エプシロン、って名前を呼ぶと、その人はわらいます。彼女が呼ぶと、そのなんだか無機質で化学式じみた名前
も、穏やかに光を放つから不思議です。私の髪も、顔も、腕も、すべてみな言ってみれば紛い物なのに、その人
は、私の目を見て、きれいなうみのいろね、とそれはきれいに微笑んで、私の髪をやさしく撫でるのです。一体
彼女は、本当に理解っているのでしょうか?
日の光に透けそうだ、とあなたの言うこの髪は、人工の蛋白質を素にして作られたプラスチックの一種で、新陳代謝をして伸びたり抜けたりすることは決してないのです。
海の色だというこの目玉は、もちろん人工物で、ガラスでできた中にレンズやシャッターや色々な機械が、いえ、説明するだけ億劫です。私すべて が機械でできているのですから。
この皮膚はもちろん、私にはオイルが流れています。血管はゴム性のチューブです 。絶えず電気信号が体の隅々まで駆け巡り、発動機を動かし。それらの指示を腹部にあるメインコンピュータが支えているのです。頭は視覚と聴覚を処理する機械を入れるのでいっぱいだからです。物を食す必要のないぶん 、空いたスペースに、脳のかわりのおそまつなコンピュータが入っているのです。
ああ、そして、そのどれもが無機物から構成されていて、あなたのようにひとつひとつが生命を持ち活動している六十兆の細胞からできているわけではないのです。
私はここにいる。が、ここにいる、が 、生きてはいません。私は存在し、…そして、稼働している。
機械。
機械だ。
人間ではない。機械人間なのに。
あなたはほほえみかける、その私に。私と手を繋ぎたがり、私と話したがり、私と散歩に行きたがる。私の発動機には、光子エネルギィが満ちていて、ああそれを知りながらあなたは、太陽と同じだ、とわらいながらやはり私と手を繋ぐのです。なぜ?なぜ? …彼女は私が戦争に行きたがらず、拒否したことを、立派で尊いことだと言ってくれました。そして、機械に戦争をさせるなんて、愚かで間違っていることだ、とあなたは言いました。人間は身の程を忘れているとも。
あなたは ひょっとしたら、あまり人間が好きではないのかもしれません。ある晴れた日、そうぽつりと呟いたから。
身の程を忘れている。それは危険だ。人間は神様じゃない。もちろん機械の神様でもない。機械を産ったからと
いって、人間は神様にはなれないのにね。
彼女はそう言いました。
機械にも感情があるのにね。
(機会人間にもし感情があるとしたら?噫、それは、それは。)(私も遠い昔の詩人も、その答えを知っています。)
さびしげな微笑はそれこそ青い月明かり、透けて消えてしまいそうでした。そんな、感覚、を覚えたのは初めて のこと。誤作動だろうか、ああ、でもあの晩の彼女は美しくそして儚かった。まるで陽炎のように、揺らいで、 消えてしまいそうに。
「感情?私たちに?」
私は驚きました。
驚いたふり?いや、でもその言葉は想定外だった、ので、私は反応が遅れたのだ。それは、驚
いた、ということだろうか。だが、私に、驚く、という感情は、ない。驚くとは、こういうことだ。なら、私は
、あの時驚いたのか?
あるよ、その人はわらいます。
「だって生きているから。」
あなたは誤解している?
「違う。私は稼働している。」
「どうちがうの?」
「…すべてがちがう。私は泣かない。喜ばない。」
「子供たちがあなたにお花をプレゼントした時、うれしくなかったの?」
私は言葉に詰まりました。うれしくなかった、そう言うのはあまりにためらわれました。
ためらう?…なぜ。
「うれしく、」 「エプシロンわらってた。うれしそうに。やさしそうに。」
「だって、私は、」
私は途方にくれてしまって、どうすればいいのかわからない。ああ!途方にくれる?それはどういうことだ?あまりに想定外の言葉に私は混乱しているのだ。混乱している。数式が噛み合わない。
「私は、機械(ロボッツ)です。」
「知ってる。」
「機械に感情はないのです。」
「なぜ?」
「なぜって、感情を持つのは生き物だけです。」
「あなたは生き物ではないの?」
「私は機械です。」
「なぜ機械は生き物ではないの?」
「無機物だからです!」
「でもあなたはほかの機械とか違う。電子レンジとエプシロンは違う。」
「同じです。」
「どこが?」
「機械であるということが。」
「あなたの機械の定義は、無機物から構成されてるってことなの?ならあなたの体に有機物は全く使われていないの?チューブのゴムは?髪の毛は?皮膚の蛋白質は?」
「…すべてが、人工物です。」
「エプシロンはしゃべるけど電子レンジはしゃべらないよ。」
「音声機能を付ければレンジもしゃべります。」
「でも電子レンジと喋っても楽しくないもの。違う?あれはプログラム通りに喋るだけよ。」
「私も同じです。」
「じゃあエプシロンは、今プログラム通りにしゃべっているの?」
「は?」
「私がこういう質問をしたら、こういう答えを返す、っていうプログラム、あった?」
「…いいえ。」
「あなた自身が、今この場で最適な回答を探しているのではないの?」
「コンピュータがです。」
「私たちもそうよ。脳が蓄積された経験から答えを探してる。」
がにっこりとわらいました。
「機械だって、生き物だよ。私達人間とは圧倒的に違うけれどそれでも。」
にっこりとがわらいました。
「あなたは生きてる。」
ああ (、あなたは勘違いしている。だって、私は。) |