(二人のお前) たまの来客が帰ると、途端家の中は静かだ。 窓の外から差し込む緑の光をぼうっと眺めていたことにはっとして、彼はいそいそとトーストを口に押し込む。急に会議だなんてついてない。朝は極力ゆっくりしたいが、仕事と言うなら仕方がない。いつもより大雑把に新聞の見出しに目を通し、紅茶のカップに口をつける。 パソコンのプリンタが、先ほどから何枚もの紙の束を吐き出し続けている。 まったく9時の会議までにすべてに目を通せだなど、上司は自分をスーパーマンか何かだと思っているのだろうか。新聞も途中で切り上げて、彼は印刷されたものから目を通し始めた。国際情勢、中東、戦争、二酸化炭素、太陽光発電、観光資源、株価指数、ユーロ、云々云々――――。 頭が痛い。 裏庭で犬がバウと吠えている。それに混じって小人たちのキャアキャアと言う歓声が聞こえるから、おそらく一緒になって遊んでいるのだろう。犬は小人や妖精を追いかけもするが共に遊びもする―――主人に似て見える性質らしい。 犬はいいな。 毎日散歩につれてけと吠えて、餌をもらって昼寝して妖精たちと遊んで餌をもらって寝て起きて。一瞬遠い目でドアの向こうを眺めた彼を背景に、プリンタはまだ相当な枚数を刷ろうと張り切っている。 『アーサー、手が止まってるよ。』 椅子の下のゴーストがちょっと気を利かせて囁いて、彼はまたはっと目を見開いた。 印刷口に吐き出された紙が溜まっている。グイと一気に一度紅茶を飲み干すと、彼は再び、紙面に集中し始めた。 緑の庭。犬と小人たちの、楽しそうな声。 …いつにもなくムカつく。 ちょっとため息を吐いて、彼はもう一度、文字の羅列に目を戻す。9時から会議だから、8時には家を出る。それまでにはぎりぎり印刷が終わるだろうから、読み切れなかった分は移動の車で目を通せばいい―――それから会食、視察、書類仕事、再び会議。体がいくつあってもたりないな、と思いながら、それでも事足りているのはやはり自分たちの体が人とは違って頑丈にできているからだろう。とかく、人とはあっけない。病気だとか怪我だとか事故だとかだけではない。悲しみでも、それから稼働のし過ぎでも死ねる。脆い種族だ。 というよりも、それがある意味このサイズの生命としては当たり前で、彼のように木だとか岩だとか地球だとか、そういったものに近いくせに、人のような形と思考しているほうが、よっぽど珍しいのだろう。 妖精だって、オバケだって、小人だって、みんないつか死ぬ。 俺のいつかは、いつなのだろう。 消えて行った何人もの同類を知っている。しかし自らそれを望むことは、背徳であるのだ。彼らは自らの抱える者が一人でも残っている限り、生き続ける義務がある。死を夢むなんていうのは、人間に許された最大の贅沢だ。 プリンタが心臓に悪い音を立てて、停止する。慌てて立ち上がり、一旦停止のボタンを押すと、助かったといわんばかりに動作を止めた。蓋を開けて覗いてみると、どうやら紙が詰まったらしい。 青いインクでぐしゃぐしゃになってしまった紙をつまみ出して、ダストボックスに放り込む。再びプリンタは、動作を再開し始めた。 今のうちに食器を洗って、出かける準備をしてしまおう。流しの前に立つと、窓の向こうに犬の顔が見えた。その頭に小人を乗っけて、どうやら後ろ足だけで立って、窓枠に手をかけているらしい。 思わず「ぶっ!」と噴出してしまった彼に、ガラスの向こうから、犬が愛嬌のある表情でハッハと笑ったようだった。小人が『アーサー、すごい!高い、高いよ!』とはしゃいでいる。その様子に思わず微笑んでしまいそうになった後で、彼ははたと気が付く。ちょっと待て、今お前 "どっちの" アーサーに言ったんだ。 ちょっと文句を言ってやろうとした彼の口を、柱時計のボオンという音が阻んだ。 |
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