傷口が焼けるように熱い。血が止めどなく流れては土に染み込んでゆく 。
命はいつか、土に還る。
その感覚を目の当たりにして、シリウスは笑った。
「は、」
笑うしかない。
「こんな、ところで。」
腹部を引き裂いた傷がじんじんと痺れる。傷口を地面に触れさせているのがあまりにも辛くて、シリウスは残った力をふり絞って仰向けになった。自然と視界に飛び込んできた濃紺の夜空は、木々の隙間に抜けるように広くぽっかりと広がっている。
深い、深い夜の空。
自分も死んだら、あそこへ沈むのだろうか。
ふと、どこからか音が聞こえた。音はやわらかな水のように優しく耳に染み入る。
どこから?
それは歌詞のない歌のようにも、硝子のオルゴールの音にも似ていた。シリウスは首だけを動かして暗い森に視線を巡らせる。それが歌ならば、だれか近くにいるのだろうか。
けれども、人影なんてあるはずもなく、ただ木々のざわめきと遠くで風の吠える音だけが聞こえる。澄んだ空気を震わせるようなその美しい音は、どうやら空から雪のように降ってきているのだった。
音の主を確かめるように、シリウスが夜空に目を凝らすと、青白い星が、ななつ、(ああ、なんて名前だっただろう。)静かに並んで、ちらちらと燃えるように瞬きながら透明な音を奏でていた。ぴんと張り詰めたような光。
あの星から、音は降ってくるのだろうか?
歌声はいくつにも重なってシリウスに降り積もる。誰かに優しく抱きしめられているような、そんなあたたかな心地がしてシリウスは緊張が途切れるのを感じた。
傷口はすでに痛むなどという表現を超えて、燃えるように熱い。関係のない指先までもチリチリと焦げ付くようだ。こんな状態で眠るのは終焉を意味するなんて彼には理解っている。
ねむってはいけない。
そう思うのに、瞼はずんずん重くなる。もうほとんど閉じかけた視界の隅に、誰かの白いてのひらが映った。それはあの七つ星から伸びてきたようだ。優しくあたたかな指先が、シリウスの額、頬についた汚れを払うと腹部の傷口にそっと触れた。
その途端、ジクジクと痛み燃えるように熱かった傷の痛みがすっと引いた。
ひんやりと涼しい指先が何度も傷を撫でる。先程とは別の、眠気が波のように押し寄せてくる。音はすぐ間近で、いっそ耳元で聞こえる。
なんとか開いた瞼には、誰かのやわらかな笑みが見えた。
「…だれだ?」
吐息のような、掠れ声しかシリウスの喉からはでなかった。
誰かが彼のその声にふぅわりと笑ったように見えて、シリウスは目を閉じる。
安心する、ほほえみ。少し冷たい指先。やわらかなてのひら。
(しっている、おれは、このてをしっている。)
だれだ。だれだ、だれだった?
考えようとしても記憶はなんともおぼつかない。必死で手繰り寄せようとするのに、眠気は手に足にからみついてシリウスを眠りの底に引き込もうとする。誰かの手の心地よさと強力な眠気には抗いようもなくシリウスはやがて思考することを放棄した。
歌ともつない静かな音が彼を包む。
てのひらは何度も何度も優しくシリウスの髪を梳いている。それでもなんとしても眠るまいと、意識だけは手放さぬように彼はじっと誰かのてのひらに集中する。
そんなシリウスを見透かすように、誰かは小さく、くつりと笑った。
「ねむっていいんだよ。」
(ああこのこえをおれはしってる)
今度こそシリウスは完璧に眠気に囚われた。絡み付く眠気を振り払うこともしない。
「おやすみなさい、シリウス。」
降り積もる声は止まらない。最後にシリウスが見たのは、七つ星を背景に笑う彼女。
星のシャララララと鳴る声と、やわらかな音だけが延々と彼に降り積もる。
「ああ、」
シリウスは声にならない溜め息を吐いた。
「おやすみ…。」
吐息だけで小さく囁いて、シリウスは今度こそ目を閉じた。
>>銀河と迷路 |