夕方の匂いはかわいている。 振ったら多分、からからと土鈴に似た音がする。真っ赤な夕陽が大きな通りのずっと向こうに沈んだ。辺り一面、ビルの反射光も水面も赤くて、こんなに真っ赤も珍しい。 ちょっと鼻歌口ずさみながら、歩く帰り道だ。新しい靴のつま先が、太陽を写してぴかりぴかりと光るのを、は少しうっとりしながら見ていた。あたらしいくつ。それだけでうきうきしてしまうのって、おかしなことだろうか。新しい靴は魔法。よいことのおこる良い場所へ、連れて行ってくれる。 もちろんそんな気がするだけなのかもしれない。 いつもの帰り道。鼻歌は小さく、ひそやかに、軽く。相変わらずこの街は車も人も多い。大きなバックパックを背負った外国人の隣をすり抜けながら、彼はどこの国から来たのだろうとちょっと考える。それからまた、新しい靴に目を戻すと、は有名になり過ぎた川沿いの通りを東へ折れた。狭い裏道だが、こちらを抜けたほうがずっと早い。勝手知ったるよそ様の団地をさっさと潜り抜ける。その間もずっと靴が光るのを眺めてにこにこしていた。この靴のおかげで、今日は一日殊更にご機嫌だったのだ。わざと踵を鳴らすようにして歩きながら、見知った細い路地へ出る。 ふと足元から顔を上げると、少し先の石段に男の子がうずくまって、座り込んでいた。すぐ脇に自転車が転がされていて、ころびでもしたんだろうか。なんだか急に、あたりが静まり返ったようだ。電信柱の長い影だけ、くっきりアスファルトに伸びている。石段の上、鳥居の影はあんまり長く、木の影と同化してしまっていて判別できない。直線的な影の中、男の子の影法師だけ、まんまるだった。 泣いてる? 男の子はのみる限りでは小さく、自分よりも二つか三つ年下だろうと思われた。夕日によく似た色をした髪の毛が風に揺れて、いかにも心もとないかんじを受けた。 どうしよう。 男の子を頭のてっぺんから、ビーチサンダル履いた足の先までを眺めながら、見かけない子だと判断する。制服も、このあたりでは見かけたことがない。家出少年だったらどうしようと、は少しどきどきしてきた。 「…どうしたん?大丈夫?」 口を開きかけてから一寸迷って、けれどやっぱり放っておくには忍びなくて、はそうっと男の子に近づくと声をかけた。の茶色い髪の毛が、ふわふわと先だけ金色、夕陽に溶けている。 男の子は、びっくりしたように顔をあげると、笑おうとして、そして情けない顔になった。ふにゃりと音がしそうだった。 男の子が言う。 「………まよった。」 「迷子?」 途方に暮れた響きの言葉だ。とっさに聞き返したの言葉に男の子は首を縦に振る。 「東京行こう思てんけど…方向間違えて…腹減ったし…チャリもパンクしてもうて…、」 しょんぼりしながら男の子が説明してくれるのだが、内容が、すごい。自転車で、東京。 ちなみ今は9月。夏休みではないし春休みでもない、金曜日の夕方だ。 やっぱり家出なのかただの無謀な一人旅なのか。言葉の訛りから察するには、このあたり近辺の子供であることは間違いない。 「…え、チャリで?東京?」 一応は訊きなおしてみた。東京、ではなく京都の間違いじゃあなかろうかと思ったのだ。それなら正解、「ここ、京都やよ。」と言ってあげることができる。 「え?うん?東京やで!東京タワーのある!」 しかし彼の言うことに間違いではないようだ。 「チャリで?」 「チャリで!」 思わず鸚鵡返しに聞き返したに、前もいっぺん行ってんけどな!という少し元気の戻った声で答えがある。の目がすっかり丸くなって、ゴォンとどこか近くのお寺で鐘が鳴る。 ゴォン。 五時だ。 ふと思い出したようにが名前を尋ねると、少年は遠山金太郎と名乗った。時代劇みたいだ。かっこいい名前、とが素直に目をまるくしたら、嬉しそうに人懐っこい目が笑った。少しかわいい。 問われても名前を告げると、さっそく「!」と大きな声で呼ばれた。呼び捨て。目を真ん丸にした後で、まあ、いいか。不思議と腹の立たない少年である。もで「きんたろくん」 と呼ぶと、彼はまた楽しそうに笑うのだった。 すっかり元気が戻ったようだ。 しかし、ぐう、と大きなおなかの音。金太郎だ。すぐにしょぼんとした顔になって、お腹を押さえる。 「腹減ったああああ…、」 生来素直な少年なのだ。 は少し、首を傾げて考えると、にこりと笑って口を開いた。 「きんたろくん、自転車引っ張れる?」 「ふぇ?」 夕陽の沈む、京都の街の、三条を南へちょっと下ったところ。別段観光客は望めそうもない、ただの小さな神社の前だ。 それがと、遠山少年の、忘れもしない出会いである。 |
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