(ベンチと老紳士)


「やあ、おはようアーサー。今日も早いね。」
 そう声をかけてきた初老の男性に向かって、彼も「やあ、」と眦を下げた。そのすぐ横で、犬が嬉しそうに吠えている。
 毎朝公園で会うその男が、彼は特に好きだった。男は犬が嫌いというわけではないが、特別好きということもなく、ただこの時間、散歩に訪れる時間が、彼とかぶっているというだけの話だ。ちょっとしたことがきっかけで話すようになり、友人になった。
 そのきっかけは、やはり犬だ。風の強い日、確か秋だった。急に吹いた風に、男が風に飛ばされた帽子を、犬が見事にキャッチしたまではよかった。しかしそれから帽子を気に入って犬は離さず、ようやく彼が取り返したときには涎まみれで、男はそれをおかしそうに大笑いし、彼は泣きそうになって謝った。それから次の日、同じ時間に公園を訪れるとやはり男は昨日とおなじようにベンチに座っていて、それを確認した彼は、その次の日には帽子を買って散歩にでた。
 それ以来の付き合いだ。
 男の頭には、今も彼の買った帽子が乗っていて、上品そうなステッキを手に、ベンチに座っている。

「チャーリーこそ。今日も早いんだな。」
 彼に会ったら休憩の時間だ。そう心得ているらしい犬も、ベンチの横に伏せた。もちろん犬がおとなしいということは、食べ物がらみに決まっている。男に毎朝もらえるクルミ入りの固いパンを、彼らの話が終わるまでしゃぶり続けているのだ。ちょっと意地汚いぞ、と彼は思うのだが、犬は素知らぬ顔で、しあわせそうに骨に対してするようにパンを何度も噛み噛みしている。
「ああ。もう私くらいの年寄りになるとね、朝が早くっていけない。」
 くつくつとそう笑う男に、彼は少しバツが悪そうに首を竦めた。なにせ彼のほうが、よっぽどチャーリーより"年寄り"だからだ。その様子に気が付かないように、男はのんびり、視線を前へ巡らせている。夏の公園は緑が生い茂り、もう少し太陽が昇れば暑くてたまらないかもしれないが、今の時間はちょうど良い。
「君の犬も同じかもしれないね。」
 そうパチンと白い眉毛の向こうで片目をつむって、男が犬を撫ぜる。固いパンに夢中だった犬は、少し鼻先を上げてその指に擦り付けるようにした。それにやっぱり、くすぐったそうに男が笑う。
 最近年寄り扱いされてばっかりだな、と彼が犬を見ると、しあわせそうにパンを齧っているから、案外本人は気にしていないのかもしれない。

「じゃあそれに付き合える俺も相当か?」

 ニヤリとそう笑うと、男はやっぱりおかしそうに大笑いした。