broken a tiny ring ゆったりと惜しむように日々は過ぎて。しかしわたくしの世界に色はない。 気がつくといつも、風景はモノクロだ。 黒と灰と白とで構成される景色の中に、わたくしは立っている。 時間はゆっくりと流れ、どこか遠くで秒針が規則正しく鳴っている。灰色のローブは風に靡いて、大きくはためく。 風の色を知覚することは、わたくしの眼球には不可能な話で、ただモノクロの草木を風が揺らす。色がないだけで、世界はどこもかしこも荒野に似ている。乾いてひび割れて、寂しい風景。たとえ贅を極めた邸宅の庭であっても、無味乾燥なグレイ。 4度目の夏休みが、終わろうとしていた。 休みに入る前に、彼がまるでなにかに急かされるように立てた計画は、ひとつも実行されることはなかった。箒に乗って、彼がこっそりとわたくしの家へジェームズ・ポッターと迎えに来ることも、そのまま知らない土地で"きゃんぷ"をすることも、マグルの花火を見ることも、、ダイアゴン横町で買い物をすることも、すべて。 わたくしはブラック家へ立ち入ることを禁じられ、しかしその日、父と兄に付き添われてその土を踏んだ。 「ようこそ、。」 いつもと同じ、おばさまの挨拶。 「よく来てくれました。私たちはお父様と大事なお話がありますから、庭にでもおいでなさいな。」 シリウスも待っていましたから。 その一言だけがなかった。 「…はい、おばさま。」 それでもいつもと同じ、わたくしの返事。 もちろんのこと、バラの囲う一角に、彼はいなかった。 わたくしは、その日ほとんど始めて、自らバラの小道を抜けて、広い庭へ出た。いつもはシリウスかレギュラスが、わたくしの手を引いた。庭は広く、明るく、光に満ちて。けれどもわたくしには、それも灰色の世界。咲き乱れる花の色を、知ることもない。 「シリウス?」 きっとどこかにいると思った。 かくれんぼをしているようだ。そっと囁いて、広い庭を見渡す。 真っ白に輝く灰色の空に、風が吹く。花が舞う。浚われてゆきそうだ。 そうして、彼は黒いローブを纏って庭に立っていた。 「、」 背の高い草がせの足下で揺れ、彼の黒髪もまた、同じように風に靡いた。モノクロの中で、いっとう上質な黒。 「シリウス、」 呼ぶ声ですら色はない。わたくしの髪はずいぶんと長く、風に煽られしばしば視界を塞いだ。 彼は灰色の荒野の中心で、物憂げにその銀の目を上げた。モノクロームの世界であっても、その瞳の灰色は硬質に輝いている。そういったものをおそらく銀と言うのだ。色彩をなくしても輝くもの。ほたりとひとつぶ、雨が落ちた。 「悪い、抜け出すのに、手間取ったんだ。息子を監禁するなんて、ひどい親だ。そうは思わないか?」 その目が妙に、すっきりとして。 「シリウス、どこへ行くのです?」 知らずそんな言葉が出た。風はやむことを知らないように、わたくしから彼を遮ろうとする。ローブの裾が大きく広がって、太鼓のような音をたてる。 「どこへ、」 黒い梢がざわざわと鳴っていた。鶫が空へ、舞い上がる。 「どこへ?」 彼は笑った。少しあざけるような調子をしていた。 「…ここじゃないならどこへだって。」 なのにその目ばかりが真剣で、泣き出しそうな響きを持って。 わたくしはなにか言おうと思った。彼がいってしまう。いってしまう。彼はわたくしに、お別れを言うために、監禁を破ってこの庭へ下りたのだった。 おわかれ? わたくしは首を振る。子供のように、蹲る。 そんな言葉しらない。そんな言葉。 風がわたくしと彼の間をたっぷりと吹き抜けていった。 シリウスは、なにか言おうと、口を一度うっすらと開き、しかしまたつぐんだ。その手が迷うようにのばされ、わたくしの耳を塞いだ。 「 」 聞こえない。 なぜなの?やくそく。やくそくだ。やくそくがあった。 シリウス、わたくしがいらなくなった? 声が出ない。 繰り返し続けた問いに答えはなく、太古から唸り続ける風の音は、いつもわたくしたちの間にある。 シリウス、あなたはきづいていないのだ。その選択は、わたくしたちを遥かに隔てる――――風が、止んだ。 そうして庭に、わたくしはひとりで立ち尽くしていた。 花が揺れて、鶫が飛んで。 シリウス、どこへいったの? そのまましゃがみこむと草に隠れる。草に隠れる。 世界が始まる前からの約束が、反故にされるまでの過程はなんとも単純かつあっけないほど簡単な過程。 だれも、わたしを、みつけないで。 シリウス以外の、だれも。 だれも。 しかしずいぶん長い間、庭に蹲るわたくしを、やがて兄が見つけた。 「、」 心配そうなまなざし。だいすきな兄さま。ああけれど、お願い、今誰も、わたくしのこと見ないで。 「シリウスとの婚約が破棄された。」 そうだ、この時がくることを知っていた。 胸は痛まない、悲しくもない、苦しくも、さびしくも、怒りも、なにもない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。 すべてはこの世の始めから。始めからの約束。わたくしが生まれるその前からの。 シリウスがわたくしにやさしかったのも、わたくしがシリウスにやさしくあろうと努めたのも、すべてその約束のため。愛していた?そんなものは知らぬ。ただ、約束だ。約束があった。それは最初から、わたくしとシリウスを構成する一部だった。失えるものだとは知らなかったし、失うことも知っていた。すべて予定調和のうちで、ならばそれを失った今、わたくしにシリウスはひつよう?シリウスにわたくしは必要? その問いかけの必要すらもはやない。 ないのに。 「…レギュラスとおまえは婚約をする。」 彼の瞳の銀がどこにも見えない。 わたくしのせかいで、唯一の色だったのに。 「、」 兄がわたくしの、ほほをぬぐった。 「泣かないで。」 わたくしの眼から涙が落ちている。おかしなこと。おかしなこと。 「悲しくないのよ、兄さま。」 兄がくしゃりと、顔をゆがめて、わたくしを腕でつつんだ。 「悲しくないのに涙が出るの。」 兄の指先が、何度もほほをぬぐう。 わたくしの耳を塞いだシリウスの指は、長く、骨ばって、やさしかった。 なぜ思い出すのか。 なぜ涙がでるの? なぜ、なぜ? 「私はいつも不思議だったんだ。」 物語を読むように、兄の声。 「お前たちがいる景色はいつも、ずっとうつくしいまま、変わらなかった。」 今わかったよ。 兄が言う。 「…お前たちは幼いままだったのだね。」 兄の囁くような言葉は聞こえない。 (壊れた小さな輪) |