いつか来るだろうとは思っていたが早過ぎやしないか。
 アーサーは遠慮なく上り込んできたエイリアンを見下ろして、げっそりとした顔を顰めた。アーサーさん、この花について教えて下さいと勝手知ったる人の家、普段と変わった様子も見せず訪ねてきたに、彼は一瞬、頭が真っ白になるのを感じた。
『大事な客人なんだから、丁寧に対応してくれよな。』
 常と変わらぬ陽気な口調で、冗談めかしてそう言われても、できるはずもない。彼はそもそも、素直に頑固で融通が利かない男。
 はメイドインジャパンのごつい一眼レフカメラ片手に、きょとんとしている。
 まるでどうしてそんなに驚いているのかという表情で、それに彼はカッとした。

「なんなんだよお前!!ほんとにいったいなんなんだよ!!」
 ついに半狂乱でアーサーが叫んだ。慣れない監視も、エイリアンだと自らを真面目くさって自称する血の青い女と、だからそれが事実だよと冷え冷えと笑う幼馴染。すべてが限界で、けれどもそういえば、彼はこうして悲鳴を上げたことがない。本当ならあの狭い路地裏で、悲鳴を上げるべきだったのだ。けれどもあまりの衝撃にそれもできず、ずうっと喉の奥に閊えていた大声が、今更に出た。
 あんまり大きな怒鳴り声が通り過ぎた後で、が静かに口を開いた。

「…アーサーさんは私が気持ち悪いですか?」

 しんと静かな問いかけだった。
 わたしたち、と小さくの口が動く。
「姿形は、そんなにかわらないですね。でも少しずつ、やっぱり違う。例えば目ですね。」
 目、と言って彼女は自分の目を指差す。
「私の目には君たちのような虹彩というシステムがありません。」
 真っ黒な瞳に底はなく、小さなまるい窓もない。それはアーサーの錯覚ではなかったのだ。今となっては覗き込むのが恐ろしくなるような、真っ暗な宇宙に繋がる眼。見ているものが違うなら、考え方だって違うだろう。アーサーはふいに、自分の『金色』と言われる髪が、にも金色として認識されているとは限らないと気が付く。共通の認識だと疑ってもいなかったものをふいに疑ってしまうと、なにもかも疑心暗鬼にとらわれそうになる。
 彼女の言う赤は、アーサーの思う赤と同じだろうか。

「私の故郷は大気が薄い星で光線の量は常に一定です。一定の光線が常に降り続く星。だから光線量を調節する必要がないのと、あなたたちより可視光線が圧倒的に多いことと、多元的に物を見るので必要がないんです。」
 その星は美しいよとがわらう。
 故郷を偲ぶ美しい微笑だ。
「それから私の血は青いですね。」
 あなたも見たろうとが囁く。諭すような、静かな口調。
「これは確かにあなたたちと圧倒的に異ります。私からしたら、あなたたちの血が赤いことこそが不思議なのだけれど。」
 ふふと笑って、は自らの腕をそっと擦るように撫でた。その下に血が流れている。あの真っ青な液体が。あれがの、命を回している。星を砕いたような青。
 ふと座りませんか、とエイリアンが提案した。
 座って私の話を、聞いてはくれませんか。私のこと、私の星のこと、聞いてはくれませんか。あんまり穏やかな口調で、アーサーは睡眠術でもかけられたように腰を下ろした。その正面にが腰を下ろし、それからゆっくりと語り出す。

「我々は一年の半分を目覚めたまま過ごし、残り半分を睡眠に費やします。丸く、透明な思念による頑丈な殻を作り、それを泥寧の中に沈めその中で昏々と。我々の星は火星によく似た赤色惑星で、赤い湿原がどこまでもどこまでも続く、青い夕陽が沈む星です。私たちは砂漠のキャラバンのように、その星をぐるぐると廻りながら移動します。自転周期は地球時間で言うと78時間。公転周期は2068日。」
「20…68日?」
 あんまり不思議な話で、思わず彼は、言葉を発した。それにが、教師のするようにゆったり頷く。
「2068日。我々の感覚では目覚めたままの期間を昼の時、眠り続ける時間を夜の時と呼びます。7公転周期で地殻に緩やかな変動があるので我々はそれを1年と数えます。我々が移動しながら生活して、固定の住居を持たないのもこの地殻変動のためなのです。建物を建てても、1年経つごとに崩れては非生産的でしょう?ええと、何の話でしたっけ?―――そう、つまり1年は7ヵ月あり、その1ヵ月は2068日。1日は78時間。1ヵ月のうちおおよそ1034日を睡眠に費やします。皆が揃って眠りにつくわけではありませんから、昼と夜の周期は個々人によって異なります。空が暗くなる方の"夜"も我々のほとんどは活動します。夜と言っても星の北半球は日がほとんど沈まない白夜地帯で、だから我々は眠るとき、光を避けるため泥に沈んで眠ります。沼地に地殻変動は関係ないので安心して眠れるんですよ―――もちろん疲れれば泥に沈まずに、あなたたちみたく"昼寝"もしますけれど。南半球は光の照らない暗黒地帯が広がっています。そちらは極寒の地で、我々のようなやわい生命は生存することができません。かつて暗黒地帯から生命は発生し、進化の過程で蹴落とされたものが明るい地表へ逃れました。それが我々の起こりです。南半球には今も超大型の生物が細々とながら生息しています。近々希少生物種の生息地として銀河連盟特別保護区に認定される予定です。」
「……はぁ。」
 教科書をそのまま目の前で暗唱されているような気分だ。
 さて最初の質問に戻りましょうとは素っ気なく、かつあっけらかんと言った。私が何かと言う質問ですが―――。
 その口調は彼に、なんとなく不意に大学の教授を思い起こさせた。人気のない退屈な授業、ただ淡々と、低く細く、なにかまじないを唱えるように椅子に座ったまま喋りつづけた男。ときおりコップから透明な水をごくごくと呑んで話した。それが特別美味そうに、エーテルかなにかのように見えたのを彼はまだ覚えていた。

「私の仕事は言った通り、フリーのルポライターです…未開惑星専門のね。」

 今まで聞いていた肩書に、知らない単語が混じる。
「未開惑星…、」
 地球がそうだと、暗に言うのだろう。
「そう。そもそも私の種は宇宙航空に向いてるんです…わざわざコールドスリープしなくても、自ら作った安全な殻の中1034日眠り続けることができますからね。私は"昼"の間に降り立った星のルポタージュを書き、"夜"の間に星間を移動する―――というか移送させられます。連続稼働時間も1034日――約2.8年…無理して"夜更かし"すれば約3年くらいは起きていられます。平均寿命は我々の1年で数えると、約200〜300歳。あなたたちの1年に換算すると、7932〜11898歳程度。」
「いちま――――、」
 アーサーはそのあまりに途方もない数字に唖然とする。彼にとって約5年半の年月を『一ヶ月』と体感する種であるが、1万年前などと言えばやっと最後の氷期が終わり、ようやっと人間たちが発達し始める頃ではなかろうか。
 疑うことももはや忘れて、彼はごくごく自然に気になった疑問を口にする。
「ちなみにお前、いくつ―――?」
 答えは聞きたいような、聞きたくないような。
「私?23歳です。アーサーさんのの二つ下。」
「………地球換算すると?」
「ん〜…―――912歳くらい?」
 多分年下だろうが、変に年上な気もするという彼の抱いていた印象がまさかの大当たりだったらしい。当たったところで特に嬉しくはないのがミソだ。912歳。おおよそにして一世紀生きておられるらしいに、アーサーは今度こそ、驚愕を通り越して脱力してしまう。もはや想像の域をとっくの昔に超えていた。
「……ええと…なんで日本人設定なんだ?」
「我々の外見的特徴がモンゴロイドに酷似していることと、前の"昼"の期間にアジアに滞在した際気に入ったので。ひらがながいい…特にま行が好ましい。」
「…はあ。」
 口を一度閉じてから発音するでしょうと心なしかうきうきとが説明してくれるのだがさっぱりわからない。

「…もうほんと、わけわかんねえ…、」

 さっきよりもずっと、脱力したままつぶやいた地球人に、エイリアンが笑った。
 だから私の話を、もっと聞いてはくれませんかとそう言って。