくそく。 「それっておかしくない!?だって君、家を出る気満々じゃないか!」 ぎょっとしてシリウスは目を丸くした。家は大嫌いだが、まだ家を出るところまで考えていなかった。 そうかその手があるのか。 彼は感心して相棒を眺め、しかしまずはその意見を否定するべく口を開く。 のこととブラック家のことを、一緒にされてはたまらない。 「それとこれとは別だ。」 「別じゃないだろ!」 ジェームズが長い腕を振り回しながらわめく。 今日はあいにくの雨模様で、クィディッチの試合が延期になったのだ。少しばかりグリフィンドールの若き天才シーカーは機嫌が悪い。 「ショパンと結婚するってことは、家の意向に従うってことだろ?」 「家なんか関係ない。」 「だろ?そう言って、親に決められた許嫁なんてまっぴら!なのかと思ったら、大事にしてるしさ。」 わかんな〜い、とぶうぶう口をとがらせるジェームズに、シリウスは頭痛を覚えた。 時折彼は、ジェームズは獅子寮ではなく、かの蛇の寮こそ向いているのではないかと思う。一度言い出すと思わず相手が辟易するほどねちっこいところがあるのだ。 どうにかしてくれ、と助け船を求めて視線を向けたはずが、彼の思惑とは逆に、僕も思ったよ、とそれまで黙って本を読んでいたリーマスは言った。 「…たいせつなんだね、ショパンのこと。」 金の目が、シリウスの銀の目を静かに見つめて言う。 こういうとき、シリウスはジェームズよりずっとリーマスのほうがすごいと感じる。 彼は時々おそろしいほど的確に、シリウスの言葉にならない感覚を文字に起こした。そうしてそれは、シリウスが気づきもしなかったような真実すら、時には含んでいて。 今もリーマスの瞳は、シリウスの知らないなにかを映して、金色に揺れている。 「君たちが二人でいると、とてもお互いそう思っているの、なんとなく、わかるよ。」 「そうか?」 ふふ、と笑って頷いたリーマスの細い首筋を見る。また引っ掻いたような傷が増えているな、とまだ真新しいピンク色をした蚯蚓腫れを眺めながらシリウスは思った。しかしそれより、今はのことをジェームズに理解させることのほうが重要だった。制服の裾に見え隠れする、白い包帯も、今は見ないことにする。 「生まれる前に親の決めた婚約なのに相思相愛なんて出来過ぎてる!」 ブーブーとジェームズが文句を垂れる。 彼と来たら1年の時からアタックしているエヴァンス嬢に、冷たく通り越してブリザードのような対応しかされないものだから、あらゆるこの世の恋人たちが、憎らしいのだ。 その言葉に、シリウスはきょとんとしていた。 出来過ぎてる?親同士が決めた? 婚約者だからすきなのではない。親同士が決めたから特別なのではない。 「と俺だからとうぜんだろ。」 その言葉は、シリウスと影と形のようだと称されるジェームズだが、わからなかった。 むしろ情緒的な面で、彼らはかけ離れてもいたのだ。合理的な現実主義者と、ロマンチックな理想論者。 いつだってジェームズは現実を見ている。そこにある感情やしがらみ、すべて除いて、客観的に物事見ることを知っている。 それとは逆にシリウスは、いつでも自分の眼だけを通して世界を見ていた。彼の、彼だけの王国に生きていた。 またジェームズが 、 「わっけわかんない!」 と喚き始めた。 ついにはシリウスも耐えかねて、声を上げる。 「なんだ、なんなんだ!お前は俺とをどうにかしたいのか!」 「もうあれだよね!世界中のカップル滅びろ!バルス!」 「お前それ八つ当たり!」 「おおおエヴァンス!どうして君はそんなにも冷たいんだー!」 「お前のその性格のせいだよ!」 すっかり夜も更けたのに騒々しいことだ。しかしそれはいつものこと。いつもの通り、彼らは騒々しく愉快で、ジェームズとは時折分かりあえないながらも楽しい。なによりシリウスの親友は、ときおり驚くようなグッドアイデアを提示する。 騒ぎながらシリウスは、なあんだそうかと納得していた。 なあんだ、そうか、簡単なことだったのだ。 どうして家を出るという選択肢を今まで思いつかなかったのか、内心彼は自分自身に歯噛みした。 家を出てしまえば、もうブラックのあのうるさい連中からなにも言われることがない。縁を切ればいいのだ。アンドロメダがそうしたように。 どうして、どうして。 シリウスは考える。なんだってそんな簡単な方法、思いつかずにいたものか。ジェームズに向かって杖を振りながら思わず笑う。 ―――それはね、どこかで君が、知っているからだよ。家をでたらね。 それを眺めながらリーマスはただ、幼い子供にするように優しく頬笑み続けている。ほんの少し、瞳に憂いを滲ませて。 あのことさよならしなくちゃならない。 それに気付かずシリウスは、まだ笑っている。 (こいびと) |