アルフレッドの職場へ遊びに行こうという話になって、メトロで待ち合わせをした。終業間際に行けばそのまま夕食へなだれ込めるという作戦だったのだが、せっかくワシントンのど真ん中まで出ていくのだから、取材をしたいとが言い、アーサーはそれに一も二もなく同意した。どうせ休日、約束の時間まで暇を弄ぶなら、女の子と町を歩いたほうがいい。例えばその女の子が、化粧っ気ゼロの飾りっ気ゼロでも、気の置けない友人ならなんの問題もない。問題は行き先で、如何せんアルフレッドの職場近辺には有名どころが多すぎる。彼女の取材すべき地は、少しばかりマイナーな観光スポット。 「…議会議事堂。」 「却下。」 「……スパイ博物館。」 「却下です。」 適当に目に入ったコーヒーショップで、二人はそれぞれ地図を広げて難しい顔をしていた。この近辺の観光スポットを片っ端から上げているのだが、やはりメジャーな感が拭いきれない。 「ガイドブックに載ってるようなのはいらないんですよ、もっとこう…穴場的な…?」 「つってもなあ…もうお前このコーヒーショップ載せとけよ。コーヒー一杯で地図とにらめっこしてうなってる華やかさのかけらもない男女を黙って2時間も容認する店だ。」 検討しておきましょうとが真面目な顔でうなずき、冗談なのか本気なのか測り兼ねた彼が一瞬怪訝な沈黙を作ると、「冗談ですよ。」と憮然としたような呟きが小さく返ってきた。相変わらずわかりにくい。 「この辺なんていたるところ観光名所じゃねえか…天下のワシントンDCだぞ?」 「だからこそですよ!!」 「じゃあやっぱりここだ!この店しかない!」 ぎゃあぎゃあ言っていたらさすがに店員の視線が冷たくなってきたのでそそくさと会計を済ませる。空はどんよりと曇って、雨が降り出しそうな気配だ。行き交う人々も早足に、黙々と歩いている。 「降りそうだな。」 「ほんとですね…もういっそのこと、アルフレッドさんのところでも観て回りましょうか。」 彼の幼馴染は小さいころからのSF好きが祟って、国立の航空宇宙博物館に研究員として勤めていた。やはりそこも若干メジャーな感が拭いされないが、もう取材は抜きにして、ゆっくり観て回るのも楽しいだろう。とは言ってもアーサーもも、もう何度か訪れたことがある。けれども誰かと観て回れば、新しい発見もあるだろう。どうしても時間が余れば、オフィスに邪魔してコーヒーでももらおう。さすがは国立の博物館で、ひとりひとりの研究員に、小さいながらも個室が与えられているのを彼らはもちろん知っていた。 少しばかり距離はあるが、どうせ暇だ、どちらから言い出すこともなく、二人は歩き始める。 近道だからとが指差した通りは狭く、人通りもなかった。工事中らしくいたるところに資材が立てかけられている。「降りそうですし急ぎましょう。」それにああと頷いて、彼も少し歩調を早める。はいつも黒いフラットなスポーツシューズを履いていて、女性にしては歩くのが早い。並んで歩きながら、とりとめのないお喋り。 「…お?」 頬に水滴が触れた気がして、ふとアーサーは立ち止まる。 「あぶない!!」 ガシャンと派手な音がした。 勢いよく突き飛ばされて、彼は後ろへもんどりうって倒れた。彼が見たのは目を大きく開いて両手を突きだしていると、それから崩れてきた資材の山。 「!!!」 転がった資材がぶつかり合う派手な音が狭い路地裏に響く。一瞬倒れてきた資材の向こうにが見えなくなって、彼は顔を真っ青に硬直させた。重たい音。最悪のパターンが彼の脳裏を一気によぎる。ほんの一瞬、ほんの一瞬がずいぶんと長く感じられた。どうしよう、どうしようどうしようどうし、 真っ白になりかけたアーサーの視界に、両手を突きだしたままのが映った。 アーサーを突き飛ばしたと、突き飛ばされたアーサーの真ん中を、資材の雪崩は通ったらしかった。 「…ま、間に合ったぁ…。」 呆然としたような、気の抜けたようなの声。 「だいじょうぶですか?アーサーさん。」 「お、お前こそだいじょうぶなのかよ!」 「ああ、私は、……あ?」 不自然に声が途切れた。 なにかあったかとアーサーがようやく冷静になってきた頭でを見やり、停止する。さっきまでバクバクと脈打っていた心臓が、今度は一気に止まるような、ショック。つき出されたままの腕が、パックリ、ザックリと切れている。すっぱりといっそ気持ち良いほど切れた傷口からは、それはそれは真っ青な、 「…血?」 血だろう。 まず間違いなく、血だろうと、思う。 しかしその色が、おかしい。真っ青だ。それはもうコバルトとしか言いようのない、真っ青。 立ち上がりかけたアーサーの体が、再び地面に倒れこむ。 「おっ、お、おま…おま…!ええ、えええええ―――!!!?!?」 しりもちをついたまま口をパクパクと動かし、意味の通じない言葉を繰り返す彼を、やれやれと見下ろして、は常のように冷静に 「ああ、」 と言った。 「見られちゃいましたねえ。」 その冷静さと常と変らないのんびりとした話し方が、こんなにも得体の知れぬ恐ろしい響きを放つなど予想もしなかったアーサーは、ざっと血の気が引いていく音を聞いた。の腕からは、止まることなく真っ青な血が流れ続けている。 「…どうしましょうか。偉い人に怒られてしまうな。」 ふう、とため息を吐きながらがアーサーを見る。どこか無感動な真っ黒な瞳。底の知れない、深い深い宇宙の暗闇がそこにある。 「血っ、おま、だいじょうぶなのかよ、っていうか、血、血が、血ィ…!?」 しとどに流れ続ける真っ青な液体は、さらさらとの白い腕を伝い、血に落ちる。鋭く切れた傷はいっそ潔いほどにまっすぐに、避けている。そこから覗くのはやはり赤ではなく青だ。限りなく純粋なブルー。 「知られてしまったからにはしょうがない、」 ドラマや映画で、よく悪役が口にする台詞だ。 そこまで口にして、ようやっとは無表情を崩してニヤリとわらう。 その様子は、アーサーにはマフィアのボスによる死刑宣告のように見えた。 「ご同行願いましょう、アーサーさん。」 俺、死んだわ。 |