(雨が降る) (どこにいるのって少年少女は涙する) (君の雨が降る) |
シリウスが少女に、普段の彼の涼しい横顔からは想像もつかないような、無邪気であけすけの優しい微笑で話しかける。静かな談話室のソファに彼女は行儀良く腰掛け、彼は暖炉の前に片方膝を立てて座ってた。 そんななんともなしの座り方すら、優雅なので仕方がないと、彼の周りの人間はよく思う。 「なあ、。覚えてるか?ほら、烏をさ、助けてやったことがあっただろ?あの木にひっかかった烏のわりに間抜けなやつ、」 本当におかしそうに、シリウスがくつくつと笑った。そんな彼を見たことがなくてね、彼女のほうはすっかりそのきれいな微笑に見とれてしまったのだけれど、というその名前に悲しそうに眉をさげてこう言う。 「…いいえ、シリウス。私は知らないわ。」 何回も何回も、この会話を繰り返した。シリウスが言う。こんなことがあったっけね、懐かしいねって言って、見つめられたほうがどぎまぎして目を伏せてしまいたくなるような優しい目玉で言う。 けれどもやっぱりそのうちのひとつだって彼女には心当たりがなくて、悲しくて悲しくてうつむいてしまう。 「忘れたのか?仕方がないな、は。じゃああれは?メダの家に一緒に行った時、白い花のひとつひとつに虹がでてたやつ。あれはすごかったな。」 ああやっぱり、と彼女はため息ついてシリウスをじっと見た。そのなんの邪気もないあどけない顔を見ると、なぜだろう、なにかとても罪悪感を覚えてしまう。ため息は重くて、錆びた寂しい紫色をしている。 「ええ、とってもすてきね。…でもやっぱり私は知らないわ。それにね、シリウス。私はじゃない、ドルチェよ。」 もう何度目の言葉かもわからないのに、シリウスはキョトンとして笑う。 「なにを言うんだ?は。だ。自分の名前も忘れたのか?」 「…シリウス、」 ドルチェは悲しくて、曖昧に笑って目を伏せた。、ドルチェの知らない女の子の名前。彼女にそっくりの。シリウスが勘違いしている少女。。。憎らしい名前。それでいて、(私はを憎むことができない。)ドルチェは複雑そうに微笑むばかりだ。 それにシリウスは心配そうに優しく腕を伸ばす。具合が悪い?いいえ、と答えながら、ああやはりそれでも、とドルチェは涙を呑みこむ。やはりそれでも幸福だから。 |
カナリヤの巣。金糸をかがった優しい巣穴。 「だから言うのよ!彼は止めときなさいって!ハンサムでお金持ちで頭も良くって優秀でかといって真面目じゃなくって?確かに彼はすてきよ、認めるわ!」 ローザが大きく声をあげる。彼女が振り乱す金の髪が、とてもきれいだとドルチェは思いながら、困ったように曖昧に微笑んでいた。だっていつものことだからね。この会話は、ドルチェがシリウスと付き合うようになってから一日に一回は繰り広げられるのだもの。 「でもね!彼変人よ!?でなきゃあなたからかわれてるんだわ!だって彼、あなたの名前をちゃんと覚えたためしがある!?ドルチェなんて変てこな名前覚えられない人間がいて!?あなたをほかの女と間違えてるのよ!」 「…変てこって…ううん、わかってるわ。でも…、」 「でも?でもなんなの!ああいやだ!あなたも親友の忠告より男をとるっていうの!知らないわよどうなったって!」 いっつもこれだもの。 ローザはぷりぷり怒ったまんま、自分のベッドへ潜り込んでしまう。 「………ね、ローザ。」 しっかり引かれたカーテンの向こうに声をかけたら、少しフンと鼻を鳴らす音がした。 「ごめんね?」 べつに、と小さく返事が聞こえる。明日の朝には元通り。 ドルチェは黙って自分の手のひらを見つめてる。 「……、(でも好きなのよ、彼のこと。)」 言葉に出すには、あまりにつらい。 |
「!はやく!こっちだ!!」 シリウスが笑う。浅い夏が来たので、ホグワーツの庭にはたくさん花が咲いた。美しい花、生き生きとした緑。庭を思い出すね、そう言って二人で笑いたかった。 だからシリウスは年相応に思い切りはしゃいだし、本来だったら1年生の男の子が、そんな風にはしゃいでも何にも不思議はなかった。 ただ蛇寮の生徒のうち何人かはそんな王の子を見て眩暈を覚え、何人かはきれいに無視を決め込んで、銀の髪した彼は、ああまた報告事項が増えたと淡々と思った。 「待って!待って、シリウス。私あなたのじゃない。」 今日こそ言わなくては、ってドルチェは焦ってた。 だって彼にと間違われてから、そう、あれは春の始まる頃だった。もう3ヶ月が過ぎる。来月には夏が始まる。 シリウスは言った。もちろん一緒に帰るだろう?どこへ、と訊ねたドルチェに、シリウスはきょとんと首を傾げた。 家の庭に決まってる。 だってそうだろう?の家は、 ドルチェはおかしくなってしまいそうだった。をいつか自分が塗りつぶせるとは思っていなかった。かわりでもよかった。でもね、ドルチェは気がついてしまったんだった。 。。シリウスの大事な女の子。ある日突然いなくなってしまったシリウスの女の子。 (シリウス、) シリウスは駆けてゆく。健康的なのびのびとした手足。だのにどうしてこんなに不安になるの? (シリウス、ってなんなの?) ドルチェは喉が詰まるような気持ちがしていた。 ( っ て な に ?) 「シリウス!」 彼が振り返る。その幸福そうな顔。 「!」 噫。 |
「違うのシリウス!わたし、私…!!」 が泣いてる。シリウスは打たれたように動けなかった。だってがないてる。いつも笑顔だった彼の妖精。 (妖精…そうだ、) シリウスははっとする。は妖精。妖精だった。手のひらにのるくらいの、小さくってかわいらしい彼だけの。紫陽花の葉っぱの裏に隠れてた、茶色い目をした妖精。 君は誰なの、という質問に、小さな声でfairyと答えた。あの声、まだ覚えている。 だんだん薄っすらと青ざめて、シリウスは震えた。 「………じゃない………?」 蚊の泣くような、声だったと思う。 「おまえは、「ドルチェ!!!」 リーマスだった。彼女がその場に、へなへなって座り込む。ねじの切れたお人形みたいだった。 無表情で、涙だけ、そのまん丸な目玉からしとどに溢れてた。 違った。違った。違うんだ。シリウスは白い頬を凍らせてその場に立ち竦んだ。じゃあ、やっぱり失くしたままだったのだ。これはじゃない、じゃない。ただのそこらにいる人間だ。女の子だ。じゃない。意味なんてない。 「シリウス、」 リーマスの目が、シリウスを見た。金の目玉だ。恐ろしかったよ。シリウスはすくんだようになってしまってね、なんにも言えなかった。 「シリウス、彼女は、君の、じゃない。」 「ち…!」 「違わない。君だって気づいてるはずだ。はここにはいない!君のはもういないんだ!」 「…違う!」 「なにが違うんだ?ここにいるのはドルチェだよ!君にを押し付けられた君のことが好きなかわいそうな女の子だ!」 「違う!違う違う違う!!!!」 シリウスが悲鳴を上げた。真っ青な夜に吠える犬みたいな、耳をふさぎたくなるような悲鳴だった。 「はいる!はいる!!隠れてるだけなんだいなくなったりなんてするもんか!約束したんだ ぼ く と!!!呼んだら答えるって!!そんな馬鹿なことあってたまるか!はいる!いるんだ!!」 「シリウス!」 誰かが名前を呼んでるのはシリウスにだってわかった。でも、でも。認めるわけにはいかなかった。。彼だけの光。あれがなくては。 「!!!!ど う し て !」 リーマスの必死そうな顔がちらりと見えた。何かを叫んで、シリウスに手を伸ばしてる。なんだってそんな顔してんだよ、そう笑おうとして、シリウスは完全に意識を失った。 「シリウス!」 聞きなれない女の子の悲鳴が、ただただ煩い。 |
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