(Your Dog.)


 目が覚めたら、それはもういつもの通り、犬が彼に乗っかって元気そうにその顔を舐めまわしているところだった。…最悪の目覚め、さもなくば悪夢だ。
 彼はなんとか犬を自分の上からどかし、心底顔を顰めてみせる。
「うええええ〜…、」
 犬がバフ!と隣で吠えた。
「お前…、」
 時計を見れば時刻は5時半、いつもの通りだ。
 なんだかいい夢見ていた気がして、けれどのしかかる重さと耳の横で吠えらるうるささと毛の塊の暑苦しさと顔の周りのベタベタとで、思い出すこともできない。手を着いたシーツの上が、毛だらけだ。
「おっま、ほんとこれ…、」
 ねえよ、と言おうとして、彼と犬の目が合う。
 犬は真っ黒な、夜のような目、きらめかせて彼を見下ろしている。

 ねえ、散歩に行こう。
 年寄りのくせに、少年のような声ざま。
 散歩に行こうよ。散歩に行って、チャーリーやほかの犬たちに挨拶しよう。それから朝ごはんを食べて、それからトイレに連れて行ってね。それが終わったら、庭で勝手に遊んでいるから、時々構って。それから昼寝をして、晩御飯を食べて、夜の散歩に行こう。帰ってきたら、おやすみなさい、また明日。
 ねえ、散歩に行こう。

 おどけたような、人懐こい眼。尻尾をちぎれんばかりに振って、舌を出して笑っている。生来陽気な、真夏のような犬。
 やっぱりこいつ、ちっとも俺に、似ちゃあいないじゃないか。
 彼は顔をくしゃりとさせて、右手で半分、顔を覆った。勝手におなかの底から、笑いがこみ上げてくる。安心したような、どっと疲れたような、あきれたような、怒り出したいような、泣きだしたいような。それでも一等、笑いが勝った。

「…心配させんな、ばかぁ。」

 犬がベロリと、彼の目玉を舐めた。生温かい感触に、ゾゾゾとする。鳥肌立った。やっぱり犬は、好きじゃない。騒々しい怒声を上げて、犬が寝室から放り出される。めげずに早く行こうとせかす、犬の大きな吠える声。
 急いで支度するから、もう少し待ってくれよ。そうしたら散歩に行って、チャーリーがきっと昨日はどうしたんだいと訊くだろう。それから朝ごはんを食べて、庭の手入れ。それが終わってもう一度散歩して、きっと隣の奥さんが、「昨日は静かだったわねえ。」と不思議そうに尋ねる。仕上げにお前を裏庭に放り出して、清々した俺は仕事に取り掛かる。時々構ってやるからあんまりうるさくしないでほしい。それから晩飯を食って、夜の散歩。それからさっさとお前をもう一度裏庭に放り出す。犬と違って、俺は忙しいから、まだやることが、幾つかある。全部済ませて、おやすみ、また明日な。いつもの日々を続けよう。
 噫もう少しだけ、楽しくやろうぜ。
 俺もお前も君の犬。