「魔法は実にファニーでエキセントリックであるけど、それ以上にジェームズは最高だ」
 と、名家の跡取りであるシリウス、名の如くに情熱に輝かしい麗しの星を戴いた少年は深紅のベルベッドシーツの上に寝転がって大げさに溜め息をついた。その物珍しい様に、私は思わず握っていた筆を床にたたきつけてベッドの淵から立ち上がった。勢いでテーブルの上の花瓶は倒れ水は滴り、ぱたり塗りかけであったカンバスは床に倒れ、絵の具が渦を巻いていたパレットはベッドの上に飛んでいった。
「な、んてことっ」
 私は母親である女性によく似ていた。短気で尊厳に欠ける卑しさだった。比べシリウスは確かに容貌は母親に特別似てはいたし短気でもあったが、損をすることもなく卑しさも持ち合わせて居らず、尊厳に満ち溢れている。ある種、母親も偉大であり受け継がれし尊厳を忠実に守ってはいた。だが産み落とした時に息子に吸い取られてしまったように見受けられた。彼は堂々自由であろうとした。自信に満ち溢れ、名の如くに星のような少年――そのシリウスが、敬慕するように知らぬ誰かの名前を溜め息と共に呟いた。
「シリウス兄さんっ熱でもあるの!?」
、落ち着けって」
「だって落ち着けっていわれても、あなたが人を褒めるだなんて」
 シリウスの隣に飛び込んで彼の顔を覗き込むと、整った眉が顰められて清んだ瞳は私をねめつけた。
「別に可笑しくないだろう」
 下から細い指で鬢をかき上げられてあやされたので、仕方無しにシリウスの横に寝転がって天蓋を見上げる。高速で移動する流れ星が星座にぶつかって軌道を変えたさいに星の粉が散って降ってきた。
「ねぇ……ジェームズって同じ寮の仲間?」
「あぁ、でもあいつ入る寮まちがえたな。絶対」
「なぜ? あ、でも組み分けは帽子がするんだから間違うなんてことないでしょ?」
 寝返りをうってシリウスの腕に抱きつくと彼は笑って私を馬鹿にした。
「そういうことじゃなくて……アイツなら何処でもうまくやれるってことだよ」
 そう言うとシリウスは星の粉を被ったまま目を閉じて黙ってしまった。私は銀白に輝く彼の横顔を眺めて同じように目を閉じた。寄り添っていればこの屋敷の薄暗さも感じることはなかった。シリウスからは太陽の匂いがした。
 ぎゅっと顔を押し付けて眠りに付いた。




なやかにあざやか





 憂鬱な午前であった。
 かつては鮮やかに染まっていた木製の扉は年老いて動かすたびに悲鳴をあげ、純金まがいであった取手は錆びついていた。中途半端に開けたままの扉を掌で押して入室すれば残された丸い椅子の前に、木枠に張られた布が置かれていた。
 孤独に棄て置かれたカンバスからは花の蜜の香りがする。鼻先をつけて嗅ぎ分ける。ちらちら睫毛が垣間見える視界に、油絵の花が咲いていた。それは彩虹より多彩。癇性に隅々まで写生された木炭の跡を露とし、花びらに亀裂が生じている。塗りたくられた分厚き絵具に触れ、指でなぞり落としながら今は亡き家人を思った。涙の粒の様に欠片が足元に降り注ぐ。
 粛々と思い馳せていると、来客を告げる鐘の音が屋敷中に響いた。耳の中で神経が痺れて驚きに瞬いていると、唐突に声をかけられた。
「マドモアゼル」
 振り返ると背後にある暖炉が青々と燃え上がり、轟音と共に青年が一人姿を現した。朗らかに微笑んだ青年は赤い帽子を外して薄暗い部屋の中を見渡すと頭を垂らした。物珍しい郵便局員だった。昨今、梟便が流行る中でフルーパウダーを使った宅配事業は実に稀有である。なんと奇特な会社なんだろうかと、じっくり青年を見つめた。
「お手紙お持ちしました」
 そうして、青年は軽快に鞄から手紙を出す。受け取ったる手紙は純白ではあったが押された消印は数年も前のものだった。配達不備は明らかである。宛名を確認する前に顔を上げると、もうその時には青年は炎の中へ身を躍らせ、青い炎は灰に吸い込まれて消えてしまっていた。
 静まった部屋にまた一人。
 手の中の手紙は魔法がかけられていた。時に逆らい未だ絹糸のように滑らかで真珠のように燦然としている。裏返せば、緑色のインクで「わが麗しの妹御へ」と、綴られていた。ペーパーナイフの変わりに指を差し込み、乱暴に封を切ると中から花冠の群が飛び出して部屋中を踊りまわった。くるり、飛び跳ねる花を見つめていると、花火のように次々色を変えて花は燃えあがり、ちらちらと床板に黒い塵を散らしていった。なんて酷い悪戯だ。驚いたのが癪に障り空の封筒を握りつぶして投げ捨てた。足元にころがった封筒に、小さく遠慮がちに書かれていた兄の名前を見つめて、友達の才能に溜め息をついていた少年の姿が脳裏を過ぎった。
 誰も居なくなった屋敷の中で埃に塗れたベッドに身を投げる。当たり前だが、お日様の匂いはしない。天蓋の裏に流れ星が走って、昔々このベッドの持ち主と眠りに落ちる前に星を数えたことを思い出した。随分と星の数も減ったように見える。目に入る分を指折り数えて口に出してカウントを取る。
「1つ、2つ、3つ、4つ」
 爛々と揺れる星座が崩れ始めて、両手を使い切る前に数えること叶わなくなった。かび臭い染みのついた深紅ベルベッドは寝返りをするたびに扉と同様に悲鳴を上げた。その時、遠くで叫び声が響いた。軋む階段を上る音が微かに聞こえて頭の中でカウントを続ける。
 私は、うとうと瞼に逆らうことせず、美しかった日々を懐かしみながら、ひっそり眠りに落ちていった。大丈夫。深く眠ってもシリウスがきっと起こしてくれる。あの老婆の悲鳴にも似た扉を開いて、
 ――もう少しでやって来る。




愛を込めて





春のうつくしい企画に贈ります/20080522吉野