(少年は息を引き取った?)
(まだだよ)(まだ)
(まだ生きているよ、ここに。気づいて?)


「グリフィンドーーーーール!!!!」
 その宣言を、少年は夢のように、それでいて死刑の宣告のように聞いていた。魔法使いとおんなじ寮だ。嬉しい。しかし、どうでもいい。
 彼には見あたらなった。たいせつなもの、みつけたはずのたいせつなもの。なあなんのためにここまで来たんだ。帽子は答えを返さない。
『沈んでいるね?大事なものをなくしたから。』
 帽子は開口一番そう言った。そのあと、ブラックの子だね、と優しく呟いた。星雲を覚えてる。そうとも言った。あの子が好きだろう?シリウスは小さく頷く。私もだ、と帽子が満足げに頷いたが、シリウスにとってはその応答だって、なんの意味もないように感じられた。
 だってそうだ、妖精は見つからない。星雲は魔法使いのところへお嫁に行って、彼はひとりぼっち。
『大丈夫。君にはすぐ見つかるだろう、ほかのすばらしいものがたくさん。』
 その慰めるような声音が憎らしかった。
(あれしかいらないあの子しかいらないんだ。)そう考えながら、早く決めてくれ、と強く念じる。
 仕方がないなと言う様に、帽子は息を吐いた。実際1秒も、経っていないのに。
『大丈夫、いつもすぐそばにある。それが誓いだろう?』
 なぜ知っているのだろうとか、思わなかった。
 だってそういう帽子だから。ああしかし、帽子が言うとおり、本当にそうだったらどんなにかよかっただろう。
 絶望的な気分で、帽子を脱いだ。広間は静まり返っている。ブラック家の嫡男が、獅子寮?囁きが波紋のように広がっていく。その薄い口端を少し持ち上げて、彼はゆったりと、それこそ放浪の王みたく、獅子の座席にむかって歩いた。



 私に目玉はないけれど、全て見通すその眼
 私は帽子 組み分け帽子
 鍵持つ番人 与えよう
 君の心の奥底に 潜む扉を見つけよう
 勇気を開く扉なら 獅子の巣穴が相応しい
 真紅と黄金に煌く炎 抱えて歩け 己が信
 知性頂く扉なら 鷲の巣穴が相応しい
 青と銅とのその目玉 求めて進め 己が理
 力を求める扉なら 蛇の巣穴が相応しい
 緑と銀のその叡智 共に磨けよ 己がため
 優しさ抱く扉なら 金糸雀の梢が相応しい
 黄色と灰は勤勉さ 受け入れ認む 己が友
 昔々 ここに暮らした 四人の偉大な魔法使い
 それぞれ示したこの鍵を
 すべてあげよう 捧げよう
 それが私 組み分け帽子
 恐れず委ねて開いてご覧 そこで手にする扉の向こう
 君の宝となるだろう
 失くしたものも帰ってくるよ
 だって私は知っている
 扉の向こうもその先も
 だって私は組分ける帽子!



 獅子の巣穴でシリウスを待っていたのは、遠巻きに胡乱気に見つめる視線と、それからあからさまな侮蔑と畏怖、尊敬、そして結構直接的な――。
 馬鹿馬鹿しい。シリウスは息を吐いた。
 予想はついていたけど、なんとなくもう面倒くさいという境地ですらある。毎日スリザリンのやつらは、その腹の内を表には出さず彼をやはり王子として扱う。それは彼の日常の範疇であったし、もうすこし離れていってくれてもよかったんじゃないかとすら思う。
 そして獅子寮の生徒達。何人かとても、目障りだ。だから今だってこうしてシリウスは立ち往生しているのだ。ほんの一瞬だけど。噫馬鹿馬鹿しい。
「なんだって」
 声を出してみると、自分が思ったよりも苛立っているのがわかった。声が四角く、尖っている。
「なんだって扉にトリモチがついてるんだ…。」
 馬鹿馬鹿しい。杖をさっと一振りすれば、それらは消えてしまう。そのまままっすぐに、個室へ入る。同室の、なんといったけ、ペテロ?ピーター?ピョートル?Pがついたのは覚えてる。そんな名前のいかにも気の弱そうな子供の、おびえと不安の混じった視線は、彼に害はなくとも、重い。彼の方を見るとこちらを見ようともしなかった。
 ふう、と一度大きく息を吐いて、シリウスはベッドに倒れこんだ。夢を見よう、いい夢が見たい。ああでもあの子の夢は見たくないな、目が覚めたらきっと泣いてしまうだろう。



 もう彼が学校へ入って、3ヶ月が経とうとしている。嫌がらせはやまないし、それと同時に彼を讃えるものも減らなかった。
 しかしその日はね、どうも少し、勝手が違うようだった。
「ねえ、君、なんだっていつだってそんなに悲しそうなんだい?」
 眼鏡の少年がおずおずと尋ねた。
 なんて名だっけってシリウスはぼんやり考える。
「…べつに。」
「僕がその、意地の悪いことばっかり言ったりやるからってわけじゃないんだろ?だって君、ちっとも堪えてないんだもの。」
「…ああ、」
 ブラックがグリフィンドールに。
 それをもっとも屈辱視していたのはこの眼鏡だったに違いないよ。だが別に取るに足らない。ただ結構高度な魔法を使って(もちろん普通許される範囲内のものだったが)嫌がらせをしてきたときは驚いたけれど。それで、久しぶりに腹が立ったので、そいつの頭をショッキングピンクのアフロにしておまけに四六時中小さなライオンが頭の上でぎゃあぎゃあ泣き喚いてなおかつ耳元で音痴なバラードが聞こえて眠れないようにしてやった。
 そのシリウスの彼にしてはささやか、かつ周囲にすれば1年生が行うにしては呪文が難解すぎる(ちょっぴり禁止呪文入り)その報復が、その眼鏡の態度を改めさせたことなんてちっとも知らないで、シリウスはもう一度、「べつに。」とだけ言った。
「そう!それ!それだよ!」
 眼鏡がイライラと叫ぶ。
「なにがだ?」
「君は僕らがなにやったって平気そうな顔してる!悔しそうじゃない!それがまた腹立つんだよね!かといえば君はちっとも楽しそうでもない!僕にあんなエキセントリックかつエキサイティングな悪戯を仕掛けておいて!この僕をあんなにも右往左往させておきながら!口端ひとつ持ち上げやしない!
あんな愉快な悪戯は僕がターゲットだということを除けばめったにないのに!傑作だよ!
あ れ を 僕 じゃないやつにしたなら!!」
 一気に興奮した様子でまくし立てる眼鏡に、シリウスはすこしきょとんとした。長い睫毛がぱちりと瞬く。
「…君美人だねえ。」
 と眼鏡は感心したように言った。
「……それは男に対する褒め言葉ではないだろう。」
「いいや!美人は老若男女問わず人類の貴重な財産さ!!そんな君が愛想良くすれば7年生のお姉さま方から同級生まで一網打尽だよ!?奏でまくりだよ!?」
「…べつに。」
 シリウスのそのかわらない淡白な反応に眼鏡はふう、と息を吐いた。
「ねえなんだって君はそんなに退屈なのさ。グリフィンドールだから?」
 なんとなく、ふっと気がついた。この少年の目は、に似てる。色こそ違うがどこか似ていた。少し泣きたくなった。
「違う。」
 ポツンと出た声は少し掠れた。それに眼鏡が、吃驚したようにシリウスを心配そうに見た。
「違う。ぼ…俺は、グリフィンドールで、ほっとしているんだ、スリザリンなんて、くそくらえだ。ついでに、俺の、家も。」
 涙こそ出なかったが言葉は途切れ途切れになった。シリウスのその告白に、少年が目を零れ落ちそうなくらいまん丸にして前のめりになる。
「うん、」
「ただ、俺は、」
「うん。」
 少年がシリウスの目を覗き込んだ。
 、思わず小さく呼んだ名前は、シリウス以外には聞こえなかった。
「俺は、そのことを、教えてくれた子がどこにもいないのが、」
 シリウスそんな酷いことをしてはだめ。
 シリウスほらもっと楽しいことをしましょうよ。
 シリウス!虹を見せて!
 素敵な名前ね、シリウス、シリウス。
 ねえお願い!助けてあげて!
 あのねえあの鳥はもうすぐ結婚するのですって。
 世界は音楽でできてるのよ。
 あなたに教えてあげましょう。
 誓えますか?
 私の名前は、
 ねえ。
 シリウス、
 シリウス。
 噫思い出すだけでこんなに悲しい。
「たくさん探したのにどこにもいないんだ…。」
 呻くようにしぼりだした。
 ついにシリウスは小さく喉から声を絞り出してこぶしを握って右腕で目を覆った。少年が慌てて「だいじょうぶかい?」っておろおろシリウスの背中をぽんぽん叩く。
「…君かなしいんだ。その人に会えなくて。」
 優しいリズムはますますシリウスを情けなくした。ああだって泣いたのなんて記憶があるだけで3回目だ。
「うん、」
 悲しい。悲しい。に会えないあの子がいないどこにもいない。
「うん。」
 食いしばった歯からは震える声が漏れた。少年はずっとシリウスの周りを困ったように心配そうにうろうろしては背中を叩いた。
 泣き止んだら名前を聞かなけりゃ、泣きすぎてぼうっとしてきた頭の隅で、シリウスはそっと思った。
(きっとこいつは叫ぶだろう。僕の名前を知らない?君ってばほんとにエキセントリック!)



 その晩夢を見た。
 シリウスはブラック家の豪勢な庭に立っていた。光が溢れ、木々は生き生きと芽吹き。
 もしかしたらと思った。彼は呼んだ。
?」
 しんとしている。空の高いところで、鳥がピチチチチと楽しげに囀りすぎていく。
 妖精はいなくなった。妖精はいなくなった。
 妖精のいない庭はガランとしている。木々の鮮やかな緑も、咲き乱れる花々も、すべてみなおぼろだ。
 シリウスはポツンと庭に立つ。小さく呼べば答えた、彼だけの妖精。目の端からコロリと、真珠玉のよう、涙がこぼれ落ちた。
 泣かないで、そう言ったあの優しい彼だけの妖精はもういない。
 からっぽだ、と彼は思う。からっぽだ。なにもない。なくなってしまった。
 残ったのは暗い暗い家と明るい庭だけだ。
 ああ!ああ!ああ!
 嘆きは声にならない叫びだ。ああ!どうしてどうしていないのか答えないのかいなくなってしまったのか。シリウスにわかるわけなんてなかった。夢なら早く覚めてくれ!彼は叫ぶ。!助けてくれ!ここは嫌だ、暗い、暗いんだ!誰か、誰か、いいや他の誰かなんかいらない、。なあ、どこだどこだどこにいる?ここは暗い暗い、



 はっと顔を上げると、同室の、なんて言ったっけ、ピョートル?パウロ?ピーター?、男の子がシリウスを心配そうに覗き込んでた。でもやっぱり肩を竦めてビクビクしてて、そんなに怖いのなら相手にしなけりゃいいのに、ってシリウスが思わず呆れてしまうのも無理はないかもしれなかった。
「…だいじょうぶ?」
 怯えたような声でそういわれて、やっと彼は先ほどまでのが夢で、そしてうなされていたんだって気づく。男の子は小さな目玉をいっぱいに開いて、怯えと、それから、ほんとうに心配そうな色をして、シリウスを見てた。
「…。」
「う、うなされてたんだ、だから、起こしたんだけど…」
ダメ、だった?と段々語尾が小さく弱くなる。いいや、と首を振ったら、ほっとしたようにつめていた息を吐いた。
 しんと静寂が落ちる。
「…こわいゆめ、見たのかい?」
 少年がおずおず尋ねた。
「……嫌な夢、見たんだ。」
 なぜかな、なんとなく、また眠るのが嫌だった。だからシリウスは、素直に返事を返した。それに隣の男の子が、また頬を緩ませるのがわかる。でもその目と眉は心配げな表情をしていて、顔の上と下で表情がちぐはぐだ。少し、おかしいけれど、とてもやさしい。
「いやな、夢 見たときはね、」
 いっしょうけんめいに、彼が言葉を紡いでいる。指先をひっきりなしに動かして、ちょっとしゃべるだけでこんなに顔を真っ赤にしてうんうん唸って。シリウスはなんだかその様子を、驚きとそれからなにか、なにか知らないあたたかい気持ちで眺める。弟が生まれたときのことを思い出した。そんなかんじだ。
「玉葱、ベッドに吊るすといいんだ、よく眠れる、お呪い。」
 全部言い切って、彼はどっと疲れたようだった。肩の力をほうっと抜いて、眉をしかめてこまったように微笑む。
「玉葱…、」
「あっ、でも、そうだよね玉葱なんて今ここにないよねごめん…!」
 謝るときはなんて軽快に舌が回るんだろう。シリウスは知らず知らず少し笑った。それに彼が、びっくりしていることに気づかずに、彼はなにも見えない部屋の隅に、おい、と声をかける。彼の声は主の声だった。そういう風に、育ったから。彼の声音には、命じる力が人一倍ある。
「この学校にもいるのか、屋敷僕。」
「・・・ここに。」
 すぅっと隅の暗闇から、僕妖精が顔を出した。目だけが大きく、少し恐ろしい。シリウスの隣の少年は、ヒッと声をつめていたけれど、彼は少し、意外に思ってた。
 ここの屋敷僕は、とても、楽しげで、そしていきいきしているのだ。
「玉葱を持ってこられるか。」
「もちろんでございますとも!眠れない夜のお呪い、ペティグリューの母上もよくお頼みになった!」
 それに隣の彼が、ぱっと顔を赤くする。
「ああ、そうか、ペティグリュー。」
 ポツンと呟いたシリウスに、彼がもしかして、と顔を上げる。
「僕の名前、知らなかった?」
「・・・忘れてた。」
 正直に言ったら、彼が笑った。やっと心のそこから安心したような、赤ん坊みたいな笑い方だと思った。
「僕、ピーターだ、よ。ピーター・ペティグリューだ。」


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