(犬と朝の日課) 朝早くから、庭で犬の吠える声に目が覚める。 もうここ数年、ずっとそうだ。朝日も上がる頃からうるさく鳴き出して、彼は早起きが苦にならない部類の人であるが、それでもそれは煩わしい。真っ白なカーテンの隙間から差し込む明るい光と鳥の声に目覚めるならまだしも、バウワウという騒音に起こされるのは、正直言ってムカついた。それが夢の中で、彼女に会っているときなんて最悪だ。騒がしい鳴き声も、規則正しく与えねばならぬ食事と散歩も、構えとこちらの都合など関係なく四六時中じゃれついてくるところも、すべてムカついた。 けれどそれと同じくらい、彼女のことが好きだったから、彼は毎朝の騒音にも耐えている。 「…ったく、うるっせえな。」 ガシガシと頭を掻いて起きあがりながら、時計を見ると、まだ朝の5時半。薔薇の手入れにも早過ぎる。しかし鳴きやむことなぞ知らないように、犬が吠えるので、彼は仕方がなく起きあがる。バウワウとうるさい声は、年々太く、大きくなって、今では夢うつつの中に聞くと、虎かなにかかしらとびっくりすることがある。小さな頃は、あんなにかわいく真ん丸なかたち、していたのに。彼女がいなくなったから、こんなに逞しく、ごつい形に育ってしまったのかしら。 寝間着からラフな服装に着かえ、階段を降りる。その間も犬は吠え続けている。 『アーサー、早くなんとかしてくれない?さっき寝かしつけたところだっていうのに、こううるさくっちゃあ家の子が起きちゃって大変なのよ。』 ほとほと困り果てたように訴えてくる、屋根裏の眠りオバケに「悪いな、」とちょっと眉を八の字にして謝りながら顔を洗い、裏庭へ続くドアを開ける。 「黙れクソい「バウ!」 明るい緑の光と一緒に、犬はちぎれんばかりに尻尾を振って、とびかかってきた。文句も最後まで言わせてくれない。幼犬だった頃ならまだしも、今とびかかられると、後ろへひっくりかえりかねない。だから彼はいつも、足腰を踏ん張ってから、ドアを開けた。 「ああーもうっ、たく!わかった!わかったから静かにしろ!」 犬は頭がいい、なんて言うのはうそだ、と彼は思う。 そもそも彼女がこの犬を飼うことに決めたのは、賢く、勇敢で、気性の穏やかな性質の犬種であると、最初聞いたからだ。『きっといいともだちになるわ』と嬉しそうに、生まれたての子犬を赤ん坊を抱くようにしてもらってきた。 しかしその期待は、はかなくも裏切られた。なにせこの犬が彼の家へやってきてもう12年になるが、一向に自分の言うことを聞く素振りを見せない。犬はいつも自由に無邪気で、庭を駆けずり回っては妖精たちを追い回し、穴を掘っては何か埋めたり掘り返したりする。郵便配達でも客人でも、誰彼構わず嬉しそうにそのでかい体で飛びついてじゃれる。最初ここへ来たばかりのとき、犬は表の庭にいた。しかし彼自慢のばらの花にいたずらをするので、裏庭へ移した。 ばらの棘を口に入れて怪我をした犬がかわいそうだからではなく、理由もなく折られるバラがかわいそうだからだ、というのは、彼お得意の照れ隠しではなくもっとも限りない本音だ。 後ろ足で立ち上がって、じゃれかかってくる犬をあしらいながら、「ああー!くそ!重い!」彼はその首輪にリードをつける。 日の出とともに散歩だなんて、なんとも贅沢な犬がいたものか。というより、それに付き合ってやるなんて、なんて優しい飼い主がいたものか!これも彼の本音だ。 ここ12年の彼の日課は、朝起きて、ぐるりと少し遠い公園まで犬の散歩をし、帰ってきてポストに入った新聞を手に、犬に餌を与え、庭の手入れをした後で朝食をとり、再び近所を犬を連れて散歩する。友人の家へ泊りに行ったり、仕事で家を開けるとき以外は、このサイクルが、ごく自然に、いつまでも続く円のように、続けられていた。 衰えはしたが犬は相変わらず元気を有り余らせていて、気を抜くと散歩の最中、引っ張られそうになる。真夏のような犬だった。 早朝犬を連れて公園へ行けば、馴染みの友人たちが今日も早いねと笑顔で声をかけてくる。犬は少し、彼の狭かった世界を広げた。しかしその犬好きだったり大好きな自分の犬を連れている公園の友人たちには悪いが、彼は断然、犬より猫派である。 だって猫といったら、四六時中構わなくていいし、鳴くといってもたかが知れているし、ネズミだってとってくれて、ちょっとした魔力があるので人の言葉をよく解す。 12年共に過ごしていたって、彼はやはり、犬が苦手だった。 |
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