リーマス。
最期に私は、君に身勝手な贈り物をしようと思う。
はるかな空の彼方に、君が棲むための星を買った。
月によく似て、しかし月ではない。
そんな大きな衛星の傍らに浮かぶ、君の星。
紫水晶の峰々、柔らかな丘、果てに立つ灯台、淡い光の花畑、
優しく囁く緑の梢、滑らかに澄んだ水。
すべて、すべてが君のものだ。
ともだちも乗れるだけの、銀のロケットも用意した。
そうして私は、遥か遠い地球の土の下から、
おたんじょうびおめでとうを、
幾千、幾万、幾億の夜も君に繰り返して。





 誕生日の朝だった。
 窓辺に見慣れない、銀のロケットが乗っていた。それは小さなおもちゃのロケットで、持ち上げてみるとふわりと軽く、銀紙でできているのかしらと思うほどだった。けれども風にたわむ様子もなく、むしろ張りつめたガラスのように硬質に、よほどそれより頑丈な様子で、それは僕の両方の手の平に乗っているのだった。指の先から肘くらいまでの、マグルの子どもなら誰だって、小さい頃、欲しいと思うようなやつだ。白いカーテンが風に吹かれて揺れて、キラキラとロケットが白く輝く。
 今日は僕の誕生日だから、これが僕への贈り物とは限らないけれど、一番最初に見つけたのもやはり僕で、それから一拍遅れて、僕はロケットの下に、封筒が敷かれていたことに気が付いた。
 夜色の青いインクで書かれた文字は震えるように細く、親愛なるリーマス、と書かれているので、やはりロケットは、僕への贈り物なのだった。裏を返しても差出人の名前はなく、僕宛なのだということ以外の情報を、それはなにも教えてはくれなかった。
 左手にロケットを持ったまま、右手に封筒を持ってさっきまで眠っていたベッドに腰をかける。
 毎年朝一番どころかその日の午前零時にお祝いをしてくれるのは同室の友人たちで、未明にすっかりはしゃいだせいで、まだ彼らはぐっすりと眠っている。
 ロケットがあんまり朝日を反射して光ので、その光が、ちょうどまっすぐ眠る僕の目蓋の上にかかるものだから、目が覚めてしまった。
 そこまで計算して置かれたのかしら。
 そもそもいつ誰が置いたんだろう、フクロウが来たのにも気づけないくらいには眠っていただろうから、わからなくても仕方がないことかもしれないけれど、なんだかこの手紙とロケットは、何もないところから忽然と、現れたように思えてならないのだった。
 手のひらに感じる軽さより、ずいぶんと頑丈らしいロケットを枕の上に置いて、真っ白な手紙の封を切る。なぜだか病院独特の、あの不思議な匂いを一瞬嗅いだような気がし、けれども次の瞬間には少し空いた窓から吹き込む風にわからなくなってしまった。
 三月を十日も過ぎるのに、今日はずいぶんと冷える。枕の下から杖を取り出して振ると、窓はそっとおのずから外の空気を閉め出した。
 まだぐっすりと眠っている友人たちを起こさないように、静かに、開いた手紙に目を落とした。真っ白な便箋に、封筒に書かれたインクと同じもので綴られた文字に見覚えはなく、なんとなく、女性の字だろうと思った。男の子の字ではもちろんなくて、ひょっとすると男の人の文字かもしれないが、間違っても女の子の字ではなく、やはり、女の人の字だろう。わざわざ誕生日の朝に、こんな魔法界と関係のなさそうな品物を、魔法界の最たる例、ホグワーツに送ってよこすような知り合いを、僕は知らない。
 ぱっと目に飛び込んでくる情報の中に、自分の名前と、月、と言う単語を見つけて、こんなに明るい朝だのに、僕は冷たい針を心臓辺りに蟠る血管のその中に、刺しこまれたような気分に陥る。
 いったい誰が、何のつもりだろう。
 思わずもう一度裏を返した封筒には、最初に首を傾げた通り、差出人の名前はない。
 ああ、せっかくの、素敵な誕生日。
 何もかもを忘れて、夜中、仲間たちと騒いで浮かれた。彼らが起きてきたらきっと楽しいお祝いの続きが始まるに違いないのに、僕、月、どうしてそんな、思い出したくない単語の並んだ、見知らぬ人からの手紙が、僕に届くのだろう。
 読むのはやめてしまおうか、と僕は思い、けれども結局、便箋を構え直す。
 あまりにもここは居心地が良く、守られていて、僕はうっかり事実を都合よく忘れがちになるけれど、事実は変わらずに、常に僕の上にかかっている。どんなにこうふくな時も、いつか終わりがくる、いつか崩れる、いつか壊れる、いつか、いつか、とそのいつかを恐れながら、僕はどこかで信じてもいたから、こうやって急に冷水を浴びせられるようにその事実を突き付けて思い出させる出来事に対して、どこか、その攻撃を粛々として受けなければいけないように感じてしまうところがある。そうやって攻撃されることこそが、当たり前だとあきらめたままでいられたら、僕はこんなにも、誰かの悪意や冷たい言葉に、傷つくこともなかったろう。
 震えるような気がする指先は、目で見て確認するまでもなく、いつもの通り落ち着いている。
 リーマス。
 落ち着いた筆致は、しかしどこか震えて、弱弱しい。

 リーマス。
 最期に私は、君に身勝手な贈り物をしようと思う。
 はるかな空の彼方に、君が棲むための星を買った。
 月によく似て、しかし月ではない。
 そんな大きな衛星の傍らに浮かぶ、君の星。
 紫水晶の峰々、柔らかな丘、果てに立つ灯台、淡い光の花畑、優しく囁く緑の梢、滑らかに澄んだ水。
 すべて、すべてが君のものだ。
 ともだちも乗れるだけの、銀のロケットも用意した。
 そうして私は、遥か遠い地球の土の下から、おたんじょうびおめでとうを、 幾千、幾万、幾億の夜も君に繰り返して。

 そこには僕が恐れていたような、冷たい言葉や、お前の秘密を、月と、お前のことを知っているぞというような、そういった文句は見当たらなかった。悪戯書きのような、下手糞な詩とも取れたし、読み方によっては遺書のようにも見える。たた、at last of my time という言葉が、妙に切実にひやりと響いた。
 窓の外は明るく、鳥が鳴いている。それがなんという鳥か知らないな、と僕は少し、頭の片隅で考えた。
 いったい誰が、何のつもりで、こんな手紙を出したか知らないが、なぜか僕は、これを読んで、どうやら、何も、感じない。そうか、と不思議と納得するような、けれども支離滅裂でなにもかも理解不能なような、寂寞とした、静けさだ。
 僕と満月のことを、どうやら知っているらしいこの人は、僕に星を買ったと言う。
 その星は宇宙の彼方に在って、その星には、月に似ているけれども月ではない衛星が備え付けられているらしい。どうしてそんな、添え物付の、星を贈り物に選んだのか。手紙の主が、僕に優しくしたいのか、うんと残酷な気分でいるのか、たった一枚の紙だけでは、僕には図りかねた。
 部屋にはみんなの寝息が聞こえる。時間はまだ朝早く、窓の外は明るい。木々の擦れる音と、緑の影と、どこか遠い鳥の声。寮はまだ静かで、しんとしている。
 僕は少し、その明るい光の中で、宇宙の暗闇のことを考えた。
 その紺碧をずっと深めた闇のずっと彼方に、僕の星がある。それは孤独な浮島のように、ぽつりと小さく、宇宙に浮き沈みしているのだ。紫水晶の峰々にかかる青白い雲、柔らかな丘を吹く風のことを少し考える。
 その星を作る、砂粒の一つ、それよりずっと小さな元素のひとつまで、残らず僕のもの。海が地の果てで滝になっていて、最果ての灯台は左に傾いで立っている。小さな星は、僕が歩いて回れるほどで、淡い光の花畑は百色をしている。銀のロケットは、たぶん、その光の真ん中に、静かに、頭から突っ込むように着陸をする。誰もいない灯台の明かりが、宇宙から僕らを星まで導く。
 ぼくね、星をもらったんだ、ぼくだけの星だよ、ロケットもある、みんなでそこへ、行ってみないかい。
 そう言ったら、みんなは来るかしら、と考える。
 きっとみんなは来るだろう。いい星だね、と褒めてくれるかもしれないし、さみしいところだと口を尖らせるかもしれない。そうして散々遊んで冒険したあとで、きっと本物の星がある、僕らの地球が恋しくなる。
 紫水晶の峰々も、淡い光の花畑も、緑の梢も柔らかな丘も透き通った水も似て非なる月も、きっと彼らを引き留めたりはしないのだ。
 帰ろうよ、リーマス。
 きっとともだちは、困ったように、けれどもそう言って、僕に手を差し伸ばす。
 僕に、あの、おぞましく、かなしい、月のある星に、帰ろうとそう言って。

 贈り物の主は本当は優しい人なのかしらと、一瞬夢想の間は思ったが、そこまで考えてみると、やはりこの人は、僕に残酷にしたいのだとそう思えた。
 丁寧に手紙を畳んで、封筒にしまう。
 すると、どうやってこんな小さな封筒に折りたたまれて入っていたのか、分厚い、上等な紙が、八つに折られて入っているのに気が付いた。
 広げてみると、それは金の縁取りがされた立派な紙で、権利書、と書いてあるのがわかる。
 よくわからない記号は、星の座標を表わすらしい。
 リーマス・J・ルーピン殿。
 畏まった文字は、版を押したような筆記体だ。

 これは、貴殿に対し、半恒久的に(貴殿の生命の有無に関わらず、この星が存在し、存在し続ける限り)、この星を所有する権利を譲渡するものであり、その権利が貴殿の死後も侵害されないことを証明するものであります。この天体上において、貴殿はありとあらゆる権利を行使し、また、同時にそれを放棄できるものとする。

 譲渡主の欄は、本人の希望により匿名、となっていて、総ての文章の最後には、大層立派な証文と印とが捺してあり、魔法省、と読むことができる。随分と手の込んだ真似をするんだな、とそのいかにも本物らしく見えるものものしいしるしに僕は少し感心して、それからやはり、丁寧にそれを八つに折り畳むと、封筒にしまい直した。
 一度それを、手紙や、プレゼントにもらったものをしまっているクッキーの空き缶に入れて、蓋を閉め、それから思い直して取り出すと、僕はベッドのサイドテーブルから、羽ペンと、羊皮紙の切れ端を手に取って、そこに文字を並べ始めた。
 赤ん坊だって乗れないサイズの、おもちゃの銀のロケットと、物々しい馬鹿げた証明書と、親切なのか不親切なのか分からない独白めいた一枚の手紙。
 幾千、幾万、幾億のたんじょうびおめでとう、と言うその稚拙な呪いのような、どこかひりつくような寂しいお祝いの言葉に、僕は少し、妄想が膨らんでいけない。ありもしない遠い星が、僕のものになったと、どこかで信じそうになる。
 いつか、総てに裏切られて、地球に身の置き場がなくなったら、死ぬのではなく、ロケットに乗って、その星へ逃れるのもよいかもしれない。そんな風に、誕生日にふさわしくないようなことを、どこか他人事のように考えてしまうくらいには、僕は少し、手紙に影響されている。
 もし、いつか僕が死んだら。
 If I die someday,とまで書いて、その響きの幼稚さに、少し笑いそうになる。
 この朝だけだ。こんな気分になるのも、こんなことを書くのも。すべてはおかしな手紙と、寝不足と、朝がこんなに明るく静かなせいで、誰も起きてこないで僕に構ってくれないせいだ。
 もし僕が死んだら、この星に埋めて下さい。
 ゆいごん、と小さく最後に書いて、判子がないのでペンのインクで母音を捺した。
 これでよし、と、眺めて少し満足して、羊皮紙も同じように封筒に入れて缶にしまうと、今度こそ、僕はもう一度布団に入り直して枕に頭を埋めた。
 その星のことを夢にみたいな、と少し考えて、それから友人たちの騒々しい声に起こされることをさらに重ねて夢みながら、僕はしっかり目を閉じる。












 おいわいありがとう、を誰かに小さな星の上で言う夢を見た。その人は泣いてた。どうしてくれたの、と言うにはその人の涙は淡過ぎた。
 何か他に言おうと思ったけれど、僕はやっぱりその人のことを知らなくて、僕はそれで。