(懐かしい君)


 なつかしい君がいた。
 君の花が咲く高原に、白い服着て風に吹かれてた。
 彼はとっさに言葉がでない。そんな彼に気が付いて、彼女が振り返ってわらう。

 ―――お久し振りね。

 ずいぶん久しぶりに、聞いた声だ。
 そう思って、噫それは嘘だと思い直す。夢で何度も、その声を聴いたよ。違うな、何度もその声を、夢に見たよ。けれど今日のその声は、本当にクリアーだった。だんだん遠ざかってゆく年月の長さなど微塵も感じさせぬほど、近くで鳴った。
 まるで生きてるみたいに。
「…おう。」
 なんと返事をしたらいいかもわからなくて、それだけ返す。
 正直うっかり泣きそうになった。でも彼は泣かなかった。歯を食いしばってなんとか耐えた。おかげで笑顔がすっかりぎこちなくなったけど、泣くよりマシだ。だって久し振りの彼女に見せる顔が泣き顔なんて、情けなさ過ぎてそれこそ死ねる。意地っ張りの格好つけの寂しん坊。彼はそういう、男だった。
 ―――アーサーは元気?
「…っ当たり前だろ、」
 ―――あら、違うわよ。
 ころころと彼女が笑う。花の笑い声。

 ―――犬のアーサーよ。

 なんだそれは。
 彼は俄然、不機嫌になった。どいつもこいつも、アーサーアーサーってあいつのことばっかり。それは、俺の、名前なのに。ギュッと結ばれた彼の唇を見て、やはり彼女は笑う。ずいぶん楽しそうで、彼はそれすら、悲しくなった。確かにあいつは、もう立派な年寄りで、心配なのも無理はない、彼女はずいぶん、あの犬をかわいがったから。けれどせっかく、いつにもまして、鮮明な夢。せっかくこうして恋人に会って、尋ねるのが犬のことって、それってなんだかあんまりだ。
 けれどどんなに不貞腐れても、「俺の心配はしてくれないの。」とは、彼は聞けない男だった。
 昔、―――むかし、まだ彼女に触れることができて、彼女が触れてくれることができた頃なら、彼はそれを耳まで真っ赤にして、その顔を彼女の肩に隠しながら小さく呻くようにそう尋ねることができたかもしれない。
 けれど、やっぱり、むかしのはなし。
 彼はじっと口を結んで、花の中立っている。
 そんな彼の心の声を見透かすように、彼女はやっぱり微笑んだ。景色が透き通るようだった。やっぱり彼女が笑うと、時が止まる。そう思った。空が青い。雲が、わくように、しろく、しろく。
 きみがそらをとんだのも、こんな日だったね。
 やっぱり彼の緑の目からは涙が出た。

、」

 一度だけ名前を呼んだ。
 彼女は微笑み続けている。時すらも止める微笑で。
 いいや、そうじゃない、違ったっけ、君の時が、やっぱり止まっているからそう見えるのかな。けれどその微笑は、記憶にあるものと寸分変わりなく美しいよ。本当だ。言葉も約束もいらないよ。いつまでもずっとなんて、言ったら横面ひっぱたかれるだろう。何せ君は、砂糖菓子よりは柑橘系の、それでも時折とびきり甘いおんな。
 もう少し、音もなく彼の唇が動く。
 ほかでもない、きみのいぬ。
 もう少しだけ、大事にさせてほしい。ひとりぼっちがへいきになるまで。きみのことが憎らしく、同じだけまだ君のこと、好きなように。